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テーマ:ブラジル生活(499)
カテゴリ:音楽
このアルバムを初めて聴いたのは大学のJAZZ研で活動を始めて、夏の合宿に参加したとき課題曲を「イパネマの娘」にしたときだった。 聴いて心地よさを感じたし、こういう曲を聴く自分が、周りの人より大人になったような感覚で、今から思えば、生意気な若造に見えたと思う。 ジャズのテンションを含んだコードや、転回した和音の押さえ方もこの曲で学んだ。 ボサノバ=お洒落な音楽、ロックと違うちょっと大人の音楽といった感覚でとらえていた。 ボサノバに含まれる複雑なコードの響きや、ちょっと自分は他の人と違う音楽を聴いているんだぞ、といった感覚が実は、歌の中に含まれていたことを最近知った。
このアルバムの4曲目のデサフィナード(desafinado 調子っぱずれ)の歌詞の和訳(ブラジリアン・サウンドより)にはこう書いてある。 もし君がぼくの態度を(Se voce insiste em classificar) 反音楽的と決めつけるのなら(Meu comportamento de anti-musical) こっちだって、うそでも反論するよ(Eu mesmo mentindo devo argumentar) これはボサノヴァなんだと(Que isto e bossa nova,) そしてこれはごく自然なものなんだと(que isto e muito natural)
ジョアン・ジルベルトがささやき声で歌った「デザフィーナード(調子っぱずれ)」は、ボサノバのことを「音痴歌手のための音楽」と音楽評論家に酷評されたことに答えた皮肉の歌だった。 当時のブラジルではオペラのように歌うのが当たり前の中で、ボサノバのささやく歌声は、異質な空気感を漂わせていた。 続くこの歌の歌詞はさらにひねりをきかせている。当時の批評家に対して語ったジョビンの言葉を引用する。 「この曲は実際は、少しも調子っぱずれではない。これはわざとひねりを利かせて作った曲なのだ。タイトル自体もひねっている。もしフレーズの最後の音が聴き手の期待を裏切るように下がっていかなければ、これは面白みのないごく普通の曲にすぎない。メロディーだけでなく、この曲の歌詞にも批判精神が盛り込まれている。女の子の隣りに住んでいる男は、確かに調子っぱずれではあるが、その女の子に真剣に恋をしている。そして彼が彼女にいいたいことは、まわりには調子のよい人間が沢山いるが、そんな奴に限って人を本当に愛することを知らないということだ。調子が合っているなどということは、人を愛することから比べれば何でもないことだということを、この曲はいいたいのだ」(ブラジリアン・サウンド p85)
ボサノバのリズムの誕生には、釣りのリールを巻く音から思いついたとか、当時の様々な音楽家が、ボサノバのはしりみたいな音楽を作り始めていたとか、諸説、入り乱れている。 ボサノバ(bossa nova 新しい傾向、感覚)には、サンバと異なるリズム、和音にテンションが加わり、今まで違う音の響きがあり、メロディーが予想を裏切るように変化し、調性がスライドし、歌詞も音楽に溶け込む響きを求められた。 すべてが新しい傾向(ボサノバ)を打ち出していた。
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Last updated
2007.09.11 23:39:24
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