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八木哲郎の日記

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2012/05/16 楽天プロフィール Add to Google XML

沖縄40年経っても何も変わらず


沖縄復帰後40年経ったが、米軍基地はほとんど減らない。米軍基地の75%が沖縄に
集中している。
普天間を辺野古に基地を新たに作ってそこに移すという日米合意があるが、こういう合意はその後の外交交渉で見直しの交渉をするというのは世界の歴史の中でいくらでもあるわけで、やる気になるかならないかである。要するにその気がないから合意、合意というだけである。
沖縄をはじめ日本各地に米軍基地ができてもう67年、あと33年で百年である。もし百年となったらこんな屈辱的な状態は世界の笑いものである。そうならないようにすこしずつ変えていくというのが政府の役目である。
日本の防衛は自衛隊がやるもので、それを外国にたよるという考えが間違っている。
いつまでも米軍がどかないのはおもいやり予算があるからで、もらえるからいつまでもいるということになる。これをだんだん減らしていき、向こうが経費にたえられなくなって自然に退いていくという風にすべきである。
中国の軍艦がくるとか北朝鮮の原爆があるというが、どこの国でも自国の防衛をやるのが普通で、それをやっていないのは日本だけである。


Last updated  2012/05/16 06:44:44 AM


2012/05/10

およそ不自然な小沢一郎事件の控訴

また検察審議会の3人の検察官役になった弁護士が控訴した。
このしつこさったらない。
小沢が特捜検察のトップの首を挿げ替えてやるといったことで始まった検察の徹底的な小沢を排除しようとする権力闘争である。
検察官役の3人は市民代表だというが、そういうものではあるまい。もし市民代表というのであれば、広く市民に訴えるべきなのに、3人だけの判断で控訴した。いったいどういう市民なのか、市民が彼らを応援している様子はない。市民の名をかりた何者かの差し金か検察の傀儡だろう。
一審をひっくり返す可能性は低い。ねらいは今の野田内閣が消費増税を断行しようとすることへの援護射撃で、小沢を遠退けておこうとするものだろう。
こんなことをすればなぜここまであがくのか、逆に市民の疑惑が深まったといえよう。


Last updated  2012/05/10 06:55:11 AM

2012/05/04

日ロが結びつく必然性

東京新聞の佐藤優氏のコラムはかならず見ている。
今前原氏がモスクワに行っているらしいが、佐藤氏は何らかの新しい進展があると思うと書いてあった。私もそう思う。というのは必然性ということを考えれば、日ロが接近するのは双方にとってメリットがあるからだ。日本がアメリカからだんだん外されていくのは目に見えている。日本はかつて大東亜共栄圏というのをやったが、それは到底無理で失敗した。なぜなら日本のような資源のない、生産力のない国はアジア、とくに中国に必要な物資を供給できないからだ。まとめられる国はギブ能力がないとだめだ。もしそれをやれる国があるとすれば食糧生産力の余ったアメリカである。したがってTPPはアメリカがやろうとしている大東亜共栄圏であるとみている。
日本は米中の間に立って押しつぶされる関係にある。こういうときにやる気になれば利害が一致するのは日ロである。人口も文化度も同じ程度である。しかも日ロ戦争以来、いやそれよりも長く食わず嫌いで付き合ったことがない国である。
しかし、明治期から昭和までロシア文学は日本人によく読まれ、ずっと親近感があった。
東シベリア開発、エネルギーで必ず一致するメリットがある。
馬鹿のひとつおぼえのような4島返還強硬論だけでは話が進まない


Last updated  2012/05/04 07:16:06 AM

2012/04/27

小沢一郎を無理やり政界から排除しようとした官僚の敗北

 とうとう決着がついた。
この国には2つの権力があって、1つは政党がつくる内閣がもつ権力、もうひとつは官僚が持っている権力である。民主党に政権交代して小沢一郎が首相になることが見こされたとき、検察は小沢秘書の政治資金規正法違反の罪をこしらえて小沢が首相になる道をふさいだ。検察が2度も起訴を見送ったのを検察審査会が強制起訴して裁判を繰り返したが、石川秘書が小沢が関与していたことを認めた捜査報告書がうそだったことがばれた。今日の東京新聞朝刊のコラムで佐藤優氏が石川秘書にかくし録音をすすめたことが書いてあった。石川氏はまじめな人らしく、担当検事が人間的にいい人だったので、初めはかくし録音するなどはいやだと言っていたのが、結果的には捜査報告書と隠し録音をくらべてみて捜査報告書がうそであったことがわかったので証拠として採用されなかった。ここまでして小沢を有罪にして政界から排除したい理由は何か。
小沢は特捜部がここぞという権力闘争の場に出てきて、反対勢力をつぶす手法をみてきたので、自分が首相になったら検察のトップに民間人を入れてその芽を断とうとしたことに官僚勢力が恐怖を感じたからだということが言われている。

