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かぜはイタ!づら [全41件]

Oct 14, 2005楽天プロフィール Add to Google XML

あるオトコがモノがたる 第1章  (1)

                         
              みなわひとし
ギターと
 筏が、ぐらりとゆれた。ウエオの恐怖は、そこにはじまる。たぶんそれは、三歳か四歳の、体験というよりは、体感のような気がする。ウエオが泣いたかどうか、それは記憶の彼方にしかない。ただ情景だけが、ありありと浮かんでくる。青黒い淵を、水はどこか、魔性を帯びたように刃を逆立てていた。ウエオの記憶は、なぜか、そこで消える。

 家は、大きな川のまん前であったようでもあり、川と家のあいだに、柳の木や藪があったような気もする。すべて、おぼろな記憶である。



 サイレンが鳴り、敵機の来襲をつげる。逃げる先は、防空壕とよばれた。ウエオは、たぶん、母に連れられて、防空壕に走った。そのとき、弟が生まれていたのかどうか、なんの記憶もない。ただ、防空壕の暗さが、やはり、なにか体感のようにのこっている。しかし、なにか変な気もしないではないが、その暗さは、安堵の感情とともに、ときによみがえる。暗さが恐怖を消したのか、それとも、恐怖を暗さが包み込んだのか、それもまた確かめようがない。とはいえ、死ななかったことだけは事実である。



 あるとき、航空廠の屋根に練習機が激突し、何人かの死者を出したことがある。ウエオの父は、徴用を受けて航空廠に勤めていた。ウエオの父は、その事故のとき、幸運にも死をまぬかれたが、頬に傷を負った。三、四歳のウエオに、正確に、その事故のことが記憶されているはずもないが、たぶんその事故は、のちにウエオの父が語ったことが、いかにも当時の記憶さながらにウエオの脳裡に刻まれているのだろう。

 練習機が航空廠の屋根に激突したとき、ウエオの父は、まっさに咄嗟の判断で廊下を、右だか左だかに走った。その反対に逃げた同僚は、帰らぬ人となった。ウエオはそれをひとつの事実としておぼえているが、父が自分の幸運をことさらに、なにか意味があるように語ったことはなかった。



 ニホンがアメリカとセンソウをしていたあいだの、ウエオに記憶されたもろもろは、これですべてである。酸鼻をきわめた空襲の結果をウエオは見ていない。そして、人間がどこまでも動物と化す、というより人間そのものの残虐がむきだしにされる戦闘を、ウエオは記憶していない。



 ときどき耳にもし、書かれたもののなかにもいつも現出する、ニホンの敗戦の日――八月十五日の全的虚無のごとき青空を、ウエオは記憶していない。ニホンが敗けたことに、ウエオの父や母が、どんな気持ちをいだいたか、どんなに思い出そうとしてもいっこうによみがえってこない。たぶん、ウエオにとっては、ニホンが敗けたことも、アメリカが勝ったことも、おのれになにかを加えるという性質のものではなかったのだろう。というより、ウエオは、まだ自分が外に向かって、なにものかでありうる年齢にはいなかった、というほうが事態の説明になるかもしれない。

 たしかに、防空壕に逃げたことは記憶されているが、それがほんとうにセンソウであることを、理解していたとは思えない。防空壕の暗さが、むしろ安堵のひとつの世界としてよみがえることが、ウエオにとってしばしば重要のことに思えた。

 センソウは、暗さの安堵としてよみがえるが、そこに死をまねくものとしてあらわれることは、あるときまでなかったのである。



 ――ウエオは、ずいぶんのちに、南の小さな島、というより市街地から、目と鼻の先の、島まるごとが小さな一集落である島をおとずれた。残暑の、まだあつい陽をうけて、波打ち際に波はタプタプと心地よい音をたてていた。たしかに、平和な一光景というほかなかったが、しかし、対岸を見ると、船のドックがあり、赤茶けた大きな工場が見えた。

