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毎回うんざりするほど目障りな広告たちを、どうすることもできないままストレスがたまっておりました。どうにも対策方法がないようなので、耐えられずに引っ越します。このブログも5年目になるのかな。長らくのご愛読ありがとうございます。 引っ越し先でにはまだ不慣れな状態ですが、気分を変えてはじめる予定ですので今後ともよろしくお願いします。→新アドレスは、shinadatomomi.blogspot.com/
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2009/04/21 04:59:40 PM
きょうは天を仰いで「私は幸せだー!」とほんとうに叫んでしまう出来事がありました。極力お金をかけずに(というよりお金がかけられない)ガーデニングするのが趣味の私にとって、このうえない植物のプレゼントが転がり込んできたんです。 このところ学期の終わりなので成績つけのために神経をすり減らす日々が続いていましたが、ようやく終ってポストに投函しにいく途中。なんといつも眺めている盆栽と山野草と植木のお店(というよりはふつうの民家)の前をとおりがかると、「ご自由にお持ちください」と張り紙とともに植木鉢類が置かれているではないですか。 「えー、これもらってってもいいんですか?」と庭で鉢植えに水やりをしていらっしゃったおじさまに尋ねると、「どーぞどーぞ、このへんにあるものどれでも持ってっていいよ」とおっしゃる。駐車スペースをつくるため、数日中に一部の植木鉢類がお釈迦になるのだそうです。いつも指をくわえて眺めていたものをタダでいただいてよろしいなんて。。。ずっと予算がなくて買うのを我慢してきた植物が、しかも植木鉢ごと大量に手に入るなんて信じられない。用事の途中なので出直してきます、と足取りも軽くそのまま本屋にでかけ、いつもは出たばかりで買わない新刊の小説「ポトスライムの舟」を勢いで購入(ここで散財)。 そのあと台車をお借りして2往復分の植物をいただいてきました。おばさんはもっと持っていってほしそうにみえました。種から育てたレアな椿の苗が6本くらい入ったプランターは、「種から育てると子どもみたいに思えて」と泣きそうなくらい悲しそう。東京を引き払うときにたくさんの植物を人にあげて来た私にも、その気持ちはとてもよくわかる。でもさすがにこれ以上は引き取れないのでぐっと我慢。ほかにもきれいな色目の石もいくつかゲット。川から拾われて来たものだそうです。私もここ数ヶ月は「石拾い」をしてましたが、近くではこんなきれいなものは手に入りません。 こんなふうにガーデニングの場合、資材や植物は待つとタダで手に入ることが多いのです。金にまかせていっぺんに買うのは×。葉を挿し芽したり種を少しとって蒔けば費用はかかりません。石とかレンガなども拾ったりもらったりでかなり調達できます。叩き売り状態の植物を一鉢買えば、どんどん増やせるし、種を取れる植物は保存して毎年蒔けばいい。 けれど新しいスタイルの庭を創ろうとすると最初は多少お金をかけないと「ゆかしい」感じになりません。予算がなく進まなかったのですがもう大丈夫。かなり素材はそろいました。あとは器と配置デザインに集中すればよし、と。すっかり日差しが明るくなってきたと思ったらきょうは立春でしたね。本格的な春の訪れが待ち切れなくなりそう。
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2009/02/05 12:27:18 AM
言葉の持つ力が信じられている社会はやはり強いな、としみじみ感じ入りながら演説全文に目を通しました。理想が言葉にこめられて、その言葉が現実を動かしていく。アメリカと近代社会の希望を背負い、歴史の大きな節目を意識させてくれる演説です。ただし日本語にしてしまうと、朝日新聞版と読売新聞版を比べればすぐわかるように、全然違うものみたいになって出てくる(笑)。朝日の方がかっこよさげで、読売は直訳風で堅い感じ。というわけで、表現のことはまるで語れませんが内容のことでいくつか印象に残ったくだりがありました。 歴史の認識のこと:あそこにでているファシズムって、私たち日本との戦いも強く意識されていますよね。勝利宣言の時の演説には、「湾に爆弾が落とされた」って書いてあったから間違いありません。そりゃ、パールハーバーのあるハワイにいらっしゃった以上当然ですが。就任演説では少々表現が丸くなったとはいっても、ついこの間打ち勝った敵として日本のことはシンプルに認識されているんです。もちろん原爆落としたっていう反省はナシ。ううう、ここは普通にアメリカらしくて悲しいです。また、打ち勝った敵として共産主義も出てきましたが、BBCのサイトによれば中国のニュースはここを削除して報道したとか。。。