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カテゴリ:中村稔先生。
今週の札幌は「これでもか!これでもか!」というくらい、間断なく雪が降っております。
本日も朝から大雪でした。 降り始めの木曜日は“深々と”降っていましたが一向に止む気配がありません。 雪が積もった自動車はこのような状態です。 航空便、JRなどの交通機関に相当の影響を与えてくれました。 そのような悪天候にも拘らず中村稔先生が来札されました。中村稔先生とは、昨年の「荻窪の夜」で登場していただいた、代々木ゼミナ-ルの元講師(英語担当)です。 代々木ゼミナ-ル(以下代ゼミ)にて学んだ、現在、30歳台~50歳位までの元受験生であれば、中村稔先生の名前を知らない方は存在しないと思います。 その中村稔先生、当初は竹社長と一緒のフライトで来札される予定でしたが、竹社長が翌日に延期されたのでお一人でいらっしゃることになりました。 中村稔先生は新千歳空港からJRで札幌駅に向けて移動されたのですが、途中、何度も停車したため札幌駅到着は18時を過ぎておりました。 私は既にススキノに到着しておりました。少しした後、札幌駅にいらっしゃる中村稔先生と携帯電話にてやりとりをしました。 「タクシ-で移動する」意向の中村稔先生に対し、私は「この雪では車の移動はかなりの時間を費やしますので申し訳ありませんが地下鉄で来ていただけませんか?」とお願いしました。 代ゼミ札幌校で何十年も教鞭をとられたとはいえ、札幌滞在中は、ホテルと代ゼミの往復が中心の生活でいらっしゃったのでしょう。中村稔先生は地下鉄に乗った経験が無かったようであります。 それでも待つこと約10分、中村稔先生はススキノ駅に到着されました。 少し安心した私が、どうしても注目せざるを得なかったのは中村稔先生が持っておられた“アタッシュケ-ス”です。 ミカン・10kg入りの段ボ-ルをもう一回り大きくしたサイズの“アタッシュケ-ス”には驚いてしまいました。 そういえば、中村稔先生は代ゼミ講師時代から大きな“アタッシュケ-ス”を持ち、札幌駅周辺を歩いておられました。 今回、私はこの“アタッシュケ-ス”を持たせていただきましたが、どう軽くみても10kgは遥かに超えていた手ごたえ がありました。 かすかな記憶を頼りにしますと先生は授業のなかで「受験に必要な要素は体力作りです。」と頻繁に仰っておられました。先生はそれを自ら実践されていたようです。 当時の先生は日本全国の代ゼミを回られたのですが、必ず持たれていた>“アタッシュケ-ス”の中にを2個、忍ばせていたそうです。 その使い道はといいますと、授業を終え、ホテルに戻ってから鉄アレイを持ってヒンズ-スクワットを100回もされていたそうです。プロレスラ-顔負けですね。(でも空港の搭乗口担当者は鉄アレイを見てどう思ったのでしょうか?) 今回も鉄アレイを忍ばせておられたかは定かではありませんが、とにかく重かったです。 中村稔先生との再会に喜びを感じつつも私は昨年の“荻窪での醜態”をまずお詫びしました。 その後、今宵の宴の店に移動しました。 お店はワンパタ-ン化しつつある居酒屋「コロポックル」 (南4条西4丁目・松岡ビル3F)です。大雪にも拘らず、個室は満席状態。仕方なく椅子席になりましたが外の景色を眺めることの出来る席を予約しておきました。 この店の社長は私の高校の同級生で、彼もまた代ゼミで中村稔先生の授業を熱心に受けておりました。 窓側椅子席は市電を眺めることが出来ますから個室に比べて風情はあります。 私達が座った席のすぐ横にそびえている下の写真の木は“神樹(しんじゅ)”という名前です。 “神が宿る樹”なのかどうかは判りませんが冬でも葉が落ちない そうです。向かい側にロビンソンさんの文字が見えます。 先生は外の風景を眺めながら、杯をどんどんかたむけていきます。ビ-ルに始まりワイン、そして焼酎とさすが、お酒はお強いです。 先生は、おつまみ・料理はあまり口にされなかったです。 焼酎に氷下魚(コマイ)とししゃもは合います。 先生と私は代ゼミ時代の昔話で盛り上がったばかりではなく、天下国家についても語りました。 注文した“クジラの刺身”が出てくると“諸外国の日本に対する捕鯨反対行動”について憤慨し合いました。国会議員も正面切って“日本の食文化”について反論しませんね。私は「クジラが駄目で牛や馬、豚は良いのか!」と思います。(ぶれてしまいましたが下がクジラの刺身です。) ひたすら続く議論の後、場所を変えることになりました。 次の店は“ラウンジ・ペガサス”さんへ。若い女性がいる綺麗なお店です。(もちろん健全店です。)ここのママとはかれこれ12年のお付き合いをさせていただいております。(もちろん男女関係はありません。) この時点で先生も私も少し酔ってきました。それでも話はやみません。 酔った私の脳裏にある光景が蘇ってきました。 それは中村稔先生の授業です。 先生は「英和辞典を有効に活用するように。」と常々、おっしゃっていました。 曰く「いいですか皆さん、私(中村稔先生)が指摘した箇所は必ずアンダ-ラインを引いて下さい。後からその箇所を見ることがあったらまた、アンダ-ラインを引いて下さい。最後はアンダ-ラインがで判読不明になっても構いません。辞書が綺麗な状態ではいけません。ボロボロになるまで使って下さい。」 この思い出を私は目の前にいらっしゃる先生に話しました。先生は懐かしそうにされていました。 先生は暗黙のうちに「反復と根気」の重要性を当時の受験生に伝授されていたのです。 そんな話題に花が咲いた頃、先に紹介した同級生(社長)も合流し更に盛り上がりました。 かくして、帰宅は2時近くでした。 実は先程、私が浪人時代に使用した英和辞典を何年か振りに書棚から取り出しました。 パラパラめくっていますとアンダ-ラインがたくさん引かれていました。どうもこの辞典は捨てることが出来ず、今日まで残っております。 多くのアンダ-ラインが引かれた文法・イディオムを眺めていましたら、20年以上も前の中村稔先生の講義の様子を思い出してしまいました。 無数のアンダ-ラインから一つだけ抜粋し本日のブログを終了します。 substitute(A)for(B)=「(B)の代わりに(A)を用いる。」というイディオムです。 中村稔先生→「いいですか!皆さん!このイディオムは重要です!サブステチュ-ト、エ-、ホ-、ビ-。このホ-は「~に代わって」という意味があります。ビ-の代わりにエ-を用いるですよ、皆さん!」 私は何故か今もこのイディオムを憶えております。 懐かしすぎて、中村先生の授業を受けたい衝動に駆られました。 更には、現在の受験生にも受けさせたい ですね。先生の授業を受けると“ゆとり教育がどれほど社会に通用しない大学生を生産しているかが判ると思います。” お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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