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テーマ:サッカーあれこれ(19729)
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始めに・・・その3はまだなんですが近々アップします。
☆ ☆ ☆ ☆ この日のメインは祖母井統括部長(GM)の話だった。 生い立ちからの話で、実家が理髪業ということで、幼いとき 月曜日に学校を休んで父親に連れられて三宮の映画館に行っていた。 洋画ばかりだったので、自然と外国に行きたい、暮らしたい という思いがめばえ、大学に行く頃には押さえきれなくなって いた。それで就職よりも契約制の読売クラブに入った。外国人の 監督、外国人選手とそろって外国的だったのでとにかく外国に 行きたくなったので、たいしてあてのないままドイツにわたった。 ドイツでアマチュアチームなど経験しているときに奥寺氏のマネージャー をやることになった。部屋探しから家具選びなどいろいろや った。その後ケルン体育大で勉強し、教えたりして、その後 帰国。母校の大阪体育大で助教授をしているときにジェフから 育成担当でというオファーをもらう。しかし震災にあい、どうしようか と迷っているところ、同じ時期にジェフからGKコーチのオファー をうけていて、祖母井さんがジェフに行くのなら自分も行く といっていた 芦川さんが先にサインをしてしまったので、後ろ髪を引かれる思いをしながら ジェフにきた。この芦川さんの存在がなかったら今ここにい なかったかもしれない。そうしてジェフで仕事をすることになって いくつかの違和感をもつことになった。 当時、ジェフの本社と練習場は舞浜にあった。練習見学は見 学日しかできず、見学許可証を買わなくてはいけなかった。 ユース・Jrユースは練習に芝のグラウンドは使えない。 トップの練習の支度、片付けはマネージャーがする。などがあって 変えていきたいことがたくさんあった。 その後本社が五井会館、姉崎の練習場のクラブハウス内と変わり、 最初の頃あったフロントと現場の温度差の違いも解消され、 一体感が出てくるようになった。やはり、社長が直に練習場の 芝の状態、選手の様子が見ること出来る環境は即断即決ができ メリットが大きい。 育成の仕事の中では、オランダ人のヤン・フェルシュライエン氏 を呼んだことが大きなターニングポイントになった。これは 古河からの体質を変えるきっかけと、ユースの飛躍という効果 を呼んだ。その後ヤンさんは監督もやり、ボスなどの低迷期を 支えてくれた選手を獲得することもできた。 そしてGMに就任したとき、チームの選手の契約はほとんど 終わっていて監督を選んで欲しいという話だった。そこで旧 知の間柄でこの人とサッカーをしたいと思っていたゲルト・エンゲルス氏 を監督にした。このあと考えの違いから監督更迭ということになり もともとの人間関係にもヒビが入った時期もあったが、この 人とサッカーをやりたいと思える人以外とはしたくないという 考えには変化はない。そうして次のザムフィール氏の時チームが低迷し チーム自体もバラバラになりそうなとき、監督が自分を変え ろ、そしてカリスマ性のある後任を探せと言ってきた。確か にそうだと思える部分もあったので後任探しに入った。ケル ン体育大時代からの友人であり当時浪人中だったベルデニック氏 に決めた。その後監督の交代にあんな事態がおこるとは、想 像していなかったし危機管理ができていないといわれてもしかたが ないと思っている。それで次は意地が出てフットボールカン ファレンスで知り合ったベングロシュ氏となった。ベングロシュ監督 がやめることになって次はどうしようかなとリストを作って あれこれやっているときに、オシム氏が日本に興味を持っている という情報が入った。それで動こうとしたが、なかなかうま く連絡が取れないでいるときに、Jリーグアウォーズで顔を合わせた ベルデニック氏にオシム氏のパーソナルアドレスを教えてもらった ことで話がつき今日に至る。ここで大事なのは社長とGMと 監督の関係がうまくいっていないと、チームの雰囲気も悪く するということ。たとえば1stの神戸戦の後などこんな試合の日 は寂しいだろうと、社長と2人でコンビニで食べ物、飲み物 を買い込んで監督の家に押しかけていったり、餃子パーティ ーをしたりとコミュニケーションを図っている。 次の夢は、セルティックやリバプールと組んで試合をしたり 試合をしてみたい。 あとはクラブハウスに選手、サポーター、スタッフの交流できる レストランをつけたい。そしてジェフをよくすることで地域の コミュニティをよくすることとして、選手が地域のサポート を自発的にできるようにしていきたい。 というような話でした。 ここ10年のいろいろなことが思い出されました。オシム監督 を呼ぶきっかけとなった、ベルデニック氏の話はちょっとびっくり しましたし、あったかくなりました。その大切な携帯を駅で 分かれるとき見せて頂きこれにはもっとびっくりです。 社長の人柄といい、祖母井さんの人柄といいチームの雰囲気 に現れているなぁと実感したひとときでした。 クラブハウスのレストランというとセレッソの練習場の所に あるのと選手の寮の食堂をレストラン化した京都のクチーナ サンガを思い出します。セレッソのに行ったときは練習の 終わった西村監督が来ていたし、京都の時は当時所属してい た遠藤保仁選手などに会えてびっくりした思い出があります が、コミュニケーションを取るという感じにはなりませんでした。 ぜひともそいういう場を作って欲しいなと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2003.08.31 14:07:39
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