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ぐっち’s HP

ぐっち’s HP

04系統/かわしま線

運転区間近鉄四日市-市立病院口・松本駅前・陽光台浮橋・三滝台・かわしま園-悠彩の里
備考 


悠彩の里



四日市市中心部と川島地区の住宅地を結ぶ路線。
四日市営業所に一番近いところを通ることから、営業所への入出庫を兼ねた運用もある。

この路線は、平成に入ってから現在までに5回も運転区間・経路が変化している。

 運転区間
 ~1989年近鉄四日市-市立病院口・中川原駅前・松本駅前-かわしま園センター ※当時は03系統
1989年~ 近鉄四日市-市立病院口・中川原駅前・松本駅前-かわしま園センター
近鉄四日市-城西町・松本駅前-かわしま園センター
※城西町経由便を新設。この時に桜花台線も新設される
1993年~ 近鉄四日市-市立病院口・中川原駅前・松本駅前-かわしま園センター
霞ヶ浦-北条町・JR四日市・近鉄四日市・市立病院口・松本駅前-かわしま園センター
※全便、市立病院口経由に統一して04系統に変更。一部の便を霞ヶ浦まで延長
1996年~ 近鉄四日市-市立病院口・中川原駅前・松本駅前-かわしま園センター
(霞ヶ浦直通系統を近鉄四日市で分割、霞ヶ浦側は06系統として独立)
1999年~ 近鉄四日市-市立病院口・中川原駅前・松本駅前・かわしま園センター-かわしま車庫前
※四日市営業所の移転に伴い、かわしま園センター-かわしま車庫前を延長
2001年~ 近鉄四日市-市立病院口・松本駅前・陽光台浮橋・かわしま園-悠彩の里
※青葉町以西の経路を変更、悠彩の里まで乗り入れ


その中で、2001年4月改訂での区間・経路変更は、この5回の変化の中で一番大きかったと言える。
川島地区の住宅地を新たに3つ(陽光台・三滝台・悠彩の里)経由することで新たな需要を確保することができ、ダイヤがほぼパターン化されたことも加わって、トータルの利用者が大きく増えた。
特に、それまでバスが通っていなかった陽光台・三滝台の中を経由することにより、これまで駅・バス停まで遠かった人たちが利用しやすくなったのがかなり大きい。
実際、夕方に悠彩の里行きに乗ると、陽光台浮橋での大量下車を見かける事も・・(今までに見た範囲では、10人下車したのが最高記録)

また、2001年の改訂では、利用パターンに新たなタイプが生まれた。
それまでの運行経路は・・

近鉄四日市-市立病院口・中川原駅前・松本駅前・小生・かわしま園-かわしま車庫前
※「かわしま車庫前」は、現在の川島市民センターと別山中央の間に存在していた

この時はまだ悠彩の里が開発段階だったこともあり、利用者の多くは「近鉄四日市・市立病院口-松本街道(ときわ1丁目以西)・かわしま園」を利用していた。
これが現在では、このパターンに加えて朝を中心に「住宅団地-最寄駅」も誕生している。
主に「かわしま園・悠彩の里-川島駅前」「陽光台浮橋-松本駅前」がそれで、クルマでの送迎が一部シフトした・・かもしれない。

ちなみに、行先表示が幕式だった頃、この系統の行先表示幕は2種類存在していた。
2002年に投入された車両と、その頃に幕を新調した車両については、側面と車内に「陽光台浮橋」の文字があるが、それ以外については、その部分は「陽光台」となっている。
(ちなみに、LED式の車両は側面のみ「陽光台浮橋」)
真相は不明だが、もしかすると陽光台の中に複数の停留所を設置する計画があったかも?
ただし、2002年度投入車でも「陽光台」に改めている車両が一部存在する。

側面幕(たしか3724号車)
 
側面幕(2002年投入車/3314号車)
側面LED表示(3839号車)


ちなみに、正面と後部は「陽光台」のままである。

後部行先表示(たしか3724号車)



また、2001年のダイヤ変更で現在の運行経路になった際、9m車(中型車・短尺大型車)までしか入る事ができなくなり、10m以上の車両(標準尺大型車・長尺大型車)は原則として運用に就けなかった。
2007年のダイヤ変更からこの制限が緩和され、出先車の入出庫などで大型車が入るシーンが見られるようになった。


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