官僚の権力と戦う意思のある政治家は小沢一郎くらいであろうから、官僚のいいなりになってしまった今の野田内閣に代わって、まっとうな順序にしたがった政治をする内閣になってもらいたい。消費税を上げるのはいずれやむを得ないとして、その前に7.8%2年間だけ官僚の給与を下げるとか、今年の公務員採用は半分へらすなどのお茶をにごす程度ですまそうとする官僚迎合の政治はもうたくさんだ。小沢一郎に期待するゆえんである。


Last updated  2012/04/27 06:30:59 AM

2012/04/23

センチメンタルな旅 2


ここのところ忙しかったのでブログもかけなかった。
やっと一息ついた。
政局をみると、まったく五里霧中といった感じ。消費税と大飯原発の再開を両方強行するというのでは、ドジョウ内閣はもたないと思う。官僚と同盟した内閣でなく、国民の意向を反映した、もっとゆったりと未来を大観した内閣ができればよいと思う。
昨日、衆議院を見学した。昭和11年にできてからもう75年もたっているから中は古風である。例の雛壇をみたが、狭くるしい感じがした。こういうところにいる人はなんとなく意識が限定されるのではないかという気がした。もっと今風な新しい空間と雰囲気にしたら国会の意識も変わるのではないかと思った。

さて、センチメンタルな旅の続きを書くが、萩でまず松陰神社をたずねる。ここに松陰関係のものがみな集められている。有名な松下村塾、松陰が幽閉されていた家などである。いずれも粗末な家である。それから伊藤博文の生家、その後偉くなってから大森に住んでいた時の屋敷などを見た。車のまどから松陰の墓もみる。
長州藩の城下町をみた全体に感想はなんとなく貧しいという気がした。
圧倒されたのは毛利家の菩提寺黄檗宗東光寺で、これは完全な唐風の山門があり、奥が素晴らしく広かった。
そのあと、城下町を見て、萩城を見る。天守閣は焼けてなく、きれいにつんだ石垣が見事だった。
しかしこんなに海のそばにある城は初めてみた。これでは海から攻められる恐れがあるが、海から攻める水軍はなかったのだろうか。もし外国の軍艦だったら艦砲で撃たれてひとたまりもなかったろう。だから長州藩が早く海防にめざめたのではあるまいか。
それから仙崎を訪ねたのだが、これはすでに書いた。
博多に出る。
博多というのは駅周辺にホテルが林立していてすごい大都会である。
焼肉が食べたいと弟が飯田市、焼肉屋を探したが、どこも8時半まで貸切で断られた。やむなく天神の韓国系の店で空腹を満たす。
翌朝、親戚の花田さんにホテルに来てもらって朝食をともにし、熊本にむけて発つ。


Last updated  2012/04/23 11:02:53 AM

2012/04/12

センチメンタツな旅1

先月26日から4月1日まで萩、仙崎、福岡、熊本と旅行した。兄弟3人で六十数年前に北京から引き揚げてきた経路を歩いてみようというセンチメンタルジャーニーだった。
昭和21年4月の初め、私たちを乗せたアメリカの上陸用舟艇リバテイ船は最初は佐世保行きだったが、港が混んでいるという理由で仙崎に回ったのである。
最初に船上から見上げた仙崎港は小高い丘の上に桜が咲いていた。
埠頭ともいえない漁港の船着場には黒っぽい砂利石が一面に敷いてあった。
今はもうそういう面影はない。コンクリートの岸壁があるだけである。引揚げ港であったことと記す記念碑が立っていた。当時人口1万5千人程度であったこの町に45万の引揚者が上陸し、また朝鮮半島に帰国する人が31万もここから発ったというから当時のこの港は空前のにぎわいというか、混乱の極であったと思われる。
さっそく弟が最初に見た桜のあった丘にあがりたいというので上がってみた。たしかに今でもその桜が咲いていた。
この仙崎という町は金子みすずの生まれたところである。生家はこじんまりとした記念館になっていた。みすず通りなんていうのもあった。3.11以降につけられたのだろうと思う。