それもナンですが日本のメディアは人ごとみたいに騒ぐだけでちょっとノーテンキすぎませんか?やはり、米国的民主主義の価値を際立たせるためには敵が必要ですので、イスラム世界とは対立的な構図にないことを丁寧に語っておきながら、政治体制には容赦がない。 責任の所在と助け合い:ある意味では究極に国民一人一人の責任が強調されています。演説前日に奉仕活動として自らペンキ塗りをやっているくらいですから、体をちゃんと使って自らが仕事せよ、ということです。失業している人をただ見ていないで、自分の仕事時間を減らして分け合えと主張している!ところなどはかなり泣かせます。残業する正社員のかたわら非正社員をクビにする企業などはもっての他だということでしょう。かなりすごいことをいってると思います。考えてみると、政府ができることはわりと少ない、と言われているような気もしなくもない(^^;;;;。 もしこんな演説をする政治家が日本にいたとしても、悲しいかな誰にも本気だって信じてもらえないでしょうね。この国でも言葉がもう少し政治の場で力を持てるようになるといいのですが。
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2009/01/26 12:56:22 AM
この間は3兆円という金額のことを書いたけれど、きょうは2兆円の定額給付金の話。なんだかこれも同じような予算規模なのね。この間3兆円がかなりの金額だと理解したので、このまま2兆円バラまかれてはちょっと困ると思っている。しかも「景気刺激して雇用が生まれるから高額所得者ももらえ」とかいわれると、勘弁してほしいわ。もしこのまま政策が実現してしまうのなら「定額給付金基金」でも創って寄付を募ってみたらどうかな。NPO法人のかた、ぜひご一考を。政府にまかせておいたらろくな使い方しないんだから。いま貧困状態にある人にある程度まとまってお金が回るようにしたらどうでしょう。なにせ厚生省が派遣村を出る人に一時的に「貸す」お金がたった5万円だっていうんだよ。情けなさすぎるでしょう。小口で事業を始める人たちに融資するグラミン銀行のようなスタイルもありえると思う。「派手に消費してもらって景気刺激」したからといって、その恩恵が貧しい人に回るという保証はまったくない。どこに消えてしまうのかわからない定額給付金なら、使い道がみえるようにできるだけまとめて、意味があるところで消費されるよう考えたい。
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2009/01/09 01:50:28 AM
このところお金にまつわるニュースが引きも切らない。そんな中で最近、2つの記事で取り上げられていた3兆円超という金額に目がとまった。1つめはわが職にかかわる全ての私立大学の年間支出金額。もう1つはオレオレ詐欺やネット架空取引その他の消費者被害による経済損失の金額である。3兆円というお金がどの程度のものかは私の感覚で理解できる範囲を超えている。でもこの2つが同じ程度と知って正直にいって落胆している。私立大学ってそんなにささやかな産業規模だったのか。全国民にならすと1人当たり2万3千円。GDPでいうと0.7%だそうである。まあ逆に消費者被害が甚大であるというニュースではあったのだけれど。 そこで、ほかに最近話題になった3兆円という金額を調べてみたら、いろいろとみつかった。直近でいうと資金繰りが悪化した中小企業のための緊急信用補償費用、メタボ関連ビジネスの規模、埋蔵金、アメリカ自動車会社ビッグ3の再建費用、サウジアラビアにおける喫煙による健康被害総額、フランスの景気対策予算、、、。お金の価値というものはどうもよくわからない。ますます大学業界はふけばとぶような産業規模のようにも思える。いいんだろうか、それで。 教育業界は不景気がただちに及んでくるタイプの産業でないとはいっても、子どもの学費が出せなくなる親はかなりいるだろう。ますます確実に職につながる大学教育への期待も高まるはずだ。けれどそうやって目先に追われ続けてきた結果、社会がジリ貧になっている気がする。教育、妊産婦や小児医療、介護(3%報酬が切り上げられるとはいっても)など、人手がかかりもうからない業界で問題が噴出している。人は霞を食っては生きられないし奉仕の精神に頼るにも限界がある。 「モノづくり」は大事な日本の産業だが、この際、「ヒトづくり」という目にみえて形に残りにくい産業にも十分なお金がまわっていく仕組みへの変化を期待したいところだ。
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2008/12/29 01:07:39 AM
