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毎日どう過ごしたか記憶がないほど忙しかったです。 発表会の準備が始まって チラシの作製やチケットの印刷 楽譜の製本スケジュール管理 練習場の手配。 そしていよいよコンサートから1カ月経ったので 本格的にお礼状を書き、CDを焼いて、送付する日々。 色々過分に頂いたので 本来なら心ばかりの品をお返しをするところなのですが 何しろ人数が多すぎるのと 心ばかりの品も買えない貧乏生活なので 心だけはこもった長文の手紙を書きました。 結局コンサートのお礼の電話とか どの曲がよかったとか言われると こちらは演奏や選曲やハプニングのエビソードを 実はこうだったんだよ~的な「打ち明け話」をすることになるので コンサートのレポートのようなものを書いて お送りしました。 これがよかったのか悪かったのか 人によっては重く感じるだろうし 「舞台裏は見せない」 というポリシーの人もあるし どうかなと思いながらも もう素寒貧だし、失うものはないと言う感じで 幸福の王子(不幸の女王か?)の最後のひとつの宝石みたいに 「自分物語」しか、さし上げられるものはなく、 書いてしまいました。 これでお許しください・・・。 そういう作業が今80%終わったところです。 その一方で我が家が練習場になることになり 「ビーバーの巣」状態から 「スラム街の部屋」ぐらいまでは とにかくものを踏まないで椅子までたどり着けるように 片づけなければならず これも大変でした。 お弁当づくりに6時前に起きて バイトに出かけて 4時に帰宅して9時までレッスン。それからご飯。 コンチェルトより忙しいです。 そんな日々の癌食は ![]() やはりカレーが多いです。 でもべジカレーは作り続けるうちにかなり進化しました。 1.玉ねぎは4個ぐらいスライスして あと、暇なときに作り置きしておいた、 かなり炒めて茶色になった玉ねぎ6個分くらい。 ないときは、そういう炒め玉ねぎがレトルトで売っていますので これを使います。 そしてにんにくのみじん切りを オリーブオイルで弱火でじっくり蒸し炒めます。 2.それからトウガラシを1~2本炒め ニンジンジュースの残りかすを入れます。 本数だと4~5本でしょうか。 くれぐれもレモンの絞りカスは入れないように。 苦くなります。 3.水を足して、炒めたら、トマトを4個ほど入れます。 もうそのまま入れてしまって自然に皮がむけますので 皮をお箸でつまんで捨てます。 本当は種を取ったほうがいいのでしょうけれど。 そして豆類を入れます。 今回はグリンピースとゆで大豆、レンズ豆など。 4.ブイヨン(鶏と野菜の2種類)とローレルの葉 干しシイタケを戻したもののスライスと干しシイタケのもどし汁 昆布の粉だしを入れて 少し煮込みます。 ニンジンに水分がないので焦げ付きそうだったら 水分を足します。 5.減塩を完全になさりたい方は これにカレー粉と塩少々を入れて出来上がり。 うちはこれに「ベジタリアンのカレー」のルウを入れます。 (ルウは粉をボウルで泡だて器で水に溶いてから入れます。) 8~10人分ぐらい一遍に2つのお鍋で作りますが ルウは1/2くらい使います。 6.焦げ付かないように少し水を足して、混ぜて煮込みます。 7.味が「足りない」方は、お醤油、ソース、カレーパウダーなどで 調節ください。 最後に青い葉っぱをさっと入れて軽く火を通し (今回は春菊)出来上がり。 このたびは半分をココナッツミルクとグリーンカレーペーストで煮て 半分半分のカレ―です。 ココナッツやグリーンカレーペーストは 微妙な食材なのですが 息子と私が大好きなので 半魚人ならぬ半癌食みたいな感じで作りました。 主人はこちらのタイカレー風のほうは少なめに盛ります。 タイカレーにはトマトを添えます。 このトマトを崩して頂くと 酸味と辛みがなんともいい感じです。
