カテゴリ:アルビレックス新潟
「初めてメールします菊地と申します。私は、新潟にお世話になっている菊地直哉の父です。」 こんな書き出しのメールが届いたのは、セレッソ戦から4日後の、9月14日のことだった。 選手のご家族から直接メールを頂戴するなど初めてだったのでビックリしたが、それ以来、菊地直哉選手のお父さんとのメール交換が始まった。 全国に向けてアナウンスされることが少ない新潟の情報は、当然、静岡にもほとんど届かない。だから、少しでも多く、新潟でキャッチできる直哉くんの情報をお伝えしようと、メールだけでなく、ブログの中で紹介したり、それでまかなえないもの(新聞・雑誌やビデオテープや36番タオルマフラーなど)は、直接静岡に郵送したり。気がつけば、何を見るにもまず「菊地直哉情報」を探すのがクセになった。 お父さんからのメールにはいつも、試合の感想や、直哉くんの小学校時代や高校時代、アテネ五輪のときのエピソード、とても仲がいいご家族のことなどが、お人柄を感じさせる文体で綴られていた。それを泣いたり笑ったりしながら読ませていただいていたのだが、メール交換が始まったのが4連敗が始まった頃だったこともあり、負け試合の後にこちらから送るメールの内容には、結構悩むことが多かった。だからなおさら、お父さんの言葉は心に沁みた。 広島戦の後、選手たちに対してサポーターからの激しいブーイングがあったということをお伝えしたとき、このような返信をいただいた。 「(相手から)思われる為には、自分が相手を思うことが必要であり、早くチームメイトやサポーターの方々から“こいつはオレ(チーム)にとって有益なヤツ”と思われるようになって欲しいと思っています。」 そして、10月1日の川崎戦。お父さんは、あの試合を等々力の観客席でご覧になり、直哉くんのGK姿を目の当たりにしていた。 「この想定外を、本人が現実としてどう考えるかということに、本当の意味があると思っています。」 そして、直哉くんが携帯の電源を切っていることを知った。 私は、このお父さんの言葉を、何とかして本人に伝えられないか、と本気で考えた。でも、やめた。 本業が多忙期で身動きが取れなかったこともあるけれど、そういうことをすること自体、「余計なこと」だと思い直したからだった。 お父さんの気持ちは、言葉として聞かなくても、直哉くんは分かっているはずだ。きっと、その答えを、試合で見せてくれるだろう…。 そんな中、迎えたヴェルディ戦とマリノス戦。ピッチには、「自分がチームを引っ張るんだ」という気持ちをプレーと態度で全面に表している、直哉くんがいた。 やはり、ちゃんと気持ちは伝わっているのだ。無理に会いに行かなかったことは正解だった…。 マリノス戦の後半43分、バックラインから猛然と突進してきた直哉くんが、エジとのワンツーで放ったシュート。あのプレーが、「想定外を現実として」考え、その苦境を乗り越えるための、彼の答えだったのだと思う。 サッカーの神様は、悔しい思いをして頑張った選手のことを、ちゃんと見ていてくれている。マリノス戦の勝利後、じゃれつく子犬のようにチームメートたちと抱き合っている姿を見て、涙が出た。 そして、11月20日の磐田戦。オレンジのユニフォームを身にまとってヤマハスタジアムのピッチに立った直哉くんの姿を見たときの印象を、お父さんはこう書いてくださった。 「選手紹介時の磐田側からの拍手、ゲーム中の新潟側からの沢山の“菊地コール”… この前までは家から通学していた高校生の直哉が、素晴らしいグランドでしかも大勢のサポーターの前で大好きなサッカーをやれている姿が眩しくさえ見えました。」 あの試合の勝利とともに、その場に立ち会ったご家族の感動は、私の心に深く刻まれた。 そして…。 12月10日、天皇杯磐田戦で今年のアルビの全てが終わった。 「比較的変化の少ない場合は、その時には長く感じる期間であっても、1年を振り返って見ると短く感じ、いろいろ有る場合には、その時は1時間でも欲しい程に短く感じても、振り返ると長く感じることを経験しますが、直哉にとっての今年は後者ではないかと思っています。 事情(理由)はともかく、新潟に行くことを決めた夏から雪が降る冬まで、実質4カ月であるが、本当に『濃い』期間だと思っています。温かい目で見守って頂いたチームスタッフの方々、そして何処よりも熱いサポーター、生活でお世話になっていたサッカーショップ店長の西塚さんなどの方々には、直哉も感じることが多かったと思っています。 置かれた環境に満足せず、不満を並べても何の前進も得られない中で、自ら行動することに充実感を得たことと思います。」 「新潟でもレギュラーを取れないようであれば、お前のサッカー人生は終わりだ!」 代理人の田邊伸明さんから受けた厳しい言葉を背に、東京で試合を終えたその足で、見知らぬ新潟にやって来た、あの暑い夏の日。 囁かれ始めていた「早熟の天才」という声に反発して、自分の可能性を信じ、夢の実現へのステップを踏むためのチャレンジの日々は、新潟に雪が訪れる頃、終わりを告げた。そして「次の扉をノックする」ときがやってきたのだ。 楽しかったよ、直哉くん。本当に、ありがとう。 キミのプレーからは、この移籍にサッカー人生を賭ける決意と覚悟がビンビンと伝わってきた。それが見られただけで、本当にシアワセだったし、キミや、そしてキミのお父さんから、いろいろなことを教わった。 プロサッカー選手とは、自分自身のサッカー人生だけでなく、支えてくれる家族や周囲の人たちの思いを背負って、ピッチを走り続けているのだ、ということを。選手の戦いは、家族の戦いでもあるのだ、ということを。 アテネ五輪。大きな試練を乗り越えて、執念で五輪代表の座を勝ち取ったキミは、あのとき確かに、「菊地家の太陽」だった。そして、11月20日のヤマハスタジアムでのキミが「眩しかった」とお父さんはおっしゃった。だから、いつまでも、輝き続けていて欲しい、と心から思う。できるなら、新潟とか磐田といった小さなクラブの範囲ではなく、もっともっと大きな場所で。 そのために大切なものを、新潟はキミに与えることができたと、自信を持って言える。次は、それをキミ自身がカタチにする番だ。日本代表、W杯、そして海外移籍。世界に向かって、夢に向かって、羽ばたいていけばいい。その道の途中に新潟が存在していたことに、私たちが誇りと喜びを感じることができる日が、きっと来ると信じてる。 来シーズン、キミが磐田の選手としてビッグスワンに戻ってくる日が、本当に楽しみだ。 確かな成長を目の当たりにしてきたから、今のキミを敵に回すのは正直怖いけれど、そのときは、盛大なブーイングで出迎えてやろう。 「よく帰ってきたね。でも、負けないよ」 という気持ちを込めて。 幸せなサッカー人生を。 新潟から始まった新しい「菊地直哉物語」を、これからも見守っていくことにしよう。 ──最後に、メール交換を公開することを快諾してくださった菊地昭治さんに、厚く御礼申し上げます。 3カ月間、本当にありがとうございました。これからも、遠く新潟の地から、直哉くんを応援させていただきます。 直哉くんは大丈夫ですよ。どこへ行っても。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.12.28 16:33:02
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