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カテゴリ:雑談
夢の島に行って来ました。 旧14号埋立地のゴミ処分場だったのですが、まったくゴミ臭くもなく 今では緑の公園に生まれ変わっています。 1967年に隣接する埋立地に捨てられた1隻の船がありました。 この船が第五福竜丸(第五福龍丸)です。 戦後、貴重なタンパク源を調達する為に 操業していたこの船は ビキニ諸島で被爆をしました。 東京都は遠洋漁業に出ていた木造漁船を実物によって知って いただくとともに、原水爆による惨禍が再び起こらないようにとの 願いから、この廃船を夢の島に展示館に展示する事にきめたのです。 まだまだ現役で活躍できるぞ!そんな声が船から聞こえてきそうです。 展示物である船や被爆者の手記、その当時の新聞記事を読み、生々しさを 感じました。 手記や記事によると、太陽みたいな物が西の空に見えたそうです。 船は大急ぎで、マグロを取るはえ縄を回収し非難しようとするのですが 逃げ切れずに死の灰を浴びてしまいます。 灰を浴び体調不良になりながらも、2週間かけて母港である焼津港に 全速力で戻り診察を受けるのですが、人も船もマグロも全てが放射能で 汚染されていました。 乗組員は東大病院と国立第一病院に移され、懸命な治療を受けるのですが、 病院には治療に必要な水爆(ブラボー)の資料がありません。 資料開示を求めるのですが、アメリカはそれに応じませんでした。 そこで、東大、静岡大、金沢大、大阪市大をはじめとする化学者が、 総力をあげて死の灰を分析し、医師団は懸命な治療を続けるのですが 入院の半年後に船の無線長が亡くなりました。 無線長は死を前にして「原水爆の被害者は私で最後にしてほしい」と 言ったそうです。 この寄せ書きは年間数百校訪れた、小、中、高校生の見学者が書いた物です。 戦後生まれ初の自民党総裁になった安倍総理にも見てもらいたいし、 都内近郊の方にも訪れて欲しいと思います。 第五福竜丸展示館の公式ホームページ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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