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この間こんな本を見つけたので速攻でゲット
←リンク済タイトル 光と風のなかで 愛と音楽の軌跡 著 者 遠山 慶子 聞 き 手 加賀 乙彦 出版社の内容紹介によると次の通り 『のびやかな幼年時代、師コルトーとの出会い、パリでの生活、 ピアニストとして立つ、遠山家のこと、世界の名演奏家たち、 神様の話――天真爛漫に生きる一ピアニストのユニークな人生を語る。』 遠山慶子さんは天真爛漫な芸術家で、その幼年時代のエピソードは今のチマチマした時代からは到底想像できないものです。 また彼女のお祖父さんやお父さんが二代続けて『高等遊民であったので、その生活レベルの高さにも舌を巻く次第です。 まぁ、そんな環境から彼女は天真爛漫に才能を育んでいったわけなのです。 今日ご紹介したいのは、芸術的なこととか夢見たいな幼年時代のことではないのですね。 彼女がお嫁さんとして夫遠山一行さんの母上の看病をした際のエピソードを紹介することとしたい。 同書118頁から119頁にかけて、このような記述がある。 今度は私が特に沢山看てあげたいって思ったの。とにかく母とずーっと一緒に一年間過ごしたわけね。 そうすると何も植物人間で意識がないのに、賛美歌をね、子供の時の賛美歌を耳もとで私が歌うの。そうすると口を同じようにあけて。眼もうつろなのだけど、「子供の友よ、イエスよ、イエスよ、子供の友は、イエスさまよ」そういう感じの賛美歌をママの耳もとで歌ってあげると、「子供の友よ」なんてところは同じフィーリングになるわけ、顔つきが。だからこんなに何もわからなくなっているけれども、わかってるんじゃないかなって思いました。その賛美歌の経験から、私は母を他人に預けられなくなったの。 | | 中略 | | 母は宣教師に預けられて、ほんの子供の時に宣教師の教育を受けているの。やっぱり幼児体験じゃないんだけど、子供の時の印象が植物人間になっていてもよみがえって、私と一緒に賛美歌に口をあわせたんだと思います。人間の信仰が、子供の時に植えつけられるというのはなんて大切なことなんだろうと、その時に思った。二人で賛美歌が一緒に歌えるていう幸せさっていうのは、今私がモーツアルトを弾ける喜びとか、ベートーヴェンがほかの人と弾ける喜びとかと比べたら、雲泥の差の大きな喜びだったのね。 | | 中略 | | 母に対して、親に対してとか全てを超えて、非常な結びつき、神様によって結びつけられた感じは、すばらしかった体験なんです。 ねぇ、素晴らしいでしょう♪ クラシックの高名な芸術家が、ゴスペルの素晴らしさの秘密についてさりげなく語っているでしょう(*^^*)b 意識の殆どなかったであろうお母様は、霊(Spirit)で歌っていたと思う。 遠山慶子さんも霊(Spirit)でそれを感じたと思う。 だから、モーツァルトやベートーヴェンの作品の与える喜びとは雲泥の差の喜びと、言ったのだと思う。 因みにお母様も遠山慶子さんもともにプロテスタントのキリスト者なんですよね。 純粋な信仰の交わりがもたらした喜びだと思いますねぇ(^^) 素晴らしい! こんな聖書箇所を思い出していました。 ヨハネによる福音書14章27節 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。 Spiritによる賛美を目指したいと思わされたロンでした。 最後に・・・ ゲットした本には遠山慶子さんのサインがありました。 なんか嬉しい(^^) この記事のトラックバックURL:
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