
シェイクスピア劇団の座長と、その付き人との2人だけがほぼ延々画面を占領する「
ドレッサー」('83)、アルバート・フィニーとトム・コートネイ、その四つ相撲が当初はうっとおしいが、やがて乗せられるのはふたりの迫力というしかない。
やや年老いてきたシェイクスピア役者、舞台本番前になると駄々をこねるばかり、マクベスかリア王かセリフのけいこも混同して支離滅裂、メイクもたがえるありさま、もう辞めたいといったその舌も乾かぬうちに死ぬまでやると宣言する按配。そのメイクをふき取り衣装を着せかけ、とにかく本番に間に合わせるべくその暴君をあやしたり正気に返らしたり、あの手この手の付き人。その修羅の本番前の様子がメイン・シーン。
その意味では舞台裏をのぞける面白さがあるわけだし、付き人の不在時に、脇の新進女優があいさつにその楽屋を訪ねその早々、鍵をかけなさいと言われるまま鍵をかけると、脚を見せなさいと言う。もっと上まで! その流れにあわや艶戯本番かと思うと、いきなり抱きあげ数歩のちに抱えきれずその女優の下敷きとなる。あわてて逃げる女優と遭遇した付き人が詰問する。「なにをしていた?」
観客の想像にもその女優の予期にも反して、観ていなくてもそのあらましを聞くなり付き人は「何をしようとしていたか私にはワカる。あの人のすべてがわからなくて付き人がつとまるか」というようなことを言い放つ。
答えは、才能を図っていたのでも、ましてやベッドインということでもない。
コーディリャ役として重さを量っていた、というのである。抱きかかえなければいけないシーンのために軽くなくては身が持たないからである。
集約すれば、このあたりがこの作品の面白さだろう。まるで産婆のごとき付き人の丁々発止に、ゴールデングローブ主演男優賞が輝いたのも当然なら、リア王のごとき横暴を極めて急逝するシェイクスピア役者にアカデミー主演男優ノミネートも至極納得の、まさしく舞台劇をよく消化した映画化ではあった。 Copyright (C) 2009 Ryo Izaki,All rights reserved