今日は完全にバッテリー切れで うんともすんとも体も心もが動かない感じです。 バッテリー切れのひとつの目安は「鬱感」で 本当に暗澹としてしまうので 「昨日、今日、明日と状況は何も変わっていない」 と自分に言い聞かせて 今日は夕方にレッスンがあるだけだったので 寝ることにします。 それで午前中寝て 午後も限りなく寝られるので たぶん本当にバッテリー切れ。 先月もコンチェルトの前に同じ状況があったから これは周期的なものなのか それともただの疲労なのか・・・。 ただ昨日までは、めちゃくちゃに元気で、万能感にあふれ、 夜の1時に寝ても朝の5時にぱっちり目が覚めて それで仕事をして、という毎日だったので 自分でもすごいなって思っていたくらいなので うーん、やっぱり「自分に褒められる」ようじゃ、危ないですよね。 この忙しい状況で身体に起こること 食欲の変化などもかなり面白かったのですが それはまた別の日に。 それで昨日の続きですが ちくびとうんち。 うんちぶりぶりって 確かクレヨンしんちゃんあたりから出た言葉で 大流行して お母様方は眉をひそめた記憶があります。 でも今回、私が聞いたのは、 「学校の先生が集合写真を撮るときに 『うんちぶりぶり』って言ってた。 キャハハハ面白いよね」 と言う小1のお嬢様の言葉で この言葉がずいぶん市民権を得たな と言う感じがしたのでした。 「子どもが悪いと知っていて大人の困った顔が見たくてわざと言う」 という位置からずいぶん拡大された感じがしたのです。 で、さらに言うと、「うんちぶりぶり」というのは 癌食的にはいいうんちではないわけでして まさしく不腸を示す下痢気味うんち、 あるいは腸の狭窄を連想させるガスの混じった爆裂便的うんちなわけです。 本当は「うんちつるりんりん」でなければなりません。 (りんりん、というのは2~3本出るから) つまり「うんちぶりぶり」という言葉は うんちや腸の「負の状態」を笑いものにしている ということになります。 すなわち排泄の軽視、食事の軽視です。 また同じような考え方にすると 「ちくびなんとか」(ちくびマンだったかな?) とは、母性の軽視にあたると思います。 ちくびなんとかの歴史はちょっとわからないのですが こちらも本当は神聖な場所であったはずで 言語化するためには 母性をちくびと切り離さないと 自分の母親のイメージとつながって 難しいはずだと思うんです。 でもこのうんちとちくびの一件で、 私は、今の社会が、 働く女性に、母性と食事を捨てさせているのではないか これらの言葉は、 そういう状況に対する無意識の 「のろし」 のようなものではないか、 と、ちょっと、思えたわけです。
今日、夕食のとき、 もう、テレビを、半年以上見ていないことに気がつきました。 忙しいのが原因ですが もともとあまりリアルタイムでテレビを見る習慣がなくて 大体海外のドラマを録画して暇なときに見ていたのですが もうこの半年はそれどころではありませんでした。 それにしてもコンチェルトが終わっても まだテレビを見る暇がありません。 わたしは主人や息子と違って、 パソコンでニュースや動画も見ないし 週刊誌も新聞も買わないので 本当に世の中のこともテレビの情報は知らないし 芸能人のことも(たとえ隣に座っていても)わかりません。 本当に隣に座っていたり 新幹線で一緒だったり することがあるのですが 友達に教わるまでまったく気がつきません。 普段が 特殊な仕事なのであまり困りませんが それでもバイト先で若い方とお昼を食べるとき 「誰誰みたいな」 という芸能人に譬える言い方や その時々で流行る言葉の使い方やテンポのようなもの、 それらが表す微妙な隠喩やニュアンスは、 ちょっとわからない感じです。 でも生徒さんを含めて 子どもたちの 機嫌の悪い時の言葉づかいは かなり昔に比べると荒々しくなったなと感じ これもテレビの影響だと思います。 一応、その都度、余計なお世話と知りつつ ご注意はしているのですが でも日本の社会のシステム自体が 荒々しきアメリカ型をモデルにして そういう方向で少しずつ進んでいますから もっともっと言葉も荒ぶれるでしょうね。 そういう荒ぶれた気持ちを表す言葉が 必要になってきますものね。 日本には、アメリカみたいに 親を罵ったり、性的な比喩で悪態をつくことって まだなくて「おまえのかあちゃんでべそ」 なんてホントにかわいいものだと思っていたのですけれど 先日、「うんちぶりぶり」とか 「ちくびなんとか(詳しくは忘れました)」とか 子どもたちが言っていて、びっくりしました。 だんだん言葉においても現実に追いついて アメリカの状況で使用されるような日本語の表現が 作られていくのでしょうね。 (それとも私がまだ知らないだけかな) しかし私が驚いたほんとうのところは よりによって性的な悪態が 大腸と乳房という 日本が増悪一途を辿っている、癌の部位だったからです。 何だか意味あり気ではありませんか?
