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3月28日 7階病室の窓から阪急電車の中津駅が見えます。電車がひっきりなしに出たり入ったりしています。ベッドの母には、白い空しか見えません。 夕食も普通のご飯でした。 「要らん」と母は言いました。 「サワラの焼いたん、食べてみる?」 「梅干しで、お粥さんやったら食べられるかなあ」 食欲が全然ないというのでもありません。 「バナナ、食べる?」 「ちょっとだけ、食べてみよか。入れ歯、とって」 上の歯を渡したのに、なかなかうまく入りません。糸切り歯が一本だけ残っているので、その歯に合わせないと入らないのです。暫くもごもごして、指であちこち押していましたが、諦めました。「やめとく」とつまみ出して、私が差し出した容器にポトンと入れました。 お茶だけ少し飲みました。 ナースがお膳を下げに来たので、私は言いました。 「食べられる時は離乳食みたいな潰したもんばっかりで、食べられないようになってるのに普通食は不親切やないですか? 入れ歯がうまいこと入らないんですよ。患者が食べても食べなくても、あんたらはなんともないでしょうけど...」 ナースはびっくりしたように、私の顔と手つかずのお膳を代わる代わる眺めました。 「お粥さんに梅干しやったら、食べられるというてたんです」 「じゃあ、明日の朝から前の食事に変えてもらいます」 前の食事は見るからに不味そうだったので、無駄かも知れませんけど、入れ歯の加減ならそうでないかも知れません。 食事はどんなものをどれぐらい食べたのか、なにをいつも残すのか、一度も見ない先生に、訊いて確認するというのもフシギなことです。 8時過ぎ、眠っていると思っていた母が突然言いました。 「力餅、お客さん何人おった?」 「ちからもち?」 「あんた、行って来たんやろ?」 「うん」 「客さん、3人ぐらいか?」 「3人やった」 「潰れそうやから、よそで食べるのやったら行ったってな」 「そうやなあ」 「晩のカンゴフさんは、3人か?」 「3人」 「カンゴフさんに、おうどんとったげて」 よっしゃと首を振って、じっと立っている私に、母は声を大きくして言いました。 「はよ行かな、閉めてしまいはる」 力餅食堂は母の住まいの近くで、50年以上のひいきです。母の家へ行くといつも、「力餅のおうどん頼んだろ。お母ちゃんも食べるから」と、電話してくれました。私にふるまうのではなく、さびれた店を応援していたのです。 家で寝ていると錯覚しているにしては、「晩のカンゴフさん」はおかしいです。でも、「電話してくる」と部屋を出ました。
3,27 午後、姉が電話して来ました。 「『晩に、交代で付いててください』って、先生が言うてはるねんけど...」 「今から行ったら、6時過ぎるわ」 「あんた来るまで待ってる」 そんなに悪いのかと思いながら、病院へ急ぎました。途中、地下鉄のエレベーターの中で初老の婦人に、「今からお出かけですか?」と声を掛けられました。全然知らない人です。私に似た人がよくいるらしく、時々道であいさつされたり、話しかけられたりします。いまから行くのか家へ帰るのか、どうして判るのでしょうか? 「病院へ。うちの母100歳で、先月から入院してますねん」 「あー。私の母は、100歳になれませんでした。98でした」 100歳だったら、何処が悪いのですかとはもう訊かれません。私もドクターの診断は信じていませんから、人には言いません。 「気ィつけて...。あんたが倒れんようにね」 自分では判りませんけど、疲れているように見えるのでしょうか。こもところ、電車やバスで席を替わってくっる人が増えました。
