禅の風 第3号 泥酔の俳聖 4
秋山巌の小さな美術館 ギャラリー馬美の町田珠実です。「禅の風」第3号 禅の人間像=第三回 種田山頭火 泥酔の俳聖文・大山澄太 版画・秋山巌先日の59頁に引き続き、60頁をご紹介します。◎酒に関する覚え書き「酒は酒袋に盛れ、酒盃は小を可とす。独酌三杯、天地洞然として天地なし。さしつ、さされつ、お前が酔えば、わしが踊る。酒屋へ三里、求める苦しみが、与えられるよろこび。酒飲みは酒飲めよ、酒好きに酒を与えよ。飲むほどに酔う。それが酒を味わう境涯である」酒徒山頭火が踊り出るではないか。天下の酒飲みは万々歳だ。更に山頭火は哲学する。◎酒に関する覚え書き「酒中逍遥、時間を絶し、空間を越える。飲まずにはいられない酒は、しばしば飲んではならない酒であり、飲みたくない酒でもある。飲みたい酒、それは悪くない。味う酒、よいかな、よいかな。酒好きと、酒飲みとの別をはっきりさせる要がある。酒好きで、酒飲みは、不幸な幸福人だ」尾崎放哉は大酒を呑むと、よく怒った。山頭火はよくしゃべり、機嫌がよくなった。ここに二人の酒についての異なる風景が発展したかと私は思う。山頭火は幸福な不幸人であったかと私は思う。彼はまた日記にしるす。「酒と句、この二つは、私を今日まで生かしてくれたものである。もし酒がなかったならば、私はすでに自殺してしまったであろう。たとえ自殺しなかったとしても、私は痴呆委となっていたであろう。まことにまことに、南無酒菩薩であり、南無句如来である。遊歩悠々、行乞三昧でなければならないと思う。夜の雨はしめやかだった。財布はいよいよないふだったがー」61頁まで入りましたが、きりのいいところまで書き起こしました。