INとOUTが問題だとしたら そもそもINはどこへ向かい OUTはどこへ向かうのか 終着点が気になります。 INの終着点は、たぶん細胞です。 細胞と言う言い方もなんだかちょっとずれているのですが 何かが体内にINされて、 「それ」が口や目や耳や鼻から 取り入れられて、 どこに向かうのかとイメージすると やっぱり細かく分解されて どんどん細かくなって、 吸収されていく、 と言うことだと思うんです。 そして身体と同化して、一部となり、 昨日までとちょっと違った 「新しい自分」 になっていく、 と言う感じです。 食事ならともかく 物品の収集についてのINが 身体化するのはヘンではないかとも 思われますが コレクターの満足感、達成感、喜びの深さは かなり身体的なところまで行っていると思います。 一方OUTは、自分の身体から離れて、 空気に溶けて行く、というイメージです。 うんちやおしっこもですが ヨガや瞑想も 他人の評価を前提にしない自己表現も どこまでも広がるけれど 最終的には空気に溶けて行く と言う感じがします。 これがOUTの途中で お金とか批評とか評判とかつきあいとかの リフレクターがかかると ダメなんです。 溶けて行かないし、 空間の形が決まってしまうからです。 ・・・そんなことを考え続ける癌ポチでした。
恩師のCDを作っていて、 その作業に追われ、 自分の生徒さんの発表会が近付いてきて その企画も切羽詰まっていて 相変わらず土日月火はバイトとレッスンで 他の仕事にならないし というわけで 更新が滞っていますが それだけが理由ではありりません。 山登りをして 私は IN と OUT について考え 考え続けていたのでした。 私は沢山癌についての本を読みましたが 細かいことはすべて忘れました。 覚えられません。 ああいう細かい生物や化学に出てくる ちっちゃいものの名前は・・・。 人間の名前も覚えられませんが・・・。 でもそういう本を読んで 感じたことと 色んな癌の方のブログを1年以上追いかけて 拝見させていただいて、 別に癌の方に限ったことではなく 現代人に共通なことだと思うのですが 過剰なIN、過小なOUT が、病気を生むのではないか と思いました。 好きなものが食べたいときに食べられて お腹一杯でも「別腹」で食べられて 夜中でも道を歩いている途中でも電車でも 食べたいときに飲みたいときに 数分も我慢せず 食物が供給されて、 飲み放題とか食べ放題 という言葉もよく聞くし 結局「早食い選手権」 に象徴される「すべて」 健康に悪くても お行儀が悪くても 一人で食べても お腹がすいていなくても 早い時間で出来るだけたくさん 詰め込む という「過剰なIN」が ひとつの価値になっているのではないかと思うのです。 さらにフロイト的に?発展させて考えると お金を貯め込むとか 洋服を買いまくるとか 新しい機械類に目がないとか そういう物資の収集 も「IN」ですし、 最小の時間で最大のINをすることに価値があるのは 変わりありません。 誰かに何かをもらうこと たとえばプレゼントや褒め言葉、評価としての給与なども 「IN」だと思います。 テレビやディズニーランドなど 完全供給型の娯楽もINです。 これに対して「OUT」は 直接的には、 身体的には排泄、発汗(運動)、浣腸、断食、絶食などで 瞑想や収集目的ではないお金の使い方や 創造的な価値を生み出すこと。 間接的には 「IN的な価値観」をシャットアウトすることで IN-OUTのバランスを逆転させ 自己肯定感を高め、 価値を自分の中心から生み出すこと、 言ってみれば 「ヴィレッジ」 (M.ナイト・シャラマン監督脚本の映画。 アーミッシュの村がモデルになっている) に住むことではないかと思います。 1年以上かけて 食事療法を続け 考え方や生活を変えて 軌道に乗ってくると 今度はOUTに目がいくようになるのではないかと思います。 OUTが大切。 身体的なOUTについては ゲルソンさんもおっしゃっていますが 心理的、社会的なOUTについて これからは考えて行く必要があると思います。 そんなことを 考えていた癌ポチでした。 癌の人は だれにも褒められないけれど自分にとって大切なこと お金にならないこと 自動供給型の娯楽でないことを 試してみる価値があるのではないでしょうか。
