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テーマ:REDSTONE(3568)
カテゴリ:赤石
REDSTONE 赤鯖懐古集 第1章 君の知らない物語 序章 さてさて、1月に差し掛かる頃になると、 ある程度うまいクエストや狩場などの情報が浸透していく傾向にありました。 これは、定期的に送られてくるゲームオンのメルマガに記載されていた 情報サイト「REDSTONE Database」さんによる恩恵の賜物ともいえましょう。 また、当時は友録上限が100人でしたので、狩場で会った人を片っ端から登録し、 狩りや移動中などに情報交換をするといった事もしょっちゅうでしたね。 赤石はチャットシステムだけは、他ゲーに劣らない性能でしたので。 さて、この時期、人気狩場として常に人がごった返していたところが アウグ↑VPPT、アリアン砂漠オーガPT、そしてハノブ鉄鋼山蜘蛛PTでした。 特に1月初句における、狩りをメインに据えた50レベル~陣のほとんどが 鉄鋼山B5の蜘蛛狩りをメインにしており、横殴りなどや狩場主張など 赤石名物ともいえる諍いが、各地で勃発していましたね。 REDSTONEにおける、ユーザー間の醜い争いの歴史は、 既にこのときからはじまっていたのです。 特にこの辺りの時期は、RS最初のアップデートによる通称青祭りがあったため (落ちるアイテム全てにOPがついた時期。これにより赤鯖では長らく無限弾丸花や 攻撃速度バトリンといった他鯖では見られない珍品が流出してました) 一層狩場での争いが絶えることはありませんでしたね。 ※懐かしの鉄鋼山PT。顔ぶれがいちいち懐かしい さて、青祭りも終息する頃になると、ちらほらと100lv突破者が見受けられるようになっていました。 ここで問題だったのが、前回書いた通りcβでの赤鯖は100Lv~の マップ・ダンジョンが封印されていたので、狩場が限定されていたことです。 それにより、高レベル陣の行き着く先がアルパス監獄B3のみ。 cβに限らず、長らく100レベル前後の人気狩場となる名所の一つですね。 当時はZINなどといったセミボスがいなく、また扉や罠が未実装だったとはいえ Bis未実装で装備もほとんど流通していなかった影響かアルパスは死に戻りが当たり前でした。 そんな地獄のB3にいち早く足を運び、最初にPT狩りを始めたメンバーというのが、 cβ唯一の高レベルランサーlikeさんを中心とする、 マルス・KYOO・ヒント・Sunkus(後のthanx)・うなまん(後のみろくぅ)といった顔ぶれでした。 彼らこそが、のちのGvプロローグ時において赤鯖5強の一角にして 無敗の最強ギルドと謳われた「RAVENS」の面々なのですが、 それはまた別のお話です。 そして、2005年1月6日。 この日、ようやくREDSTONE公式サイトがオープンされます。 同日、最後のメルマガが配信されました。 その内容というものが現時点での最高レベル、そして100レベル到達者の数です。 それによると最高レベルが112。 100到達者は剣士12、Wiz6、戦士3、弓2の計23人だった筈です。 うち8人がRAVENSの面々、そして最高レベル者こそが先に述べたlikeさんだということはさておき、 ゲームスタートして約2週間。課金もBisもなく、 限られた狩場と資源でここまで頑張ったのは快挙といえるでしょう。 そんなこんなで、cβ前期ともいえる時代の節目は終了したのでした。 …ちなみに、この時点による各職の見解は大体こんな感じでした。 剣士:壁。他に盾職がいなかったこともあり、 PT狩りでの剣士の役割はもっぱらコレに尽きます。 CP貯めスキルは袈裟切りがメイン、サザンはあまり流通しておらず。 決め球はスウィングインフィニティーでしたね。 まだまだレベルが低かった為もありほとんどいませんでした。 この時期で記憶に残ってる剣士さんは数多いですが、 中でも鮮烈に残ってるのがやはり来夢さんですかね。 後にらいせという名で活動することになる、初代廃天使の代表格です。 来夢よりこちらの名前の方が聞き覚えがある方が多いのではないでしょうか。 Gv黎明期に強豪の一つと知られるギルド「スワロウテイル」の創設者でもあり、 日本赤石で初めてRMTを着手したりと多くの人に影響を与えたという点では、 彼以上の人は中々いませんね。 剣士としての彼も規格外の強者で、多くの人が撃墜した魔の鉄鋼山B5コロを ソロで残りHP1/5程度まで削り取るほどの堅さと火力を誇っていた人でもありました。 まさに自他共に認める、cβ前期最強の剣士だったと思います。 ※当時同伴していた時のSS。ちなみに私は一撃で沈みました 戦士:今じゃ信じられないかもしれませんが、全ジョブ中最も数が多かったのが戦士です。 まぁ、バグでソニックブームのダメージがチリ並だったから、 というのが大きいんですけどね。 この時代の戦士も中々粒ぞろいでしたよ。 Bis実装と共にダメージ修正され、多くの戦士が姿を消す中 果敢にもソニックブームを極めようとしたNastyさんもかなりの個性派でしたが、 やはりソニック全盛期、地道に物理スキルを磨きにかけ、結果としてcβ前期に 最強戦士の座についた澤井課長さんが語るに尽くせませんね。 