山頭火版画句集より 1 松はみな枝垂れて南無観世音
秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。山頭火版画句集に掲載の作品を、少しずつ解説していこうかと思います。一番最初の作品がこちら 松はみな枝垂れて南無観世音 山頭火秋山巌1979年の作品「なむかんぜおん」です。この句は、第一句集『鉢の子』冒頭の句前置き「大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。」松はみな枝垂れて南無観世音松風に明け暮れの鐘撞いてひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる1882年(明治15年)12月3日生まれの山頭火、1925年(大正14年)だと43歳ですね。前年(大正十三年)に、泥酔して路面電車の前に立ちはだかり、電車を止めてしまった山頭火。この時に、運良く通りかかった人に助けられます。曹洞宗報恩寺の望月義庵和尚のところに連れていかれ、諭され寺男として修行。そして義庵和尚を導師として出家得度し、曹洞宗禅僧「耕畝(こうほ)」という名前をもらい、味取観音堂の堂守となりました。表題の句は、その味取観音堂の松を詠んだものです。この句について、とても素敵な解説をみつけました。北海道の曹洞宗「東川寺」さんのブログ記事⇒松はみな枝垂れて南無観世音松の木の下枝を打ち払ってしまい、松の枝が枝垂れていくというのを知りませんでした。改めて、秋山巌の作品を見ますと、枝垂れた松の下に千手観音様。観音様に救いを求めていたのでしょうか。秋山巌が夫婦で訪れた時の味取観音堂(1980年)いつか私も、熊本の味取観音堂を訪ねたいです。※作品はこちらからご購入可能です。