カテゴリ:その他、芝居(ドラマ・映画・舞台)
![]() 医師は、生々しいほどに分かってしまう。 「…Sarcoma、か?」 その独逸語(当時は医療用語と隠語は全て独逸語)の一言が、全てを理解させてしまう。 知識というもとは、時に己を傷つけるもの。 その残酷な諸刃の剣を抱え込むことこそ、医師という職業なのだろう。 私の知っている医師には、検査を受けたがらない人が多いんです。 それがどうしてなのか、一度聞いてみた事があります。 「…結果が怖い」 『医者の不養生じゃあるまいし』 そう思ってしまう言葉の裏には、知人達なりの理由がありました。 「病名が分かるよね? それで、データを見る。 狭心症なら、狭心症。肺梗塞なら肺梗塞。 ―――そしたら、分かる。 いつまで自分が自由に動けて、どう病状が悪化して、いつどんな苦しみがあって―――。 知識と経験で、後の人生が――それもほとんどが絶望が――全て、生々しくシミュレートできてしまう。 それが、怖い」 それを聞いた時、絶句しました。 主人公がメタ(転移)を知った時、“どこか冷静に『来た』と思った”シーンがあります。 それは、最初のFibro-sarcomaの告知を受けた時に見えたヴィジョンだったのでしょうね。 それは、医者の職業的な宿命なのだと思います。 主人公を見送る立場の医師や看護士の姿。 それは世界中にありふれた光景でもあります。 知人も1ヶ月前、同僚が告知を受けたことに沈んでいました。 今も同じ思いで戦っている医師がいることを、それだけは心に留めておいてください。 主人公が冒頭、茶目っ気全開で見送られるシーンに、 「いない。こんな美形でお茶目で真面目で、黄色のビートルが似合う医者なんてめったにいない」 と思わず呟いた事は秘密です(笑)。 実際にいたら、病院中の女性職員による競争がすごいでしょうね(をひっ)。 そしてこれまでの稲垣君の演じてきた役柄とは全く違う、新しい魅力さえ感じさせました。…実際、惚れましたし(こそっ)。 でも、冒頭の新生児に関する会話は『ちょっとやりすぎ』と思いました(苦笑)。 あれを『自慢話』にする医療関係者はまずいないんじゃないでしょうか。 「…助かってよかったね」という風にさらっと流して、普通は終わるんじゃないかな。知人達の会話などを通じて、そう感じました。 …奥さんも同じ医療に携わる人(薬剤師)だし、手柄話(自分の暴走で救った!)という調子で語られたら、『引く』と思います。 この辺りは脚本家さんと知人達との感覚の違いなのかもしれませんね。 子供が歩く姿に勇気付けられ。 子供が泣く姿に我に返り。 子供の姿を見たいと、ただそれだけで泣き。 子供はただ生まれてきただけで、両親の大きな支えであるのだと感じます。 また、家族との心の距離が『告知』の後と前でまったく異なるのも印象的でした。 例え自覚していなくても、夢はおのれの心を映すんですね。 『自分のことだけで精一杯では、家族の姿は映らない』 『相手が自分に全てを知らせてくれなければ、相手が見えなくなる』 たとえ苦しみでも、互いにその重荷を背負うからこそ、心が一緒に居られる。 それが夢の変化に現れたんだと思います。 主人公はどこまでも仕事に真摯で、真面目で、誠実でした。 >“He is sick. You are not sick.” その言葉に忠実に相手の重荷を分け持とうとする姿に、深く胸を突かれました。 そして己が病んだ時にはその事に罪悪感を覚えてしまう姿には、哀しかった。 >「なんの為にこんな体になったのか分からない」 病期になって変化した死生観や感覚を、“死生観を柱とする”己の職業に還元しようとした主人公。 彼は確かに経験こそたった4年ですが、素晴らしい医師でした。 彼の生き方はとてもしんどい。普通、あれだけ咳き込んでいる時に『頑張る』なんて言えません。 そうやって頑張っている間に、気力は摩滅していきます。 『俺、どうなっちゃうのかな…』 父親の前で泣き崩れた彼に、一人の人間の限界を見ました。 彼の強さは、常に自分の責任や弱さを感じられる事だったのかもしれません。 それに目を背けず、それをしっかり受け止めているのも感じました。だからこそ他人が見せる弱さにも敏感で、なおかつ引き込まれずにいられたんだと思います。 さらに彼は他人の弱さを引き受けようとしていました。 本当に良い医師であり、一人の人間でもあったのだと感じました。 医師であるが故の、苦しみも希望も、責任感もすべて引き受けた主人公。 そしてそんな主人公のモデルとなった方。 彼の短い一生が、医師としての四年間が、素晴らしいものであったと信じたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/10/12 04:57:47 PM
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