 さて、65年前に私たちはリバティ船の中のバスケットボールコートに難民としてぎゅうぎゅうにおしこめられ、そして解放されたとみるや追い立てられるように正明市にあるお寺に急がされた。なぜ急がされたかというと早くいかないと寺の寝泊りするスペースがとれないということで重たい荷物をもって弟妹を連れて走ったことを覚えている。この寺は30年ほど前に来たときは捜しあてられなかった。しかし、今回はみすずの墓があったお寺の住職に聞いてわかったのである。
当時のままの山門があった。まぎれもなく私の過去がそこにあった。



Last updated  2012/04/12 05:47:38 PM

2012/03/16

仲代達矢のせりふおぼえ

14日は知研の総会。池中さんが議長をつとめその後パーティまで仕切ってくれたので大助かり。実に有能な人だ。総会を無事終えて小中陽太郎さんの講演になった。座談の名手のいわれに恥じず、たくさんの資料をコピーして配られ、味のある話をされた。
その後のパーティは小中先生が連れてきてくださった編集者の方々も参加してきわめて盛会。
翌日は疲れて本だけ読んで過ごした。
例年だが3月というのは疲れる月である。気温の上下、寒さが一向に減らず、体調も日によってまちまち、知研の総会、税金の申告、都庁へのNPOの事業報告などが集中する上、いろいろなイベントも多く、世の中が動き出す月でもある。

朝テレビを見ていたらNHKのあさいちの番組に仲代達矢氏が出ていた。私とほぼ同年代である。
この人はいい家のおぼっちゃん育ちではないかと思っていたが、母子家庭で育ち、高校も定時制でいろいろな職業を転々としていたと知って驚く。黒澤監督との最初の出会いは「七人の侍」の通行人だけで、たった通行のシーンをとるだけで6時間もやらされ、それがいかほどか気に食わなかったらしく、その後黒澤監督からの出演依頼を断ったというエピソードがある。それから「用心棒」の三船敏郎の相手役という大役に抜擢される。
仲代達矢の個性がこのころから存分に発揮される。

今でも演劇に出ているが、自宅の部屋の壁にいっぱいはってあるものがあった。よくみるとそれは台本の写しである。筆でいちいち半紙に写し取り、自分のセリフは大きく書き、相手のセリフは小さく書いてある。なるほどなと思った。台本は本になっているからページをめくらねばならないが、これを全部写して一覧的に壁に張っておいて毎日のように見ていれば自然に覚えてしまうだろうと思う。あそこに書いたセリフだなと位置まで思い出す。「ハムレット」のセリフはトイレのなかだったそうだ。一流の役者でもこれだけの努力をしているのだなということが分かった。


Last updated  2012/03/16 10:31:02 AM

2012/03/10

まるで魔女裁判の求刑禁固3年

まるで魔女裁判
検察が2回起訴しようとしたが、できず3回目で弁護士が検事役になって論告したのが、
小沢一郎禁錮3年で、その理由に曰く「周到な準備と巧妙な工作による計画的で悪質な犯行、法を軽視し、規範意識は著しく鈍っており、再犯の恐れは大きい」
ここにはどういう法規違反になるのかがはっきり述べられていない。
規範意識が著しく鈍っており・・云々で禁錮になるなら今の政治家はほとんどみな禁錮になるのではないか。法律はあくまでも法律違反かどうかだけで、倫理は含まない。国民はそんなことはわかっているはずである。

野田首相は今や消費税値上げに必死である。それで自民党の谷垣氏と党首討論の前にひそかに会って口裏を合わせようとした。
民主党の半分と自民党の半分を合わせれば消費税が通るとみて、野田首相は消費税値上げが成立してから解散するといい、自民党は消費税成立前に解散せよという。しかし谷垣氏のように消費税を上げる前に解散すればかえって行方はまったわからなくなるのではないか。谷垣氏というのはおかしいのではないか。
野田氏はあくまでも消費税を上げてから解散の線で、本当は消費税を上げる前に公務員の2割削減、政治家の削減を行えという国民の要求をまったく無視している。
消費税が上がっていちばんうれしいのが財務省で、財務省は消費税が上がったなら、行政改革もバランス上やむを得ないと思っているだろうと思う。
野田氏は消費税を上げることで後世に名を遺す首相になりたいという念願仕切りで、そこにしゃにむにつっぱしろうとする。自民党は自民党で消費税を上げたら、野田首相は約束を守らず逃げるのを警戒している。
4月に小沢一郎が無罪になって帰り咲いたらどういうことが起こるだろうか。