 いま、平和であることの象徴として見えるものが、かつて戦間期に、それはべつの象徴であったかもしれない――という想念が、ふとウエオのこころをよぎった。

 南の空は、青さが深く、からだごと心地よくしてくれる。釣り人は、サオを海に投げ入れ、釣果をしずかに待っている。ヘイワがタイセツでない――とだれにいえるだろう、ウエオはかんがえる。



 センソウが、ほんとうはなんであるのかを知るようになったのは、街に傷痍軍人を見かけるようになったころか、とウエオは思うのだった。



最終更新日時 Oct 14, 2005 8:19:48 PM
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Sep 08, 2005

なんでもないこと

ふと、思う
とくべつ
がんばっているわけでも
ないけれど
いろいろな風景に
ぼくは
はげまされている
らしい


出来事
水を撒いたら
ブロックの塀の下の
あるかなきかの茂みから
涼気に向けて
ムラサキシジミが一匹
舞い上がった


記憶と今
坂の上まで歩いてきたら
日がカンカン日がカンカン
――夏はやっぱり
古びることなく
あらたににおいを
させている

      みなわ ひとし



最終更新日時 Sep 08, 2005 11:37:50 AM
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Aug 30, 2005

夏の終わりにー―変身譚

こころを
風にねぶらせておくだけ
だった倦怠の夏に
時はたしかに
プレゼントを
くれていった
――希望
赤らむこころで、ある時
ぼくは
そっと、言ってみた
       みなわ ひとし

あしながおじさん?
どこまでも続く青い空に
ムクムクと白い雲が
湧き上がっている。

「喜一さん
入道雲、入道雲」
(こんにちは)でも(やあ)でもなく
元がネットカフェに入ってきた。
「入道雲? 珍しいね。
雷、かな」
なにやら書類を手にした喜一が
カウンター越しに
ゆっくりと顔をあげた。

「元くん」
と、喜一がコーヒーを差し出しながら
言った。
「ここ、引き払わなければ
ならないんだ」
「な、なんで」
元が、目をぱちぱちさせた。
「これなんだ。とうとう家賃を上げると
言ってきた」
喜一が、さっきの書類を
元に見せた。

「ここを借りて6年ほどに
なるけど、家賃はずーっと
変わらないできた。
それで、今日まで何とか
やってこれた訳なんだけれど。
家主が変わったからね」

元が書類をパラパラめくっている。
「へー、倍になるの。
無茶苦茶だね」
「でもないの。この辺の相場でいったら
それでも2割方安い。もう、この辺が
限界かなって
思い始めたよ」
珍しく弱気な喜一がいる。

さっきまで晴れ上がっていた空が
にわかに掻き曇り
ザーッと音を立てて雨が、
激しく落ちてきた。
喜一も、そして
日頃は口の軽やかな元も
降り続ける雨を
見ていた。
どうしたものかと
ぼんやり見ていた。

叩きつけるような雨足が
少しやわらいだ頃
クリーム地に
ボタニカルアート風の
ピンクのコスモスを
描きこんだ傘が
ふわりと喜一の店のドアを
開けた。
「ごめんなさい。
(傘を)差したままで
入ってきちゃった」
久しぶりに会うレモンの頬は
いつになくばら色に
輝いてみえた。

傘の雫を払いながら
レモンはスカートの裾を
気にしている。
ブルーのグラデーションが美しい
くるぶしまでの
テイアードスカート。

「元さん、あの時はごめんなさいね」
駅のホームでのことだ。
元は、あの不思議な再会の
シーンを幾分悩ましく
思い浮かべていた。
「いやいやなにも」
言いながら、レモンの差し入れの
バナナケーキを
さーっと口に運び
お気楽に応えた。
喜一も、元からそのことは
聞いていた。
思いを残して別れた夫と
思いがけない再会をしてしまった
レモンのことを遠巻きに案じてもいた。

「喜一さん、ネットカフェ
やめちゃうの」
レモンが意外なことを口にした
「え、どうして。
いま元くんに話したのが、初めて
なんだけど」
喜一が不思議そうにレモンを見た。

