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ここ1か月ぐらい 私が行っている 動物愛護(愛誤)団体の在り方に対する批判。
これは「批判することが憚られる」ジャンルの一つだと思います。 なぜなら どんな運営方法がなされていても とりあえず 愛誤団体は 動物の命を 少しは 死から生へと 変換しているからです。 2006年に起きた「ひろしまドッグぱーく」廃業に伴う300頭以上の犬の里親探し という問題が起こったとき、その規模があまりに大きかったために、 全国の注目を浴び、その中でもメインのボランティア団体として入った アークエンジェルズも その動向を注視されました。 そんな中、2006年11月27日の『ムーブ!』(朝日放送)で、 このアークエンジェルズには 運営の上での問題がある、という報道がされて、 その後、2007年2月21日には、アーク・エンジェルズに寄付を行った元支援者数人が、 寄付金の不正流用を疑い、返還を求めて大阪地方裁判所大阪地裁に提訴しました。 その後も、大型ドッグシェルターの設置をしたことで、地元住民と対立したり アークエンジェルズという名称のオリジナリティの問題で訴訟があったり、と 円満に保護活動をしている、とはいえない運営状況だと思います。 私はこの団体を直接知らないので、具体的にどこがどう、という知識が全くありません。 ですが、この団体のレスキューの過程について 比較的多くの人が 報道などを通じて「動物愛護団体って 何か怪しい」と思った、という 社会問題 については よく知っています。 当然 私も こういう事例を知識として知って、愛護団体というものは 寄付金を主な収入源としていること、保護した動物を譲渡することで収入を得ていること 団体を運営している中心人物をのぞき ほとんどが無報酬で参加していること、などは よく分かっていましたし、その点については 実は全く批判はしていません。 ただ、こういう性質をもつのが愛護団体の 団体としての特徴 である以上、 よほど大真面目に「経営」されていないと 人道的によくない、とも思っていました。 それは こういう団体は ほぼ全て 「寄付金と譲渡金」で 収入を得ているからで、 自前で働いて収入を得るのであれば、任意団体はある程度 ザル にはなり得ても、 寄付金というのは これは 本当に 大変重みのあるものなので 逆に言えば 反社会的なことをしたり、非民主的なことをしては 情緒的にも 許されないし、モラル的にも 許されない。 だからアークエンジェルは ごく一部の例外、例外中の例外なのであって、 全国各地の だいたいの愛護団体の人達は 自分に厳しく動物に優しく、 法律 その他 様々な点において 厳格に団体を運営する努力をしているんだろう、 と 勝手に自己判断していました。(こういう点が私の判断力のなさです) ところで、2010年2月5日に大阪地裁で、前記の寄付金返還訴訟について、 原告敗訴の判決が言い渡されました。 ********************************************************************** 動物愛護団体の募金返還訴訟で原告敗訴 大阪地裁 (産経新聞) 広島市のイヌのテーマパーク「ひろしまドッグぱーく」で 多数のイヌが衰弱した問題をめぐり、 動物愛護団体「アーク・エンジェルズ」がイヌを助けるためとして集めた 支援金や物資の使途が不明だとして、募金した35人が同団体の代表者に 募金の返還や慰謝料など計約380万円の支払いを求めた訴訟の判決が5日、 大阪地裁であった。 山下郁夫裁判長は「募金が詐取目的だったとは認められない」として請求を棄却した。 判決によると、ドッグぱーくが平成17年、経営難で閉園した後、 飼育されていた多数のイヌが衰弱。愛護団体は救助のために ホームページなどを通じて支援金を募った。 山下裁判長は「3カ月間救助活動を行って一定の成果を上げており、 だます意図があったとは認められない」と判断した。 原告側は控訴する方針で、詐欺などの罪で代表者を刑事告訴することも検討するという。 ************************************************************************* この判決については 裁判長の言葉に 非常に考えさせられました。 「3カ月間救助活動を行って一定の成果を上げており」という この一文です。 つまり、確かに アークエンジェルズは 多数の犬を ひろしまドッグぱーくから 新しい飼い主に 橋渡しはしたんです。ここは動かない現実です。 ただ、裁判まで起こして この問題を今でも追求している人達は 「一定の成果」以外の 諸問題について 問題視をしている、ということです。 私も 動物愛誤団体というものが 何なのか、実は今年の3月ぐらいまで 自分の問題として全く理解していなかったんだと思います。 ある意味 呑気で 気楽で 自分は犬を救っている という現実があるために その周囲に起こっている 諸問題について 自分で好きこのんで目を閉じていた状態です。 この「一定の成果」問題があるために、愛護団体について おおっぴらに批判をすれば 善いものを ボロクソに言って満足、ということにもなりかねないし、 ましてや 私のように 1年間 散々 動物保護を熱心にやってきた人間が 突如 その母体を批判すれば、何という人間だ、とも思われます。 (で、実際 私は そういう「なんて奴だ」なんです。) 動物保護団体は、愛護であっても、愛誤であっても、少なくとも 目の前の「命」を 集めて 延命させている ということは 確かにやっています。 だから そういった団体について 疑問を持つことや ましてや批判をするということは 普通の 穏やかに暮らしている人からすれば 酷い、残酷、冷酷、ということになります。 そして私も つい最近までは この「善いことをしている」ことに対する疑問を 言葉にすることに 恐れを持っていました。 