Last updated  2012/03/10 10:59:57 AM

2012/03/08

「戦火の馬」を見ての感想。馬よ、ありがとう

昨日、「戦火の馬」というスピルバーグの映画を見た。馬に対する感慨がわきあがってきた。
馬という動物くらい古代以来人間に奉仕した動物はいないだろう。もちろん牛や豚、羊、鶏なども人間に食糧として貢献してくれたが、馬は農耕における役畜以外に乗馬、馬車として移動、運搬、戦争のときには人間の足となってともに戦い、生死を共にしてくれた。したがって馬に対する思い入れには深いものがある。
戦争になると人間の徴兵と同じように馬にも供出が求められた。それで戦時中、泣く泣く愛馬を供出したお百姓さんの悲しみとかお国のために戦ってこいよ、などというはげましの記事などが新聞に載った。愛馬行進曲という歌も流行って歌われた。
「くにを出てから幾月ぞ、ともに死ぬ気でこの馬と、攻めて進んだ山や河、とった手綱に血が通う」
スピルバーグの映画にも同じような人間の馬に対する愛情がにじみ出ていた。どこの国でも同じだったのだなと思った。
馬を扱う輜重兵や馬卒などには馬をいたわる人がいたことを思い出す。あまりにも馬がかわいそうで荷物を担いでやったとか、車を押してやっただとか。農民出身で馬とともに生きてきた人たちだったのだろう。
戦場ではおびただしい戦死者、戦傷者が出ると同じように馬の戦死戦傷馬がたくさん出た。林芙美子の漢口戦の従軍レポートに戦場に遺棄されたおびただしい敵兵の死体よりも馬の死体を見て哀れを感じる記述がある。人間が勝手にやった戦争に馬が引きずり込まれてかわいそうな目に遭っていることに対するあわれみだろうか。

映画ではバリケードの鉄線に絡み取られてもがき苦しんでいる主人公の馬に敵味方の兵隊たちが注意を向け、勇敢なイギリス兵士白旗をもって助けに行くシーンがある。ところが鉄線を切る鋏がなくて困っていると敵のドイツ兵が出てきて鋏を提供し、一緒に切る。こういうところがスピルバーグの真骨頂だ。
戦争が終わって無事に息子と馬が懐かしの故郷に帰ってくる。平野一面を照らす夕焼けをバックにしたラストシーンがよかった。
馬よ。ありがとう。


Last updated  2012/03/08 07:31:02 AM

2012/03/03

今日はたのしいひなまつり

スーパーで買い物をしながらしきりに流れる「うれしいひな祭り」の歌を聞く。なんともいえないいい歌だ。サトーハチローはこの歌詞をつくっただけで価値ある人となったと思う。また河村光陽の曲がいい。なんともいえないやさしい、そしてたのしいけれどもほのかなペーソスが漂っている。涙がこぼれてきた。
私はこんな美しい風習のある日本に生まれてきてよかったと思う。
 前の週に調布のすこし先の駅、仙川の留学生寮に遊びに行った。そこに雛段がかざられていた。中国人とベトナム人の学生と歓談した。中国語とベトナム語が似ているのでそれを確かめたかったからだ。わかったことはカンボチャやラオスはタイ、インド文化の影響をうけているが、ベトナムは中国文化の影響をうけている。相当古代に中国の広西省から下ってきた人たちがまざったからだろう。
23歳だというベトナムの女子学生はもうベトナム戦争の記憶がない。おとうさんも記憶がないという。だからおじいさんから話をよく聞いたという。ベトナム戦争も遠くなりにけりだ。
しかしアジア人はいい。2人ともセンチメントは日本人とあまりかわらないと思った。
暖かくなるということは本当にうれしい。
スーパーから帰ってきて税金の申告書をつくる。庭にソラマメの苗を植えた。


Last updated  2012/03/04 12:44:58 AM


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