この街にもどってきて半年が過ぎたところで、うすうす感じ始めた。もしかすると、名古屋は「住みだおれ」と形容するにふさわしい街なのではないか。大阪の食いだおれ、京都の着だおれは現代にもしっかりうけつがれている。日常生活への関心度合いで、いつも物事を考える癖がある私は、「衣食」と来たら「住」はどこだろう、と考えを巡らせたとたん、はたとわが在住の地で見聞きする生活様式が頭に浮かんだ。ちなみに、東京はよくいえば文化のハイブリッド、悪く言えば寄せ集めの都市だから、このような分類にはなじまない。 ここに住んでいると単に土地が安いから、というだけでは説明できない住環境の水準の高さに感心する。節約するところではしっかり財布の紐をしめ、かけるべきところに大枚をはたくのが名古屋流とはよく知られた態度である。娘3人持つと身代つぶす、とか豪華な婚礼家具などの習慣が知られているが、じつはその家具を入れる器となる住居へのこだわりこそ高い。そういうハコモノがあって耐久消費財である家具も際立つのだから当然ではある。骨董品を扱う店も妙に多い。輸入・国産を問わず質の高い家具を扱う店もめだつ。古い建物も意外と保存されていて、古民家カフェなどはそこらじゅうにある。そういえば、明治村には日本中から運ばれて来た古い建物が飾られているではないか。新しくても「和」な雰囲気をうまくとりいれた住居が印象的だ。その延長に庭づくりやガーデニング、雑貨などへのこだわりがある。街を歩いていて住居まわりの工夫を見るのがとても楽しい。本当によく吟味されて行き届いた作りの家が多いのだ。 名古屋に転居する前に私が住んでいた街は、雑貨ショップの天国で知られる自由が丘だった。けれど、驚いたことに先日久しぶりに行っても、目にとまるモノは売られているように感じることができなかった。東京では、雑貨は「女子どもが関心を持つもの」に留まっていて、一家の世帯主たる男性がかかわる領域にはなっていない。名古屋ではそこに男性が関与するようだ。心なしか雑貨屋に行くと一人で品定めをしている男性の姿が目立つ。結果として、わりと落ち着いて値ははってもグレードの高い品物の並ぶ割合が増す。もともと婚礼家具のタンスは手堅い財産の生前贈与である、という解釈もあるくらいだ。たかが雑貨、などと考えずに高価でも質が高いものに投資するには妻のみの判断というわけにはいかないからだろうか。 その延長線上にモノづくりの世界が広がっている。ああ、だからこの街でデザイン博と万博はOKで、オリンピックには縁がなかったのか。いまは大変な逆風にさらされているトヨタだが、この界隈でモノづくりが発展した背景に、このような生活に深く根付いた価値づけがあるのなら、今後もそう簡単にかたむく産業にはならないだろう。そして、「モノの問題」だと常々私が思っている環境問題に名古屋市が熱心な理由も腑に落ちる。あらゆる現象がすーっと一本の糸でつながっていくような爽快感。自己満足ですね(^^;;;;. けれども、名古屋という都市の暮らしについて、揶揄でも面白半分でも自嘲でもなく語られた言葉は意外と少ない。それも理由がありそうだ。この街はコトバ、などというモノとちがってかたちに残らないものにはあまりり高い優先順位をおいていない。中央図書館の蔵書数が多いといわれるが、とどのつまりは本などというものにお金をかけない、つまり買わないで借りるという伝統があるのだ。私のような書き物を生業の一部にしようという人間には厳しい習慣でもある。 それでも、衣食住のうち圧倒的に住への関心が高い私にとって、この街で暮らせるということは幸せかもしれない。周囲に触発されて、暇を見つけると「和」なデザインを取り入れたバルコニーガーデンづくりに余念のない日々を送っている。
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2008/11/21 01:20:42 AM
黒沢清の映画はちょくちょく見てるので、彼が家族映画を撮ったならどうしてもロードショーでみなくては、と(この地域で)始まるとすぐ出かけてきました。期待以上にじっくりと映画の世界に没入させられてしまい最後は少しじんわりするほど。(うまいなー「月の光」。つくられすぎなのに魅せられる)。映画の設定と同じく子どもが大学生だったりするし、小泉今日子のお年頃からいってもまさに自分の家族と同じライフステージ。 失業という設定が現実味を増してしまいそうな昨今なので、余計にそう感じられるのかもしれないけれど、この家族像はなかなかリアルです。かりにも家族の研究者しているわけですから厳しい目でみてしまうのですが、日本の家族のツボがよく押さえられていて脱帽です。例えば、普段「食べる」っていうことでぎりぎりつながっているところとか(^^;;;.。食卓シーンがやたら多いでしょう。これっていかにも日本の家族らしい。母親が折角つくっても「いらない」っていうし(わが家にはこういう母親はいませんが(笑))。 やっぱしこの監督は小津ファンだったか、と納得しました。リアルといっても、細かい筋でいうと「そりゃないだろ」という出来事の連続なんですけれどね。芸術作品として成功しているんでしょう。