病室へ入ると、姉はまだベッドの傍にいました。 「もうなんにも食べへんねん。点滴はしてるけど、手も足もみんな漏れて、嫌がってる」 「点滴、もうやめて貰おか」 義父は、2週間昏睡状態で栄養と水分の点滴をして貰っていましたが、延命の効果があったとは考えられません。効果の無いものなら、痛いだけ余計です。母は目を開けて、「かりんさんか」と言いました。「晩に付いててくれるのん?」 姉は毎日来るけど昼間だけで、夜いるのは私だけと知っています。 「はよ、お風呂のある病院へ変わらな、入られへんようになる」 この病棟にもお風呂はありますが、一人で入れる人しか使えないようです。早くにホスピスへ移りたいと言ったのに、担当のドクターは、「移動するのは危険です」としか言わないのです。トイレへ行くのも危険、おむつを替えるのも危険と言って、寝たきりにしようしようとナースに命令して来て、母はすっかりドクターのベースに嵌ってしまいました。病院に、ドクターへの不信を相談する窓口がないとは、おかしいことです。 数日前、私が相談に行った部屋の係員が、この病棟のナースセンターへ電話して、担当のドクターが「そういう相談は、この病院では受け付けていないと言ってください」と言ったとしか思えません。 姉が帰ってしまうと、母は「ティッシュペーパーをとって」と言いました。口の中にティッシュを丸め入れて、痰を拭い取りました。こんなことが出来るのに、誤飲などする筈がありません。 「また晩になったなあ。ここにおったら気が急く。じいーっと寝てて、生きててもしようがないのになあ」 「『家へ帰ります』って、センセイには言うてんねんけどな。看護師のイシダさんに、お母ちゃんが言うてみたら?」 「ボケたおばあさんのわがままやと思うだけやろ。えらいとこへ来たなぁ」 母が希望するガラシャ病院なら、ベッドで24時間という生活をしなくて済んだと思います。ガラシャ病院の相談係の人は、私が送ったファックスに答えて、「こちらに入院は出来ますよ。その病院の先生が移動に同意なさらないのだったら、医療相談室に行きなさい」と教えてくれました。 検査しないでドクターが勝手に肺がんと決めて、患者とその家族が切望する転院を阻止する権利があるのでしょうか?
24.3.22 おむつを汚して取り換えて貰うのが嫌という母に、ナースがリハビリの先生を連れて来ました。白衣を着て、マスクをしています。ナースもマスクをしています。 「〇田さん。リハビリの銀〇です」 母は、担当医が変わったのかと不審そうな顔をしていました。 「明日からリハビリ初めましょう」 補聴器をしていない母は、よく聞き取れません。 「明日から、リハビリ、初めましょう」 私が言いました。「唇を読みますので、マスクをはずしておっしゃってください」 「ああ。はいはい」 センセイはマスクを取って、「リハビリ」と言いました。 「ああ。リハビリ。リハビリはもう要りません。そんなに歩くことありませんから」 「トイレの練習です」 母「此処へ入院するまで、一人で出来たんです」 銀「ちょっとの間に足が弱ってしまいましたからね、また練習しましょ」 私「寝たきりのボケ老人扱いしはったから、ほんまに壊れてしまいましたわ」 銀「此処へ来るまで、どれくらい歩いてはったんですか?」 私「ベッドの横に置いたオマル使って、ベッドを半分回ってテーブルの方向いて腰掛けてました。腰掛けて、新聞読んだりテレビ見たり...」 銀「はあ。かなりシッカリしてはったんですね。なんで、病院へ来はったんですか?」 私「急にしんどうなって、一人暮らしですから心細かったんでしょう」 人に訊かれたら言えるのですが、母が一人で暮らしている間、心細いだろうと考えたことはありませんでした。火の回りの早い日本の家屋では、火事になると必ず死人があります。普通に動ける人でも不安はあるでしょう。病院へ来れば、点滴、採血、血圧測定は覚悟しなければなりません。 母はこの部屋に移ってからすぐに、心電図の測定器も指先に付けられていました。
