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2004.06.04
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カテゴリ:書籍と雑誌
【追記】No.4
夕方浜に行ってきました。
今日はひさびさに日没までいることができました。
人が多いです。

更新しました。
夕陽が好き![I Love Sunset!]
千本浜 2004年6月4日


【追記】No.3
昨日ペンタックスから修理完了のメールが来ていた。
今日カメラが届くはず。
往復送料分1050円ナリ(悪税込)を取られるのだが、やはり気が楽。
また壊れるなら保証期間内に頼むぜ。

やはり文部科学大臣が「こころの教育」などということを言い始めてるらしい。
今の行政がシステムをいじればいじるほど、事態は悪化すると思う。
国会議員や高級官僚の姿を思い浮かべれば、あの連中に徳目をおしつけられるのは勘弁してもらいたくなる。

子供たちは毎日学校で同じメンバーと顔を付き合わせ、逃れる場所がない。
小学校のクラスが減ったので、学年が変わっても同じメンバーだ。
いったんトラブルが起きたら、毎日が地獄だろう。

実は、今回の佐世保の事件では、殺人に痛ましさを感じはするが、事件の発生そのものは衝撃を感じなかった。
同年齢の子供を学校に通わせている親御さんたちにはショックだろうが、過去に起きた小中学生による殺人事件の方が理解を絶している。
経緯はまったくわからないが、孤立して殺意を抱くに至るという心情はむしろ容易に想像できる。

だからこそ実際の行為にまで飛躍するところが恐いのだが、安直に利用できるホームページサービスにおびえるようなことではないだろう。
それではごく普通のカッターナイフにおびえるのと変わらない。

【追記】No.2
『娘巡礼記』の表紙にはお遍路姿の娘さんが描かれているが、これは1918年11月23日付九州日日新聞に掲載された高群逸枝さんの巡礼姿の写真をイラストに起こしたものだ。
絶望的な状況の中でなんとか事態を打開しようと、若き日の逸枝さんは「未知界を無謀に突破する方」を選ぶ。

つまり、遍路行は、「家出」であった。

滅法明るい家出である。
服装、持ち物、作法、ひとつひとつのことをウキウキと喜んでメモしていく。
この大冒険は、本当に「未知界を無謀に突破」してしまうのだから、面白い。
素直な感性と冷静な知性、そして健康な若さ。
これだけが彼女の持っていた武器である。

当初逸枝さんは西国三十三ヵ所霊場を巡るつもりだったそうだ。
本来はその西国巡り「巡礼」、四国八十八ヵ所霊場を巡るものを「遍路」と呼ぶのだが、この本の場合は混用されている。

今二十代の娘さんがインドの一人旅に出るよりも、当時の娘一人遍路の方が大冒険だったのだと思う。
堀場清子さんの解説によれば、江戸期から四国遍路には病人が多く、明治大正の時代になっても冬の土佐の海岸には「乞食遍路」が千人近くもいたそうだ。
ハンセン病が不治の病だったころ、遍路は社会に対してそのような機能を持っていた。
悲運の人々が行き倒れて死ぬまで歩き続けるほかない、それがこの「娘巡礼記」の時代の遍路なのである。
死出の旅なので、白衣は無論死装束。

そのような通念が常識となっていた時代に、自分の再生を確信して遍路行を断行する若い娘のことは、まだ誰にも理解できなかったようだ。
だからこそ、新聞の連載が大評判となった。

 ♪ 麻の衣にあじろがさ
 ♪ 背(せな)に荷俵三衣(え)のふくろ
 ♪ 足中(あしなか)草履をめし給ひ
 ♪ 首にかけたる札(ふだ)ばさみ
 ♪ 縦六寸に幅二寸
 ♪ 金剛杖を右につき
 ♪ 左のみ手にじゅずを持ち

 逸枝さんがメモした山開和讃の一部である。

【追記】No.1
じゃんばらやさんのコメントへの返事に書いたものですが、日記本文に追記しておきます。
『娘巡礼記』に関しては、こういうことを書いておかないといけなかったんですな。

九州日日新聞は現在の熊本日日新聞です。

旅先から送った原稿は1918年(大正7年)6月6日から12月16日までの連載となったそうです。
当時の九州日日新聞は政党機関紙のような性格を持っていたので、かえって地域を超えて読まれ、広い地域でセンセーションを巻き起こしたと解説にあります。

一冊の本として出版されたのは新しいことで、1979年朝日選書にまとめられてやっと日の目を見ることになりました。

この岩波文庫版は初版発行が2004年5月18日と奥付にあります。
つまり、ピカピカの新刊なんですよ~。

恋愛に行き詰まり、生活に窮した24歳の女性が新聞社の入社に失敗し、それでもなんとか旅費を出してもらってお遍路さんをするという、やぶれかぶれの青春がここにあります。

定価が760円+悪税、ぜひお読みくださいませ♪



ポール・サイモンのCDを注文するためついでに頼んだ高群逸枝関係の本がおもしろい。

『高群逸枝語録』『娘巡礼記』
一冊は岩波現代文庫の『高群逸枝語録』。
冒頭鹿野政直さんの解説でまず「高群逸枝」の復習をしておこう。

と思ったら、これがなかなか難しい。
70年代に少し触れた高群逸枝像はかなり変化しているらしい。
十五年戦争下での言論活動や、学説そのものへの根本的疑問など、いきなり矛盾の方を紹介されてしまうのだ。

「母系の論証は、家父長的家族制度についての通念を突き崩すための、歴史的根拠を求めて発起された。その基底には原日本への傾倒があった。」

国家総動員体制の国体論とは必然的に対決せざるをえないのに、
「しかし、原日本の絶対化に連なるこの思想は、それゆえに、戦局の激化・悪化とともに、急速に大東亜共栄圏・八紘一宇の世界像に同化していった。」

もう一冊は岩波文庫の『娘巡礼記』。
24歳、若き日の高群逸枝が九州日日新聞に連載した四国八十八ヶ所霊場巡礼の手記である。
人生における挫折を知り、生活に窮し、面接に行った新聞社から金を出してもらい巡礼の旅に出る。
その金は四国への船賃で、遍路行はほぼ無銭旅行である。

乞食同然の遍路の群れの中に入り、それまでの人生で出会わなかった人々に接していく。
旅先では女神として遇されたり、信心深いおじいさんと道連れになったり、凛とした彼女は幸運を呼び込む。
そして、目の前に起きることや人々を素直に描写し、評していく。
薬売り、浮かれ節屋、狂女、遍路狩りの警官、そして業病を病んで亡くなっていく遍路たち。
旅先から書き送った連載は、大いに評判を呼んだそうだ。

高群逸枝。
女性史学を創始した、詩人、アナキスト評論家。
肩書きがいくつも付けられるし、伝記のような読み物はとてもおもしろいものになるだろう。
伴走者にしてプロデューサーであった夫、橋本憲三という人も、実に興味深い。


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Last updated  2004.06.04 20:27:50
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