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カテゴリ:TV・ドラマ
日曜の夜は、ついつい夜更かし。
気がつくと、12時をまわっている。 よせばいいのに、風呂上りにちょっとテレビをつけてみる。 すると、 子どもの頃見ていたなつかしい番組が流れているではないか! ドラマの時もあるけれど、 私は「新・日本紀行」や「明日への記録」といったドキュメンタリーをやっていると、 特に魅入られてしまう。 「ちょっと」のつもりが、結局最後まで。 解説は、加賀美幸子さんだ。時にゲストも登場。 その番組をやっていた頃の話に花が咲く。 さて、寝よう、と思うと、もう1本。 アーカイブスの「危険」なところは、番組1本では終らないところ。 一つのテーマでいろいろな番組をやるのである。 結局、最後の最後まで見てしまい、寝不足のまま月曜に突入! …というのが、よくあるパターンだった。 その「NHKアーカイブス」が、 4月から土曜の午前中に引越す。 司会も加賀美さんから他の人に替わることとなった。 最終回とは知らず、 3/30の夜も、やはり風呂上りに途中から見始めたアーカイブス。 加賀美さんの姿を見ながら「加賀美さんも、歳をとったなー」と感じたところだったので、 仕方がないことなのかもしれないけれど。 でも、私は加賀美さんの語りが好きだった。 静かで、声高に訴えることは何もなく、 しかし、見据えているものの確かさが声の強さ、深さ、確かさからにじみ出てくる。 「読んで」いるようでいて、「書いて」いる感じ。 すべてが彼女の言葉として伝わってくるのだ。事実も、意気込みも。 今回は、「現代の映像」というドキュメンタリーが主で、 昭和40年前後の日本の都会や地方の様々な日本の様子が映し出された。 その中の「野菊のたより」という番組には、 本当にいろいろなことを考えさせられた。 中国山地の山間地帯で年老いた祖母と暮らす、 21歳の女性がペンフレンドに宛てた手紙を紹介する形で番組は進む。 10年前に祖父を亡くした彼女は、祖母と山羊と自分の2人と1匹で暮している。 病気がちになった祖母と二人、山の中の小さな小さな荒れた土地を耕しながら、 たまに祖母を残して近くの飯場にでかせぎに行く。 荒くれの男たちのご飯を作って「かあちゃん、かあちゃん」と呼ばれ、 時には握り飯を200個作るのに徹夜もする。 彼らに混じって大工仕事のようなこともするし、事務もやる。 21歳の自分が、「かあちゃん」と言われるその生活を短歌にしたためながら、 彼女は「どうしてこんな…」という絶望感を封印し、 未来に希望を持っていることを高らかに宣言する。 「あれほど行きたかった高校に行けず」と書きながら、 「どんなところでも勉強はできる」と仕事の合間に読む夏目漱石の「それから」が映る。 もし祖父がもう少し生きていてくれていれば、高校に行けたかもしれない。 その前に、父と母が生きていたら、どんなに違う人生だったろうか。 幼い自分を育ててくれた祖父母のために、今は自分が祖母を養う。 祖父の墓石も、亡くなって10年、ようやく建てることができた。 その墓石を買う金を貯めるための10年間に、 彼女は一体どれくらいのものをあきらめてきたのだろうか。 昭和40年のことである。 彼女が生まれた昭和19年は、戦争末期だった。 彼女は今、どうしているだろう。 生きていれば、もう65歳に近い。 かなりの高齢に見えたおばあさんは、いつごろ亡くなったのだろう。 その後、彼女はどういう道を選択したのだろう。 「中国山地の山間に生きて百姓をする」自分に誇りを持っていると書いてはいても、 そこからどうしようもなく溢れ出る 「ここは私の居場所ではない!」という叫び・・・。 文学に長け、頭脳明晰でがんばり屋さんの彼女が 今、自分らしく生きていることを心から望む。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.01 21:39:31
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