3月19日 この日行くと、また部屋が変わっていました。今度はナースセンターのすぐ前でした。 部屋は、センターの後ろの部屋と全く同じでした。入ったすぐ右側がトイレと洗面所、ベッド が奥に、窓と平行に置いてありました。 「詰所の前や、言うたら、『死に部屋か』言うてた」 義父も、詰所の前の部屋に入って13日めに亡くなったのです。10年前の、暑い5月でした。 姉「ほんとに危いらしい。昨日から、なんにも食べへん」 私「食べんとおったら、死ねると思てんのと違う?」 姉「そうやなあ。無理にでも食べさそう」 姉は、うとうと眠っている母に「おかあちゃん。カステラ食べる?」と訊きました。 母「要らん」 姉「なんにも食べんかったら、家へ帰られへんよ。ここで死ぬのん嫌やろ? 一人でトイレへ行けるようになったら、車椅子で動き回れる病院へ移れるし...」 母「そうやなあ。お風呂も入りたいしなあ」 姉「カステラ食べ」 姉は一切れのカステラを小さく割って、母の口へ入れました。 「お茶も、飲ました方がええな」 カステラがまだ口の中にあるのに、ノズル容器に入った液体家伝薬を入れました。 苦い油薬です。 「はい。お茶」 吸い飲みで、母はお茶も飲みました。 「不味いわ、そんなん...」 姉と私は笑いました。母も文句は言わず、少し笑っていました。 「なんにも治療して貰えへんのやったら、家へ帰ってうちの薬飲んでる方がましや」
3月17日 「テレビ、見たらええよ」 と母は言いました。ベッドの足元の隅にもう一つ整理箱があって、小さなテレビが乗せてありました。母は入院してからずっと、補聴器をしていませんでした。私や姉がいない時は、大方眠っているようです。 「別に、見たい番組も無いから...」 「椅子持って来て、腰掛け」 いつも、人のことに気を配っています。ベッドの横に椅子を寄せて腰かけました。 「あんたらのお父さんの従兄の幾さんがな...」 と、話初めました。この話、書いたような気がしますが、何処へ書いたか忘れましたので、また書きます。 「川のそばに住んでてん。大水が出た時、死んだ人がようけ川を流れてくるねん。それを引っ張り上げて、川の縁に並べてたら、身内の人が探しに来て、『あ。これはうちのダレソレですわ』言うねん。『焼きはりまっか。埋めはりまっか』『焼きます』言うたらそこに木ィ組んで死んだ人を乗せて焼く、『埋めます』いうたら荷車でお寺へ運んで埋めさして貰うねん。みな、お葬式やお墓やしはれへん。幾さんは、遺族の人にそれなりのお金貰う。二歳の女の子がおって、賢い子ォで、お父さんが家の中におる時はじぃっと川を見てて、「死んだ人が流れて来たよォ」と教えてくれるねん。それで、お金貯めて、お葬式屋を開きはってん。人5人使こうて、ようはやる(繁盛する)お葬式屋やった。お葬式屋というのは、まだようけ無い時分やった。女の子は、お寺さんに気に入られて、お寺の息子さんのお嫁さんになった」 四、五日前にも姉にこの話をしたそうです。姉が言っていました。 「何でそんな話するのん?!」と訊いたら、『面白いやろと思うて、言うたってんねん』言うて...。コワイわ、そんな話」 うとうと眠っている間に、死んだ人が川の縁に並んでいる夢を見たのかも知れません。病院という処は、妙な夢を見るところなのでしょう。それともただ、私たちが退屈だろうと思って母が作った話なのかも知れません。
3月17日 「おむつは嫌です」と言ったので、コールボタンを押すと車椅子でトイレへ連れて行ってくれるようになっていました。病院という所は、100歳には羞恥心はないと決めているのです。 3人部屋は詰所の後ろ側の、ナースの目の全然届かない部屋でした。「今日明日知れない」という状態なのに、よくそこへ移せることです。夜中に歌を歌ったから一晩だけで別の部屋に移動させられましたが、やはり詰所からはうんと遠い部屋でした。窓から阪急電車の中津駅が見えました。電車の音は聞こえませんでしたが、右へ左へひっきりなしに電車が走っていました。 ベッドは入り口と直角に置いてあって、ドアが開いていると廊下から下半分丸見えでした。トイレが付いているので、車椅子をベッドの横に置いといて貰えば一人で行けると母は言いましたが、車椅子に移り損なったりベッドから落ちたら危ないと、一人では動けないようにしてありました。 「私はどこが悪いのん?」 「肺に、水が溜まってるねんて」 「ふうん。別に、しんどいことないけどなあ」 母は、ベッドの横のスタンドにぶら下げられた点滴の袋ばかり気にしていました。 「もうないようなったんと違うか?」 「まだ、だいぶある」 暫くすると、「もう終わったんと違う?」 「あと、5センチぐらい」 「気ィ付けてんと、終わっても来てくれへん。