まったく知名度がない彼ですが、この時期にして ダメ40%と命中がついたバトルアックスを所持し、 そのきらびやかに輝く斧とハフプレ姿で町中を闊歩する姿に 憧憬の念を抱いた人はきっと少なくありません。 かのしっしも勢い余って戦士に転向したくらい、その影響は計り知れないものでした。 槍:cβ時代はランサーが最も使えない職として認知されてました。 ワールを覚えればそこそこ使えるという情報はありましたが、そこに至るまでが苦労するので 野良PTでランサーを見たのはMoody発足初期に入団した Izukoさん(ギルド日々浮沈・創設者)以外にいないといっても差支えありません。 もっぱらソロ職だったんですよね。 しかしまぁ、そんなランサーこそが、cβ前期の最高レベル獲得者ってのは皮肉な話です。 後にも先にも、私はlikeさん以上のインパクトがあるランサーを観た事はありません。 弓:物理アーチャーも相当強かったですが、この時代はマジアチャこそが多かったです。 無限矢がほとんど流通しておらず、且つマジアロはコストが低いというのが一番の理由でしょうが、 当時はガーディアンポスト(以下GP)の攻撃エフェクトが Wizのライトニングサンダー(たまに黒い雷)で超かっちょよかったので、 物理だろうと知識だろうと、弓は誰もがGPを使ってました。 ※在りし日のGPの攻撃エフェクト。いまや見る影もなし そのGPブームのキッカケともなった最初のGPアチャが、何を隠そうさくらんぼさんです。 監獄PTで彼が地面に槍をぶっ刺して召喚する謎の雷、 最初見た時のインパクトは凄まじいものがありましたね。本当に懐かしいです。 物理アチャはビットによる蔵落ちバグを発見した mocxさん(現moxi)がブロガーという事もあり有名でしたが、 私の中では赤目B2でMPKしようと思ったのか釣りに失敗して 目の前で赤犬にぶっ殺されてた、アイシアさんも中々印象深いですね。 初めて無限矢を露店で出した人として、当時は話題になったものですよ。 Wiz:チリ、メテオ、FBなど攻撃スキルが多彩で、 かつヘイストやエンチャなどの補助スキルも重要視される仕事人がみんな大好きウィザードです。 この時期からチリはとっても強かったので、 他職で行き詰った人の多くはWizに落ち着いた、ってパターンも多いですね。 ただ、PTでの役割は攻撃よりも補助、最低でもアースヒールによる 回復要員として求められたのも、cβだけの特色の一つでしょう。 何度も言うように、Bis天使などの回復職もなく、またPOTがとっても高かったので その影響か嘗てのアスヒは現在の2倍以上の回復量、かつ半分以下の消費CPに加え Slvを上げれば獲得の方が勝るというチート仕様でした。 おかげでこの当時はPTにアスヒ要員という枠があったのも懐かしい話です。 そういった事情もあり、狩り場で出会うWizのほとんどがアスヒ枠としてでした。 しかし、やはりいつの時代にも規格外という人はいるものです。 チリを極めに極め、のちの赤鯖5強の一角ギルドOuroborosを創設するHiD_eさんを筆頭に、 チリヘイwizの始祖ともいえるrokiさん、知る中で初めてメテオを習得したraipeさん、 アルパB3で引っ張りだこだったエンチャwizの代表格SCRIPTさん、 そして、FBを誰よりも極めていたREDSTONE計算機の管理人・すなさんなど 高レベルになるにつれ、Wizほど顕著に個性派が集った職はなかったですね。 どのスキルが使えるか論争した日々が懐かしいものです。 犬:テイマ実装前までは間違いなく物理最強職を誇っていた栄光はもはや過去の産物。 いまやただのネタとしか認識されていない、僕らの心のマスコットがウルフマンです。 上にも書いた通り、この時期のウルフマンの多くはWizとして、 アスヒ要員として数えられていたのは悲しい事実です。 そんななか、私が犬の強さを初めて知ったのは、東プラトン街道の レッドマン狩りで手伝いをしていたmarxisさん(後のギルドHolyArk創設者)からでした。 当時は攻撃速度という概念がなく、 また各アイテムのオプションにつく属性攻撃のダメージが重複する仕様でしたので (たとえば、指8か所に属性攻撃がついた物を装備すると、黄ダメはその総合値が換算される。 この影響の余波で、剣士の最終武具がフレアークレセントだった時期がありました) 大概の高レベル物理キャラは黄ダメ>白ダメという属性攻撃に頼っていた人が多く、 スタダ組であればスタダ組であるほど、その比率は顕著なものでした。 しかしmarxisさんはこの時期見た犬の中で唯一白ダメが勝っていた人でして、 それがなんだか記憶に残っているんですよね。 と、いったところで文字数が限界なので次回に続きます。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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