戯画的に描いてもそこに私たちが真実を感じ取ってしまうような何かがちゃんとある。どの瞬間ごとに映像の場面を切り取ったとしても、最新の注意が払われているのがスゴイ。クモの巣のように張り巡らされた電線の向こうの一戸建て、仕切りを隔てて見える食卓。目に焼き付いて離れません。ただ、わざとでしょうけれど家の内部の設定は少しずつ古い。黒沢清が育った時代の家の風景が基本に据えられてるのかも。トレンディドラマの家族とはかなり違っております。 家族生活の「底」と日本という社会の「底」がこんな風につながってると私も常々表現しているつもりですけれど、文章というまだるっこしい手段を使わずに映像を使って表現できる監督が、ちょっぴりうらやましくもあります。 そうそう、このブログを前から見てくれている方はなんでまた「空中庭園」に戻ったの?と思われたでしょう。単純な話、フットサルは引退したものの屋上ガーデニングは引退できなかったからなんです。年の始めに消滅?が予定されていたはずの家族生活でしたが、諸般の事情で空中庭園とともに存続しております。トウキョウソナタはそんな私の生活と少々シンクロしてしまった貴重な映画となりました。
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2008/11/11 01:06:04 AM
ついにここまできたか、と思わずにいられない記事をつづけて2つ目にした。 1つは、離婚が環境に悪いという論文が米国のPNASというかなり知られた科学紙に載ったという記事。もう1つは、日ごろ読んでいる日本の新聞で「大家族で住むのは環境にいい」という理由を説明している記事。どちらも大まじめであった。 じつは私も講義で環境の話をするときには、世帯人数が少なくなると1人あたりの資源やエネルギー消費量、ごみの量などが増えるというデータは示している。これはエネルギー関係者にはよく知られた事実なので、いまさら目新しい事実でもなんでもない。1人暮らしするんなら、ルームシェアなんかもいいよ、とすすめたりすることは私だってある。家族のかたちがエコロジーと深く関わっているのは事実である。 でも、だから「離婚しないほうがいい」とか。「核家族より拡大家族の方がいい」、とは絶対にいわない。そんなことが簡単にいえる社会学者はモグリだろう。自然科学の人は、意外にこういうことをさらっと言えてしまうのだ。かつて工学の人だった私はその思考様式も想像できるだけに、なかなか辛い。 私は家族・環境双方の社会学会で研究活動をしている変わり種である。日程が重なったりして困ることさえある。それほど両方で活動してる人は少ない。日ごろこういう研究がどちらの学会でも話題になることはほぼありえないだけに、世間はすでに先を行っているのだとあらためて実感させられた。 家族の規模が小さくなっていくのも、それなりに理由あってのことなのだ。より従来型の家族から離れた自由な人生を選びたいという人々の価値と、環境への負荷を高めないほうがよいという価値は別ものである。どちらか一方の価値がより重要だ、と簡単に優劣はつけられない。エコロジーのために離婚を思い止まる人は、まずいないだろう。人の常識的な思考は、環境を研究する科学者の思考よりもまっとうなのかもしれない。
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2008/10/19 07:20:55 PM
ずいぶん長いことアメリカで起きている話を聞いていても、あまり感心することがなかったから、議会が銀行救済の法案を否決したと聞いて、「うわー、すごい」と久しぶりに思った。日本だったら、「空気読めないのか!」と非難されそうな行動なんじゃないだろうか。なんというか、民主主義の原理原則にしたがって民の声をちゃんと届けるというあたり。議員の投票履歴をチェックするという有権者もすごい。個人の判断を積み重ねるというのはこういうことなのか、といまさら感心した。 株のニュースは嫌いである。投資するような余剰資金のない私には、株価の変動を一喜一憂する必要もないけれど、上がったり下がったりするのは当たり前のものなのに、下がると大騒ぎになるからうんざりする。実在の世界を舞台にして複雑なルールを作り、「詐欺」にならないすれすれのところでゲームを楽しみ巨額のお金を儲けている人たちがいる。「ばば抜き」に参加したのだから、最後までスリリングなゲームをじたばたせず全うしてほしい。「恐慌が起きるから銀行を救え」って脅し文句には飽き飽き。世界は意外にタフに出来ていると思うよ。終わりはいつも始まりなのだから。 それにしても、日本の銀行がこんな状況にならないのは、住宅ローンを返せなくなったからといって、当事者が生きている限りは個人が借金を取り立てられるという容赦のない日本の制度のおかげ。返せなくなったら銀行が困るアメリカとは真逆なのだ。というわけで法人は生き延びやすく、個人は自死にまで追いつめられたりするわけで、世界には迷惑をかけないけど、かなり惨めな社会でもある。お金にめぐまれない人ももう少し堂々と生きられなくては。 しかし、上に立つ人は真摯に状況を受け止めてほしい。ちかごろ政治のトップにたった人は、どうみても「あっけらかん」としているように感じるのはなぜだろう。