空の針、刺されてんのんイヤやもんな。 こっちの手も、こっちも、腕も足も、みな漏らしてんで。下手や」 病院な26度に設定してあるので、暑い暑いと言って薄い小さなひざ掛けを布団代わりに着ていました。足はひざ掛けから出ています。 「足は、冷たいことない?」 「足は火照る。足、あっちこっちに怪我してるやろ? 車椅子の足乗せで打ってん。短い脚やから、トイレへ行く間ぐらい足乗せ要らんのにな。下ろしたり上げたりしはるたんびに足打つねん。手荒いわァ」 点滴漏れの青じみ黒ずみ、車椅子で打った青じみ赤じみ、いたいたしい限りです。 お昼ご飯はまだ、離乳食状でした。「こんな気持ちの悪いもん、食べられへん」 梅干しを少しお粥に乗せて、3匙ほど食べて「もう要らん」と言いました。看護師さんが下げに来た時、私は言いました。 「胃や腸が悪いわけやないですのに、なんでこんな食事なんですか? 見ただけで食欲がなくなりますわ。量は少なくていいですから、普通の食事にしてください」 「先生に訊いときます」 1時間ほどして、看護師さんが来ました。 「今夜から普通のお食事が出ます」 言わないと変わらないのです。絶食の必要ないと言ったら離乳食が出て、こんなのは食べられないと言えば今夜から変えますと言うのです。
母が「トイレ」と言いました。コールボタンを自分で押しました。 ナースが来て、おむつを替える準備をしました。 母「まだ出てません。トイレへ行きます」 ナ「このまましてください。終わったら呼んでください」 私「このままするのが嫌やから、先に来て貰うたんです。本人はトイレに行くつもりやのに、なんで、おむつなんですか」 ナ「動かしたら心臓が止まるかも判らないと、先生が言われたので......」 私「なんにも判れへんセンセですねえ。ボケにしたり重病人にしたり。トイレへ行くぐらいで心臓止まったりはしないと思いますわ。」 若いドクターに若いナース。病人の感情や身体の状態を見るより、年齢だけでいろんなことを決めているのでしょう。 ナースは母の耳に口を寄せて、「今は、このまましてください」と言いました。母はしぶしぶ肯きました。意識があっておむつにするというのは、気持ちの悪いことです。
この晩、離乳食みたいな食事が出たそうです。見ただけで、「不味そうやなあ」と、母は言ったそうです。どろどろお粥の上にかつおふりかけを掛けて、持って行った梅干しで3匙ほど食べました。140グラムのお粥とは、3日絶食の人にはメタクチャな量です。 「いっぺんにこんなようけ食べたら、おなか痛とうなるわ」と母は言って、どろどろの緑色(ホーレン草)とどろどろの赤(ニンジン)とべたべたの黄色いもの(南京)を1匙づつ食べました。 姉は毎日病院へ行っていました。いつものように、また元気になって退院するだろうと思って、私は2日か3日おきにしか行きませんでした。 物置部屋へは、2度行きました。 廊下をぐるっと歩いてみた姉は、「3人部屋に、おかあちゃんの名前があった」と言いました。 「あの部屋へ移してください、って頼んだよ。大きな窓があって、ええ部屋や。カーテンで仕切ってるけど、ベッド三つとも窓があるねん」 母は16日の夕方に、物置部屋から3人部屋に移して貰いました。 17日に私が病院へ行くと、母は個室に入っていました。 「夜中に歌、うとうてんてえ。ほかの人に迷惑やから、また移動させられた。謝りに行ったら、『難しい歌、3番まで上手に唄うたはりましたよ』言うてはった。なに考えてんねんやろ」
