|
カテゴリ:カテゴリ未分類
つくばで桜の時期 会津から来られた方に”つくばの桜は鼻くそのようなもの”というふうに言われ、そんなら会津の桜を見に行ってみようってことで連休の旅が始まりました。
自宅を5時過ぎに出発して常磐道で北上。 高速に乗るのは半年ぶり? 震災のため常磐道の路面もひびがたくさん入り、橋や下を道路が通っているところなどのつなぎ目は段差ができて100km/hr以上ではちょっと飛び跳ねそうな感じ。 常磐道沿いの家も家の近くを通っている水戸あたりまでは瓦がぐしの部分だけ落ちているところが多かったですが、それほど大きな被害はない模様。 いわきから磐越道へ。 いわきから遠ざかるにつれ道路も普通になってきていた。 高速沿いの山桜は満開近く。 日本はもともと山に桜が沢山あったんでしょうか。 会津若松には9時前に到着。 まずは鶴ヶ城へいきます。 ちょっと雨模様だったこともあり駐車場も空いていて人も少ない。 三の丸方向から入っていくとすぐにありました。 大きな桜。 幹の直径は50cm以上・・70-80cmの木もある感じ。 満開は過ぎて3歩ほど散り始めている状態でしたが、その姿はみごとでした。 古くなった木も丈夫に伸びた弱った部分を切り落とし新しく横に出た枝を伸ばしている感じ。 木ごとに桜守の名前の札がついていて大きな桜の周りは柵で仕切って根を痛めないようにしてあります。 大きな木では上に伸びた枝がたれ下がるようになっているものも多く一本の木の広がりが屋根のように。 行く前に調べたところでは城内に1500本の桜があるらしいのですが、このサイズの桜が1500本もあるなんてすごいことですね。 内堀に掛かる橋をわたって天守閣へ。 鶴ヶ城は解体されて無くなっていたそうですが、昭和になって再建され今の姿に。 ちょうど今年、瓦が昔のものを復元したものに葺き替えられたところで赤茶色になっていました。 天守閣内部は展示館になっていて会津の歴史の紹介。 この中でわかったこと。 江戸の中期にこの地に入った保科氏はもとは高遠の城主だったそうです。 同じく桜が見事なことで有名なところ 桜がみごとなわけです。 天守閣の最上部からは城内の桜が見渡せ、ちょうど満開だったらさぞみごとだろうなという気がしました。 会津若松市内も一望。白虎隊の自刃した飯盛山も見えていました。 天守閣から出て城内の桜を見て回ります。 月見櫓跡には”荒城の月”の碑 この曲はここをイメージに作られたそう。 その前の茶房で抹茶とおまんじゅうを頂き休憩。 その後も午前中は内堀外側のさくらを見て回りお昼前に喜多方へ。 連休なので混んでるかも・・・と思いながら坂内へ。 案の定混んでて並んでいる人が160人ほど。 で、そのとなりの松っていうお店に。 ここもなかなか美味しかったです。 お土産屋さんであれこれ買い込み、ついでに試食のラーメンまでいただいちゃいました。 そして再び會津若松の飯盛山へ。 お土産屋さんの駐車場に止めさせていただいて、白虎隊の墓所から白虎隊最後の場所まで。 ちょうどボランティアガイドの方がおられたので一緒にくっついて説明を伺いました。 幕末の出来事から最後の時まで、そして第二次大戦では戦意高揚のために利用されたことなど初めて聞く話がたくさんありました。 お土産屋さんでは味噌を購入。 そして今夜の宿の芦ノ牧温泉へ。 會津に来るにあたって最初、東山温泉で宿を調べたのですが、ほとんどのところが避難者受け入れのために宿泊受付していなくて、少し離れた芦の牧でなんとか宿を取ることができました。 泊まった宿も20km圏内から250名の避難者を受け入れているとのこと。 エレベーターで”お久しぶり、ここに来てたの?”って挨拶のシーンがあったり、原発被害の生々しさが感じられました。 これから先どのくらいで戻れるのか、戻れないのかもはっきりしない状態・・・私にも何かできる事はないものでしょうか。 とはいいつつ、夕食は會津の夕餉の豪華版と生ビールを楽しみました。 會津の桜に比べたらつくばの桜は鼻くそ・・・ はあんまりですけど鼻タレと実感した會津の旅でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/05/24 12:54:42 PM
コメント(0) | コメントを書く |
|