池内昭夫のブログ 「徳育」について(3)
徳育に関して第2次報告には次のようにある。
教材については,多様な教科書と副教材をその機能に応じて使う。その際、ふるさと,日本,世界の偉人伝や古典などを通じ,他者や自然を尊ぶこと,芸術・文化・スポーツ活動を通じた感動などに十分配慮したものが使用されるようにする
これこそ、まさに『修身』ですよ。こんなこと言うと私の年齢を誤解されると思いますが、それは間違いです。インターネットで勉強したのですから。
「これこそ、まさに『修身』」
だから、徳育は駄目だと考える人達も居れば、
そうか『修身』を誤解させられていた、恥ずかしい、と考える人達もいるでしょうね、
それぞれの精神年齢によって。
私はこの文章に「怯(ひる)み」を見る。<ふるさと,日本,世界の偉人伝や古典などを通じ,他者や自然を尊ぶ>とある。が,自分はどこにいってしまったのか。
ここは少し反対意見を述べさせて頂きます。
人間の最初の段階(赤ちゃんですね)には自我はありません。外界を観察することだけです。それが次第に外界(自身の身体も含めて)と自身の言葉(ギャーギャー・バタバタ)の関連性が積み重なって関連性理解ができます。自身の言葉は他の外界と同じに外界なのですが、関連性理解こそが自我です。
このように、自我を教える必要は全然なくて、外界を教えれば十分だと思います。
私は,偉人伝や古典などを通じてまず育むべきは「自尊心」だと思う。つまり,自らの人格を尊重し、品位を保つことのできる人間を育むことが一番大事だと思うのである。が,第2次報告は自分を忌避していきなり他者や自然を持ち出す。
あ、そうか。偉人伝や古典にあらわれる「自尊心」も外界の一つですね。それはそのまま丸呑みさせれば良い。初等教育ですから。
戦後教育の過誤は,権利と義務の平衡を保てなかったこと,私と公のバランスを失したことにあったように思われるのであって,決して「自分」にしか目を向けなかったからではないだろう。私の権利ばかりに目がいってしまったことで自らを甘やかした結果「わがまま」が生じ「勝手」が生まれたのだと思われるということである。
そのような人物像も一つの(反面教師的)偉人伝として教科書に盛り込めば良いですね。
私は,今まず道徳的に求められるのは「自律心」や「克己心」だと思う。つまり,徳育授業の第一の目的は,偉人伝や古典などを通じて自律や克己を養うことだと思うのである。
戦後教育も,他者を尊び自然を愛するよう指導してきたのだと思われる。が,そこに抜け落ちてしまったのは,自らを律し,己に打ち勝つ精神ではなかったか。
簡単に言えば,それは「武士道」と呼ばれてきたものであろうと思う。何も徳育を武士道に限定する必要はないけれども,武士道を参照することが有効であることは間違いないことだと思われる。(終)
全く同感です。
付け加えるとすれば、「自律心」や「克己心」の根幹にあるのは「公徳心」でしょう。それが『修身』でしたね。