天狗岳に登りました。 私が忙しくて主人を虐待した後の 「ごめんねごほうび登山」です。 ![]() 4日、唐沢鉱泉に車を止めて 黒百合ヒュッテに向かいます。 ただ高速が事故で通行止めで 2時間到着が遅れたので 出発は13時すぎていました。 私の足ですと人の2倍かかりますので 到着が17時になります。 それで焦った主人は 私を置いてけぼりにしました。 雷は鳴るし ヒョウは降るし 息が上がって心臓がばくばく。 長く歩けません(また貧血が悪化したのか?)。 心細く自由な感じ。 主人はちゃんと「お迎え」に来てくれたけれど なんだか「人生の予習」というか デジャヴーな体験でした。 ![]() 5日。 黒百合ヒュッテで1泊してから天狗岳を目指します。 木の向こうに見えるのが 天狗岳です。 黒百合ヒュッテでは水が使えず 着の身着のまま顔も洗わず寝ます。 トイレもとっても特別なトイレで (詳しくはちょっと書けませんけれど) 手も洗えず すごい体験でした。 わたしたちは食糧持参。 このたびは玄米おにぎりを 各自6個ずつ、自家製パン3切れ、自家製クッキー4個。 バナナ1本、みかん1個。 インスタントの野菜スープ4袋、ワカメなど乾燥野菜の具材2袋。 玄米フレーク1袋。 これで4食分です。 玄米おにぎりをちょっとずつ食べ、 お湯を沸かしてスープを作り そこに玄米フレークを入れてまぜて頂きました。 玄米フレークについてはまた後ほど。 ![]() 黒百合ヒュッテで-3℃でした。 アイゼンをつけて、 どんどん登ります。 ![]() 天狗岳頂上は零下10度くらい。 指先はちょっと凍傷になってじんじん痛いし 目も耳も凍りそうで痛いのでした。 しかもすごい風。 飛ばされそうなくらいです。 どんどん冷えてくるし 手の痛みは酷くなってだんだん感覚がなくなってくるので 「もう、先に降りてるよ―」 と泣きそうになって 2分も頂上にいられなかったのですが・・・ カメラを向けられると ついにっこりしてしまう癌ポチでした。 ![]() 左の方にあるのが 天狗岳です。 あんなに高い山に登ったなんて 信じられません。
今日はレッスンが一つだけ。 少しゆっくりしているので 10日締め切りの投稿作品を一つ書きあげ (何やってんのかな~と思いつつ)、 ショパンを練習して一息つきます。 モーツァルトのコンチェルトの体験が結構すごくて そこで発見したいくつかのことを ショパンに応用してみたいというのが ひとつの課題で 同時に恩師が闘病していた時に 恩師を思って気持ちがあふれてどうしようもない時に 練習して気持ちを鎮めていた曲なので (それがどういうわけかショパンだった) なんとかきちんと仕上げたい・ねばならぬ という気持ちがあります。 これを仕上げないと次に進めません。 「次」 がどこかはわからないのですけれど。 癌食の記録ながら ほんとうにつまらない記事になってしまって すみません。 全然お役にたてていませんよね。 自分でもどうしてかなと考えて 今日少し時間があるのでまとめてみます。 癌食は基本的に 少なめかつシンプルなので 食材の調達が最大の課題なのですが そのルートが決まると ほとんど調理法も決まってきて 1年続けると「なんてことなくなる」感じです。 基本の味は素材の味、それに出汁とスープの味、 にんにく、生姜、ハーブ 自家製のソース そして少量の岩塩や海塩、減塩醤油、有機大豆の醤油などで ぎりぎりのラインを探りながら味をつけます。 最初は玄米が重くって、 3食玄米なんてとても無理で パンを作ったり、スーパーミールを探し当てたりして 助けられましたが 癌食を1年続けると 「玄米様恋しや」 で 疲れたら玄米、元気出す時も玄米 しかもなにもつけない玄米ご飯だけに 幸せを感じるようになりました。 ナチュラルハイジーンの考えを取り入れて 朝はほとんど食べないで 私は豆乳ヨーグルトとバナナとハーブティのみ、 これに主人と息子は自家製のパンを一切れ頂きます。 (本当は何も食べないほうがいいのでしょうけれど 豆乳ヨーグルトはどうしても朝向きの食事なので 朝頂いています) 昼はスーパーミールとパンか 玄米ベーグルや胚芽パンのサンドイッチ。 フィリングも主人はアボガドや野菜、豆腐などです。 というわけで夜だけ、ちゃんと???作るのですが これも基本、「シンプルで少ないほうがいい」ので そういう意味では、とても楽です。 このような単純な食生活ですので しかも忙しさが加速されてきたために 研究の時間がなくて、 1年もたつと工夫の仕様が ちょっと難しいと言う感じです。 さて、癌ポチが考える、もうひとつの原因。 これがすごく大切だと思うんですが 癌はパートナーシップを変えるんです。 お互いに癒着したり依存したりしていた部分を 赤裸々にして きちんと独立させるというか やはり一組のカップルがいて 片方が死ぬかもしれない というときに ふたりの関係は変わらざる得なくなります。 そして未来に向けて建設的にあろうとすると どうしてもお互いに 心理的にも金銭的にも、独立する必要があります。 わたしの場合、バイトとか、演奏会とか、投稿とか 主人のことを考えながらも 「自分」が自分として「立つ」ことが 一番大切だとわかった感じです。 そうしないと死や病に立ち向かえない。 強くなれないんです。 もちろん大変ですし 主人を少々虐待することになるのですが なんというか、そうすることで、 ふたりで、新しい 「未来に向かう」ことができるんです。 癌の人って、 というか主人のことなんですけれど 「背負っちゃう」所がとっても大きくて 仕事とか、対人関係とか 「厭って言えばいいじゃない」 と私などは思うのですが 言わないで黙って自分でやってしまう、 「そのほうが簡単だから」 というところがあります。 私との関係でもそうだから 私が自立して楽しそうにやっていることが 結果的に大切なような気がします。 癌のパートナーシップに関しては 「人という字は支え合って…」 というのはダメなような気がします。 じゃあなんていう字なのかと思うのですが 「介」という字かな…。 2本の棒が屋根の下で向き合っているんです。 (このあたりの字は 毎日の主人の「うんち書き初め」で よく出てくるんですけれどね) 癌を抱えた状態にも慣れてきた というのもあります。 数値がいくら良くても 「癌が治った」 とは思えないし かといって 「闘病中」 とも言えないくらい元気です。 主人は自分を「治った」と明言していまずか そういう気持ちのところもあります。 この主人が「治った」というのは 癌が治ったのではなく 癌的な食生活、癌的な心の持ちよう、癌的な仕事の仕方などが 「治った」 と言う意味だと思います。 それらが原因なのだとしたら、もうそれらを治したのだから、 当分癌は再発しない・するはずがない という強い防衛ラインの表示でしょう。 それでも一方で 当たり前ですが 人はいつか死ぬのだということも 受け容れるようになります。 私の方が先に行く可能性だってあります。 とにかく生きている人はいずれ死ぬのですから 「やることだけはやっておかないと」 という気持ちになります。 そして「やること」に打ち込むと 癌を腫れもののように扱う(腫れものですが) 余裕がなくなってくるのでした。 コメントいただいて それきりで本当にすみません。 また改めます。
バイトが始まって、家事もぼちぼち、 主人もちょっと余分に働きだして出かけることも多くなり 息子は常勤になって、毎朝規則正しく7時過ぎには出かけますので 朝5時45分には起きて、 お弁当も作らなければならないし 「息子のお弁当」↓ ![]() 野菜(トマトとアスパラ)、 お魚のハンバーグ(ぶりをさばいたときに出た中落ちを生姜醤油と片栗粉でまとめて 蒸し煮したもの) トマトソースとツナ 卵とアボガド ラズベリージャム です。 そのほかにも放置されている色々な雑事があり 下水道能力開発プロジェクト(文章書きのこと)の締め切りがあるし 頭の中は今月のやりくりでいっぱい。 