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あるDrの半生(反省)by ge5999

過去ブログ

出会いが新しい飛躍を誘発する。1986年
医学部に入ったのは、法医学に興味があったからだ。殺人事件などの捜査の上で死亡推定時刻や死因、凶器などについて鑑定を行う基礎医学の分野で、警察の仕事と密に関係する仕事だ。医学部4年生の時に法医学教室にお世話になり、法医解剖のお手伝いをさせていただいた。主任教授は事件のあるごとに僕を解剖に呼んでくださった。そこでは僕は脳の摘出を共同担当(技官の先生と)し、何度となく開頭を(脳神経外科の開頭のエレガントさにはかなわないが)していたことから、脳神経外科にも興味をもっていった。法医学の道を目指すべきか、それとも臨床医学の道か、迷っていた。5年生の時、医学部の男声合唱団でカリスマ的な声を操るドクター YH先生に出会った。YH先生に何度かお話きいていただいているうちに、法医学もすばらしい学問だが、やはり生体を扱う仕事のほうがより自分に向いていることに気いた。人の進歩というのは連続的なものだけではなくて、あるときサッっと飛躍するように進歩するものも多くあるのではないかと思う。僕の場合は、すばらしい人物との出会いによって、その飛躍が起こってきたように思う。

教授との出会い。(1987年)
医学部卒業半年前、僕は外科の教室に進む(入局する)つもりでいた。当時助手をされていたM先生にも話を通してもらって、外科の主任教授のところにも外科に入局する方向で話をすすめていた。ただ心残りなのは、仲の良い複数の友人が脳外科に入局するため、気の会う友人と離れることになることだった。ある日居酒屋で外科の先輩先生方と歓談していたところ、思いがけず脳外科の先生と出合った。僕はその先生の席に呼ばれてしまい(今考えると呼ばれていくこと自体外科の先生方に失礼だった)そのまま、脳外科の医局に入局することになった。その頃(今も)脳外科に入局する物好きな若者は少なく、僕のような根性無しのどっちつかずでも呼んでいただいたのは幸運だったと思う。一方、外科の先生方には本当に申し訳なく、教室に出向いて教授に陳謝した。僕の脳外科医としての一歩が始まった。 


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