21日に東京新聞の土田修記者と世古一穂氏の会に顔を出し、「公共するジャーナリズム」という話しを聞いた。つまり特定の新聞社によって流される情報はもはや公共ではないから、ほんとうに公共に役立つジャーナリズムを育てたいという話しである。
ここにも勇気のある人が出てきた。
最近の新聞は新聞社という会社のサラリーマンによる作文だとさんざん書いてきたが、はからずも土田さんという現役ぱりぱりの新聞記者からその裏付けを得た感じだ。
土田さんは他の新聞記者たちと互いにジャーナリストなんて恥ずかしくて言えませんと言う。
新聞もそうだが、テレビはもっとひどくなった。さんざん地デジの宣伝と勧誘を受けてどこの家でも多大の出費をしてデジタルに切り替えたが、画面はよくなっても内容は地に落ちた感じだ。NHKは聴視料でなりたっているからいい番組もあるが、民放に至っては番組にCMがつくのではなくCMに番組がついているようになった。全編CMみたいな番組ばかりだ。
若手のなかなか鋭い評論家だと思っていた人がある日みたら芸能人と一緒にCMをしていた。それ以来この人は信用しなくなった。このランドセルにはA4も入りますよ、なんてCMしている教育コメンテーターの言うことも信用しない。
アメリカでは公共するジャーナリズムが進んで、ジャーナリズムはもうNPOかNGOがする時代になったと言われ出した。我が国でもブログやツイッターでこういうことが進んでいる。
官僚の発信を発表するだけの発表ジャーナリズムなら、官報と同じであるから、XX官庁ではこういうことを言っています。そこの局長はこう言いました、と書いてくれたほうがいい。ところが名前を出すことは禁じられていて、そこのところが曖昧化されて「こういうことがわかった」「・・が進んでいる」などという書き方で新聞社によって情報がつくられるわけである。
意図的につくられた情報はCMと同じである。本当に市民の立場に立った情報がどんどん増えてほしい。
Last updated
2012/01/25 02:31:10 AM