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2008/10/01 12:59:38 AM
そろそろ海外で滞在する日々も残り少なくなってきた。国外ですごす人が誰しも感じさせられることだろうけれど、どんなに1人の個人でいようとしても日本人である、ということをいつも背負って過ごしていた気がする。時にはめんどうな思い込みに辟易するとはいえ、たいていは過去の日本人が積み重ねてきたふるまいと経済的繁栄の恩恵を被っていると実感する。 1つの象徴が「ビザ」。アジア人でこれだけ自由にビザに縛られず多くの国を行き来できている国は少ない。私のようにちょっとイギリス国外を旅行してくる、などということを多くの周りの仲間はできないのである。中国人の日本への個人旅行を目的としたビザがこれほど難しいということもよくわかっていなかった。日本人は気楽にいけるのだから、こんなに不平等な状況はない。もう1つの恩恵は「通貨」。ずいぶん弱くなった円だとはいえアジアの国々の水準から比べたら決定的に違う。同じような日常を送っているので、値段に対する受け止め方の感覚の違いが際立つ。同じような距離にありながら、「また来ることはそれほど難しくない」という気楽さは彼らにはない。 「技術」のブランド力に関していえば完全に日本信仰が存在している。安くてよい製品をつくるために人々が生活という面で払っている代償は大きいけれど、そういうネガティブな情報は出ていかずに製品だけが氾濫していく。日本を訪れた人はその信仰を補強するような面を探して帰ってくる。新幹線に象徴される公共交通網はたしかに素晴らしいかもしれないが、大半のエレクトロニクス製品はいまさらmade in Japanでもないだろうに。日本人だからカメラをはじめ機械の操作に強いと思われても、はっきり言って困る。だいたい車は持っていないから種類とかには全く関心ないし。最近人気の領域が「ファッション」である。若い女の子の関心は日本の化粧品や洋服のブランドにある。翻訳されてる日本の雑誌を購読してたりするから舌を巻く。ほかにも「アイドル」ってやつもある。ちゃんと日本語のフレーズで歌えたりするから脱帽するけどあんまり詳しくない。というわけで、かなり期待外れの日本人になってしまう。 なんとか対応できるのは「マンガ」くらい。「ナルト」にはもう驚かないが、でもマイナーなものは私の方がわからない。さすがに、ナイジェリア人の子に「ハナヨリダンゴ」って知ってる?と聞かれたのには驚いた。どうやらドラマが翻訳されて放映されてるらしい。ここに来ている学生たちは決して親日派ではない。イギリスを留学先に選んでいるのだから。それなのにこれほど好意的な情報を持って来ているということは、素直にありがたいと受け止めるべきだろう。 そして「食」である。スシを毎日食べると思われるのは困る。とにかく高すぎるから日本食はほぼ食べられなかった。さすがにこの面では早く帰りたい。ところがほかのアジア人は必ず自分たちの食生活をそのまま自炊で維持できている。ここの食事はrubbishなんだそうだ。私は郷に入れば郷にしたがえで、ここで一番安くておいしそうなものを食べればいいという考えなんだけれどな。あらためて気づいたのは日本食というのは保存が利かず新鮮さを重視するものが多いし風土との結びつきが強い料理だから、海外で維持するのはかなり無理があるということ。これは大変重要な問題かもしれない。中国料理は保存の利くものと現地で手に入るものとの組み合わせでなんとかなる。東南アジアや中東の食も素材よりは香辛料などの違いで差別化されるものだから、それさえあればなんとか日常食が維持できる。ところが日常食の新鮮な「アジの塩焼きと納豆」などという料理はどうしてもここでは食べることができない。幸い「うどん」は割と安く手に入るので助かったが、太くて何かの生物みたいで気味が悪くみえるといわれた。 こうやってずらずらと並べてみると、なんとたくさんの領域で「日本人」であることを背負わされていることか。ある意味では凄いことだと思う。(ほとんど私に説明を期待されても困る領域だが。)人は周りを見て自分たちの特徴を感じ取る。結局のところ私でさえ、もの静かで生真面目!?な日本人の1人にすぎないことを実感しつつ帰途につくことになりそうである。
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2008/09/01 06:08:51 AM
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