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この広い空のどこかで今日もいい日旅立ち

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Oct 17, 2007
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カテゴリ:映画
ようやくにして「肉体の悪魔」('47)の映画化を観る。文芸映画としてはよくまとまり、モノクロームの画面がむしろ陰影に富んで戦時の背景を色濃くにじませる。

25歳が17歳を演じれば無理が生じるのは造る前から承知で、それをうそ臭いと感じてしまえば嘘のつくる誠を失うだけの話で、古来ロミオとジュリエットははるかに年上が多く演じてきているわけである。ジェラール・フィリップならばこそで映画はむしろティーンの愛の決着を静かに辿ったとも言えるのである。

そういえば役柄もフィリップだから、ミシュリーヌ・プレールのマルトに再三その嘘をなじるシーンがあるが、おとなは嘘で切り抜ける必要を会得しているからおとなで、このあたりもよく描き、むしろこのマルトはティーンに殉ずるようによくぞ生きたからこそ死も迎えるのである。まさしくティーンの愛は未来のない、絶対の愛だからなのである。

絶対の愛を完遂させようとすれば奈落もまた口を開けよう、というもので、それにしてはこのフィリップの前には多くの甘美な絶対の愛が育まれていたというべきで、駆け落ちの待ち合わせの現場に行かず遠くよりそこにいるマルトを覗き見るこの視野こそ、疑い多きこの時代の摂理とさえ見え、レストランでの逢瀬などもまことに甘美に語られる。その豊穣あれば良しというのがこの期の愛の稔りのすべてなのである。

映画が原作と似て非なるものなのも、これも造る前から当たり前過ぎる言い様で、映画は映画としていかに嘘を巧緻に抽出して見せるかにしかなく、その意味でもかなりできのいい映画化で、悲劇を観るのではなしに、ティーンの愛の原像を明らかに辿ったと見えるその筆致こそ、観るべきものであろうか。

ジェラール・フィリップなしに、或いはミュシリーヌ・プレールなしに、この格調は生まれるべくもない。リメイクが存在しないことがそのなによりの証明で、同じティーンの視覚が必要なはずの「悲しみよこんにちは」('57)こそ、その分別臭い大人の視野でしか語られなかったというせいで、改めてのリメイクが必要ではあろうか。





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Last updated  Oct 17, 2007 10:18:23 PM
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