
その造る料理は食するすべてを魅了する天才シェフも、コミュニケーション能力はゼロ。女性関係もいっこうに積極的な面は当然のように不得手で思いも前に出てこない。
シラノのコック版とでも言えるが、一芸に秀でると、何でも思いのままのような現代とは思えぬようなお話で、むしろその違和感が意外な説得力を持つのがドイツ・スイス合作の「
厨房で逢いましょう」(2006)。
と書くと、調理人主体の話かと思うとそうではなく、厨房で逢い続けるふたりの、もう一方の主婦、その名が原タイトルの「エデン」、とすればむしろ女の心情こそが主題と思った方がいいだろう。その料理に魅せられ、むしろこちらの方は積極的にその厨房通いをする。
互いにまことに寡黙、どちらかというと女の方がリードしながらの流れだが、その寡黙さこそが主題のように思える。
夫は休みのたびに友人と賭け事にいそしみ、やや秋風という風でもあるが、その厨房通いの頃から夫婦仲も戻り第二子も誕生、すべてがうまく回転するようではあったが、頻繁すぎる厨房通いの妻のことを友人からも揶揄されたりするうち、徐々に嫉妬の度が高まってくるあたりが世俗に生きる必然とも言えるだろうか。
料理を馳走し、その料理を感嘆する、その二人の互いへの思いやりを超えて、むしろ女の思惑が奈辺に在るかと世俗は思うわけで、しかしそこに女のずるさを観てしまっては映画の価値は半減するだろう。むしろそんな心配は無用のこと、と亭主に断言するこのコックの断念や、エデンというこの女の見ている素朴な楽園の夢をそこに見れば、これが現代に対するアンチテーゼのおとぎ話であることが解るだろう。
夫が騒ぎ立てて暴力沙汰になり、逃げ惑うコックが隠れた木の上で「いつも逃げていてはダメだ、しっかり話しをしよう」と決意し降りかかろうとして滑り落ち、その夫の上に落下、悲喜劇どちらともとれる夫の死にこの作品の寓話性があり、行方知れずとなるそのコックの店を発見して再会した時の笑顔が写真のラストシーンだが、この満面の微笑こそがエデンの夢の在り処の象徴なのである。故にこそエデンという名なのでもある。
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