入院3日目 「巻き寿司一切れと、カステラをちょっと食べた。飴はのどに詰めたらあかんから、スルメ、しゃぶってる。美味しい、 て...。カンゴフさんは、お茶もあかん言うてはるねんけど」 「なんで?」 「誤飲するから、て」 「年訊いたら、あたまからボケてると思てはる。なんのための絶食?」 「絶食点滴、お医者さんのじょうしき」 それで、「今夜から食事出してください」と看護師さんに言いました。 「先生に訊いてみます」 昔住んでいた近所に、お腹痛でも頭痛でも風邪でも腰痛でも、まず注射をして、「お風呂はやめて、当分、お粥さんに 梅干しですね」と言うお医者さんがいました。お腹痛と風邪以外の患者さんは、言われた通りにはしませんでした。 母は部屋が気に入らなくて、「家へ帰った方がええと思うわ」と言いました。 「間違うたなあ。やっぱり病院はあかん。明日帰ってもええか、センセに訊いて」 私達は、ドクターに訊きに行きました。 「それは無理です」 「治療も検査も要りませんから、ここにいても仕方ないと思いますけど」 「今日か明日かという重体ですよ」 「えー? どこも苦しいないと言うてますし、絶食はイヤ、おむつはイヤ、と言うてますよ。誤飲なんかする筈ありません のに、食事もお茶もダメというのはおかしいと思います」 「この状態で誤飲したら、危険です」 「窓が無い部屋で暑い暑い、言うて嫌がってますし」 「あそこは一番いい部屋なんですよ」 「ええ部屋とは思えません」 「ええ部屋なんです。では、今夜から重湯出しましょう」 「はい。ボケ扱いしはる、言うて怒ってます。耳が遠いだけなんですけど」 「あはは。そうですか。明日、トイレは車椅子で連れて行って貰いましょう」 今日明日知れない重体で、ドクター方針そこまで譲歩できますか? 昨日今日なったお医者さんみたいです。
----9日からの続きです----- 3月11日 姉から電話で報告がありました。 「お母ちゃんまた部屋が変わった。ヘンな部屋に入れられてんねん。詰所の奥の物置。 ベッド二つだけで、隣は男の人。カーテンでちょっと仕切ってるだけで、の持つ置く台も無 いねんで。ベッドの足元にべたべたと置いてるだけ。『なんでこんな部屋なんですか?』い うて訊いたら、『重体やからナースの目の届くとこに居て貰ってます』言うてはるねんけど、 重体というのがおかしいわ」 「お母ちゃんは、どういうてるのん」 「なんやこの部屋は。窓が全然ない...いうてる。『おなかすいた』も言うてる。』えらいとこ へ来たなあ』も、言うてる」 「窓もない!? 」 「そうや、物置き。隅っこのカ-テンちょっとめくって見たら、マットレスがいっぱい積んだ あるねん」 「早よつれて帰らなあかんなあ」 「あかん」
3月10日。 この夜中、右足の脹脛にこむら返りがきて、飛び起きました。 「あ、いたたたた」と揉んでいると、左の足も攣りました。ベッドの横へ降りて引き攣っている足に体重をかけて立つとじわーっと良くなります。ベッドに乗って横になるとまたギュー......。 10分ほどかかって治まり、少し眠ると右足の小指がこむら返り。揉んでやっとこおさまると、左足のフクラハギに。 結局夜通し左右の足のあちこちにこむら返りが出て、大変でした。タクシー代が高くても、絶対に歩いてはいけないゾと心に決めました。 10日は、母の病院へは行きませんでした。 夜、姉が電話で、「お母ちゃんは11階の三人部屋へ移った」と言いました。 「また絶食。お腹空いた言うてるけど、焼いたスルメしがんでるわ。カンゴフさんは、喉に詰めるからあかんて言うけど、ほんなことないやんねえ」 「うちは昨日の夕方、どら焼きあげたら半分食べてた。どら焼きとドーナツと、残り置いて帰ったけど」 そんなん無かったわ。みんなほかしはったん違う?」 「へええ。お母ちゃん食べへんでも、うちら食べるのに……。病院は、点滴、絶食、採血、それしかないもんなあ」 「『別の病院探して来て』言うてる。先生は、『ちょっとましになったら紹介状書きます』いうてはるけど、絶食点滴でましになるかなあ」 「胃、悪いわけやなし」 「預かってくれそうな病院、検索して探しといて」 「うん」 「明日、行ってくれるのやろ?」 「お昼ごろな」 「マミの車、駐車場から出すのん3000円も取られてんよ。『おばあちゃんが救急で入院したから』いうても、情状酌量なし」 「ふうん」 叔父が入院していた関西医大付属病院は1時間600円、30分ごとに300円加算で、見舞いに行くのは嫌いでした。昨夜、両足のあちこちがこむら返りして大変やったと話すと、姉は言いました。 「うちもやわ」
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