チェロを売らなくっちゃと考えているし 主人のことや 亡くなった恩師の奥様のこと 残された恩師のことも どうしたらいいかなぁと暇があると考えちゃうし もうこんなの、音楽でもやらなくちゃやってられないわ、 と、練習は精神的にも欠かせないし コンサート前と同じ日常のはずなんですけれど こんな毎日、よくやっていたなと 思う日々です。 昨日は流石に楽器も触れないくらい疲れて もう仕事から帰ってレッスンをしてご飯を食べて 「筍と納豆の丼」↓ ![]() 速攻で寝ます。 (でも12時でした。) この丼はこのごろよく作ります。 基本は玄米ご飯の上に ぱららっと海藻をかけて (みじんこんぶやとろろこんぶ、わかめの粉など色々その時々にあるもの) 納豆は人種別に醤油で和えて (癌人は減塩醤油ちょびっと、非癌人は普通のお醤油ちょびっと) あとはスライスしたアボガドや、蒸したジャガイモの薄切り、山芋の棒切り 筍を焼いたもの、椎茸を焼いたもの (みりんと醤油でちょっと味つけ) 炒めたあるいは茹でた青いもの (たとえば菜花とかアスパラガスとかピーマンとか) そのほかには 水切りした豆腐を切ってニンニクで炒めた豆腐ステーキとか (これも筍と同じ味付けでもいいし減塩醤油だけでもいい) とにかくなんでもあるものを 焼いたり茹でたりしてトッピングして頂きます。 いやこれが美味しいんです~!
コンサートの後、高揚した気分が持続し それと同時に現実・・・つまり 今まではまったく気にしないようにしていた出費のこととか (かなり節約した今までで一番貧乏な本番だったのですが それでも ピアノ伴奏合わせのスタジオ代とか、 ゲネで抑えたホール代とか、切手代とか、美容院代とか お弁当代とか、やっぱり色々かかっていますので) ああどうしよう、と言う感じで そしてドーンと、バイトが入ってきて、 今までは、これは仮の生活、コンチェルト弾くんだから、頑張ろう みたいに思えていたけれどそれもなくなって 私は12時過ぎのシンデレラとなったのでした。 しかも、ハッピーエンドに辿り着かず とりあえずここで放映打ち切り、みたいな。 具体的に 部屋の片づけとか お礼状書きとか にも追われ、 あっという間に今日になりました。 ツィツィコさんからすごい秘密の癌食の情報を頂きながら なにも手をつけずお礼も書けないでいます。 すみません。 まだお礼状も書いていない方もいます。 すみません。 今日は午前中2時間かかって花を生け替えます。 そしてちょっと次の曲と次の次の曲を練習して バイトに行き 帰ってきて夜ごはんを作って また練習して 今ブログを書いています。 そしてたちまち眠くなるのでした。
無事に終わりました~。 とりあえず当日はくたくたなので 頂いた花束はお水の中に突っ込んでおいて 次の日にお花を活けるのですが 最初は「これを全部活けるのか」とちょっとめまいがするのですが ![]() 活けているうちに楽しくなってきて 花瓶が足りないときは お皿やボールなどを使って。 これはボールを使いました↓。 ![]() これは、カラーを使った高さ1メートル半はある、 面白いお花束でしたので そのままボン!と入れました↓。 ![]() そうこうするうちに2時間が経ち、 もうすぐ生徒さんが来てしまう。 あわてて残りをボン! と入れて、 ![]() このお気に入りの花瓶も出してきて、 ![]() そしてこれ、すごいでしょう。 サントりーの「アプローズ」。青いバラです。 ![]() すごくいい匂いで、きれいな色。 幸せです。 ありがとうございました。 あとはお礼状を書いたり ご感想をいただいたりという作業が残っていて、 これも憂鬱です。 電話が嫌いなので・・・。 そして明日から再びバイトの日々。 うわっ、 津波のように現実が襲ってきます。 昨日までモーツァルトだったのに・・・。 でも演奏がかなり巧く行って ツィツィコさんにもお会いできたし 自然療法家のご主人のお話も伺えたし 皆さんに褒めて頂けたし 自分でも満足度が高く 何より私のお師匠様が 本当に喜んでくださって これを支えにして、当分、 生きていける感じです。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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