自分が過去に一度も 愛護団体と接触がなくて批難するなら、ある程度評論的な感じで 感情的にも淡泊に 淡々と「批評」できるんだと思いますが、 私は 最悪だと自分でもよく分かっていますが、 散々 団体側になって行動し、一転それを批判している、という事をやってるわけです。 じゃあ なぜ こんな 異常 なことをしているか。 「命を救っている」ということで 全てが良いことになってしまっている ことを 長い間 知っていながら黙っていたことを 心から反省し 後悔しているからです。 今の状態で、動物の命をポツポツ救っていれば 気は楽だけれど もう少し 別のやり方だってある、ということを書かなかったのも 後悔しています。 (そういうことを書けば、一時預かりのなり手が減るからです。) 動物好きで、動物の命が大量に消えている現状に心を痛めてはいても、 こういった団体に参加しないと救えない、でも、時間・居住地・住宅環境などの問題で 団体には参加できない、だから自分は何もできない、じゃあ寄付をしよう、という方々に 「それは違う」と説明する責任を放棄していた、ということだと思います。 じゃあ どう違うのか、個人がひとりで 何ができるのか?という疑問に対しても 少しだけ 自分なりの 一つの答えが見つかりつつあります。 簡単に表現するなら 「 保健所で殺処分される命と 食肉になるために失われる命は 同じ価値なんだ 」と いうことを 一人ひとりが まずは自分に納得させることだ、と気付いた、ということです。 私は肉食は全く否定していないんです。 ただ、愛玩動物の殺処分にだけフォーカスするから 話がおかしくなるのであって 肉食をすることの自己検討はせず 保健所から動物を救ってます、というのは その時点で 命に優劣をつけているわけで、何かが おかしいんです。 つまり、愛玩動物の殺処分ばかりを「助けたい」と思いすぎるのは 明らかにヘンで、 家を出た瞬間から もう迷子になっている、という状態です。 今後は 少しずつ 考えを書き続けること、が 一人でできる 動物愛護だ、と 私は思うに至ったと、いうことです。 このやり方だと、どこかの保健所の犬猫を 具体的には救えません。 ですが、どなたかに寄付金という形で金銭的負担をさせたり、それをちょろまかしてみたり、 狂犬病予防法に違反したり、保護した犬を不適当に管理するようなことはしないで済みます。 この2つのスタイル、どっちが「価値があるか」 どっちもどっち、実は あまり 数値的には違いはない、のが現実です。 というのも、全国の保健所から動物愛護団体が引き出す犬猫のパーセンテージは 殺処分される犬猫に対して 1%弱だからで、その1%は幸せですが 残りの99%は 全く救えていません。 なのでこの1%を救っている、という事実は とても貴重で美しいことではありますが 同時に 残りの99%については 一般人同様「何もしていない」ことになります。 だから、何もしていない、という点に関しては、どんな人もそう違いはない。 外にいる野良猫に餌をやったり、無理をして家に犬猫を大量に詰め込んだりしないだけ もしかしたら マシ かもしれません。 一人で何ができる?と 団体側の立場の人ほど 怒ったり馬鹿にしたりします。 そういうことは もう十分 経験上 織り込み済み(笑)です。 ですが私は逆に こう思っています。「あなたは一人になったら何ができますか?」 人間の寿命や体力には限界があります。 バリバリの活動家だって、いつかは団体から離れて 一人になるかもしれません。 じゃあ 一人になったら 何もしていない、に 転落するのか? 違いますよね。 そもそも、ペットっていう愛玩動物を救うのは、自分の手元にいるペットを ただ 普通に、その動物が快適に暮らせるように すればいいだけの事なんじゃないですか。 極論を言えば、一人ひとりが 自分のことだけ 誠実にこなしていれば それ すなわち 動物愛護で、何も恥じるところはないんじゃないですか。 一方、動物にあまりに酷いことをしている人が 近くにいれば その時こそ 黙って見過ごさず 行動するチャンスです。(法律の範囲内で) 日本のどこかにある動物虐待や殺処分を 必要以上 悲しむよりは 自分の身近なペットを 適正数、法律の範囲内で大事にすることに専念すべきです。 残念なことに、往々にして、動物保護をしている人は 自宅やシェルターに 犬猫をぎっしり詰め込んで 1匹1匹の扱いは 意外と雑だったりします。 頑張りすぎだ、ともいえるし、質より量、ということに とらわれすぎでもあります。 これも 命を救っている、という善行があるので、雑でもいいかな、という緩みが どうしても発生してしまう、という現象の一つです。 なので、団体も、「こういう風にぎっしり詰め込んでます」ということを きちんとカミングアウトしたり、会計報告を完璧に行ったり、 どっかから犬を持ってきちゃいました、とか、狂犬病予防法は守れていません というようなことを 正直に公表してゆけば、 少なくともそれは「誠実」ということには なります。 (まあ 無理でしょうけど・・・・・・・・) これは賛否両論あることを承知で書きますが、動物保護は 量より質に尽きる。 そして、量の問題は、それこそ 愛護団体単位では絶対に解決できません。 あと、様々な命の犠牲についても 愛玩動物と同時進行で 広く少なくしていかなくては。 この動物問題全般は、世論の高まり でしか 物事は動かないんだと思いますよ。 そして 世論を高めるのに、一人ひとりの声、って意外と大きいですよ。 そこをあまり言わないで、殺処分を救おう、一つでも命を、っていうのが あまりに酷いので 私も ある意味 同程度に 酷い人間 になって(笑) 肉になる動物だって ペットだって 同じでしょ、だったら、保健所の殺処分だけに 善良な人の心を乱したり、人の優しい心を煽ったりしては 絶対にいけない、と 馬鹿を承知で、顰蹙を買いながら 叫んでいるわけです。
最終更新日
2010年07月29日 16時09分51秒
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