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カテゴリ:ウイリアムス症候群
幼稚園の入園から話しましょうか。。。
ウイリアムス症候群と診断を受け、日々発達の遅れをなんとか取り戻そうと必死だった3歳の事、娘が急に「お腹が痛い」といい始め、近所の小児科医に連れて行きました。 腸の状態がおかしいという事で、近くの大学病院の紹介を受け、そこで3-4回診察を受けました。 ところがある日の晩、また「お腹が痛い」と言いだし、言葉の発達の遅れの為あまり詳しく伝える事ができないので、自分は「また赤ちゃん帰りして甘えてるんじゃ?」と思っていました。 すると隣の部屋からおしめを変えようとした家内が、大きな声で叫び「ちょっと来てー!!」というので、どうしたのかと見に行きました。 すると、おしりから何か白い物体が膨らみながらはみ出しており、これは絶対おかしいと思ってすぐに大学病院まで連れて行きました。 小児外科の医師が宿直でしたが、「これは腸重積かも」と言われました。腸重積とは大腸が消化活動をするうちに小腸を飲み込むような形で重なり、腸閉塞をおこして激しい腹痛が症状として出る病気です このまま放置すると、腸が壊死して重大な症状を招くから、一旦肛門から空気を入れて、小腸を大腸から抜けるようにして重積を解消する処置をします、との説明でした。 何度か処置室でやってもらいましたが、娘が痛がって「もう、おしまい!おしまい!」と医師にわずかなボキャブラリーを駆使して悲痛な訴えをする声が外で待っている私たちに聞こえてきました。 お耳をふさぎたくなるような悲痛な叫び声に、いたたまれなくなると同時に、「赤ちゃん帰りで甘えている」と勘違いしていた私は、子供に「許してくれ、お父さんが悪かった・・・」と心の中で何度も叫びました。 医師が処置室から出てきたのですが、「空気を入れても解消しないので、開腹手術をして腸を切除しますから、同意書にサインを」といきなり言われ、気が動転しました。 もう時計は深夜1時をさしていました。こんな夜中に手術?? 「腸を切るって今やらないといけないんでしょうか?もう少し考える時間が・・・」と言ったものの、医師は「このままでは命に関わります」とまで言うので、慌てて同意書にサインしました。 手術への同意だけでなく、輸血が必要な場合に万一の事があっても訴えないとか、色々怖い内容が書いてあるのですが、とにかくその時はあまり詳しく読まず、言われるままサインしました。 すぐにその医師が手術室に入り、私と家内は外で何とか助かって欲しいと祈り続け、手術が終わるのを待っていました。 深夜2時から手術が開始され、途中で看護婦さんが出てきて状況を説明してもらいつつ、最終的に夜が明けた朝5時半に手術室から子供がベッドに乗せられて出てきました。 目をぱちぱちさせながら出てきたので「ああ、生きてる。助かったんだ・・・」と心のそこから安堵し、ベッドの横に駆け寄りながら病室までついていきました。 その後執刀医から説明があり、「腸を30センチほど切りました」といって切った小腸を見せてもらったら、直径2センチくらいの小腸の中に大人の親指爪大の腫瘍ができていて、これが小腸をふさいでいたとの説明でした。 30センチも切った事については、「小腸は何メートルも有るから30センチくらい切っても大丈夫」、と私たち素人ではびっくりするような話を医師は普通に説明されました。 それよりも大きな腫瘍ができていたことに驚きました。小児科の部長が来て「悪性でなく良性であることも考えられるからあまり心配しないで」と言われましたが、その時は何気なく聞き流していました。 2週間ほど入院し、うまく腸がつながっていれば退院できるとの話で、ほっとしてました。 家内は子どもに付き添う形で一緒に病室で寝泊りしてました。 退院直前に家内から電話があり、「医師から話があるそうだからすぐ来て欲しい」との事。 嫌な予感を感じつつ、病院に向かいました。すると医師は手術した小児外科の先生ではなく、小児内科の先生でした。 「腸にできていた腫瘍を検査したところ、悪性でリンパ腫でした」との説明を切り出され、また気が動転しました。 悪性のリンパ腫って何??またまた頭には?マークばかり。説明によると血液性のガンで、白血病に近いものということ。血液中のリンパ球がガンにより減少し、病気にかかりやすくなるとのこと。 治る確率は60%くらいで、抗がん剤による化学療法をやりますとのこと。 じゃあ残りの40%は治らないとの事ですがそれはどういうことになるんでしょうかと聞くと、 「それは死亡するということです」 もう、頭がぐしゃぐしゃです。ウイリアムス症候群といわれた時も、発達センターの医師から急に説明するから来てといわれ、なんでウチばっかりこんな目に合うんだと、とにかくぶつけようの無い怒りばかりでした。 開腹手術した際、腹部の周りのリンパ節も腫れており、標準治療としては3ヶ月なのですが、大事をとって6ヶ月の化学療法コースにしましょうといわれ、半年間の入院生活が始まりました。 一旦外泊していいということだったので、家に子供と一緒に戻りました。夜一緒にお風呂に入り、お腹の手術痕の傷を見て「お父さんが悪かった。ごめんね、ごめんね」と泣きながら子供に謝りました。 子供は、「いいよ、いいよ」とニコニコしながら許してくれました。 風呂場で号泣しました。。。 それからというもの、3歳の子供にとっては大変な治療がはじまりました。 髄注といって骨髄に直接抗がん剤を注射し、大人でも失神するくらいの痛さだそうですが、小娘はぎゃあああーーーと悲鳴を叫びながら処置室で、注射を打たれていました。 それから点滴でも抗がん剤を注入され、その日は白目を剥いてよだれを垂らしてベッドにうつ伏せで寝ていました。 死んでるんじゃないか?と思うくらいでした。 見る見るうちに髪の毛が抜けてしまい、つるつるになってしまいました。口内炎ができやすいので吸入をするのですが、上手く口があけられず、あまり効果がありませんでした。 同室の子供はウチ以上に重症で、骨と皮ばかりになってる5-6歳の女の子は、自分でたつこともできず、喉にアナをあけて呼吸器をつけていました。非常にか細い声で話しをするので、ベッドのすぐそばまで近寄ってはなしをするのですが、その姿はホントにかわいそうなくらいでした。 家内は付き添いを続け、私は会社に行く為自宅にもどり、毎朝晩に神社からもらったお札に祈る事しかできませんでした。半年間つづけました 半年は季節が3回過ぎ去るのですね。5月の晩春に入院し、暑い夏があっという間に過ぎて、退院する秋になり外はもう肌寒さを感じるようになっていました。 その間、またまた悪性リンパ腫について調べる日々が続き、横浜で小児ガン学会が開かれるのを聞いて、みなとみらいにあるパシフィコ横浜まで学会に出席しました。小児ガンの先駆者的医師の聖路加病院の先生の話や、ケースワーカーによる個別相談を受けました。 入院中に白血球が急激に減少して、輸血が必要となり、クリーンルームという完全換気の部屋に移され、子供とはビニールのシートで遮られた部屋で1週間過ごしたこともありました。 それは抗がん剤の副作用だから正常の反応であることも、ケースワーカーに相談して納得しました。抗がん剤は大人よりも子供にはよく効くのだそうです。夏目雅子さんのヒマワリ基金についても学びましたし、義理の姉妹の田中好子さんのガン患者へのサポート活動も知りました。 9月になって、幼稚園の入園願書受付時期がきました。(ああ、ここでようやく幼稚園の話にもどりましたね。続きは次の日記で) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.02.13 00:00:33
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