「不動産屋の安井さんが、
多分そうなるだろうって、さっき」
喜一は、今朝安井と立ち話を
したことを思い出した。

「そうなんだ。もうこれ以上は
無理かなってね。
パソコンも
一家に一台って時代になって
この店の役割も終わったかなって
感じするしね」
言い切ってしまうと
喜一自身、本当に
それでいいのかもしれないと
すっきりした気持ちになった。

「違うかたちで、始めない?」
レモンが声を弾ませた。
「喜一さん、ここのスペース
半分私に貸してくださらない?
喫茶店やってみたいの、
ねえ、どう思う?」
(どう、と言われても、あまりにも
唐突で、なんと答えたらいいのか)
喜一は、思考が停止したように
レモンをまじまじと見つめた。

「いいんじゃないの、
オレ毎日来るし」
元が勝手に乗り気になっている。
(いいね、毎日レモンさんと
ジユウに会えるし
ラッキーだね)

喜一が元の妄想を牽制するように
ゆっくりと口を開いた。
「簡単には答えが出てこない。
少し考えさせてほしいんだ」
(渡りに船のくせして、
勿体をつけて)
元は、喜一を軽くにらんだ。

「ええ、そうね。
よく考えてお返事くださる?
あの、またゆっくり話しましょう。
これからちょっと用事が
あるものだから」
喜一が了解というように
うなずいた。

いったん出て行こうとしたレモンが
意を決したように戻ってきた。
元は、ちょうど二個目のケーキを
頬張ろうとしていた。
喜一はコーヒーを
カップに注ぎ足そうと
していた。

「あの、わたしね
夏が終わったら結婚することにしたの。
かわいい五歳の息子ができるの。
じゃ、また」
と言うがはやいか、
風のようにするりと
レモンが出て行った。

元は、ケーキをぽとりと
床にだらしなく落としてしまった。
喜一は、カップに淹れかけたコーヒーを
あふれさせた。

外は、雨上がりの澄んだ空に
まぶしく日が輝いている。

時は時を紡ぎ
ヒトの痛みを
優しく包み込んでいく。
              楠田レモン



最終更新日時 Aug 31, 2005 09:44:26 AM
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Jul 28, 2005

なにかに出会って  (1)

いつもいつまでも――そのとき、真実が
わかるのよ、とおんなが
言った
おとこは、百年の酔いの奥から
その託言をきいた

《まっこと、季節は
夏へ夏へ
そしておとこは
そしておんなは
すべもなく裸になる》    みなわ ひとし

今年最初の台風の影響で
駅のダイヤが大幅に乱れていた。

元は、駅のホームのベンチに
大きな黒いバッグをドスンと置いた。
坐りしなにマイルドセブンに
火をつける。
「ついてない、まったく」
本当はクルマで、隣町の檀家の家に
行こうとしていた。この雨で、川が氾濫して
それが不可能になった。
「まったく。ついてない」
言ってもしようのないことを
つぶやきながら、吸いかけのタバコを
足元で踏んづけた。
(ゴミ、みーつけた)
ウワ、レモンが目の前にいる。
「げえ、いつからそこにいるの」
言いながら、テレ隠しに
タバコの吸い殻を拾い上げる。
「クルマ、ダメなの? 川あふれちゃった
のね」
レモンが隣に坐る。
「そっちこそ、仕事?」
「そう、なの。どうしても今日
届けなきゃいけなくて」
薄紫のサマーセーターが、
無造作なまとめ髪によく似合っている。
「オレ、ツイてるかもしれない」
「エ、何?」、レモンが無邪気に
問い返す。
「いやー、なんもなんも」
元は、ジーンズのポケットを探っている。
「ガム、噛む?」
「ありがとう」
レモンが、素直にガムを口に運ぶ。
元も、ガムをほおりこんだ。
(台風もいいもんじゃないの)
元は、じわじわと幸せな気持ちに
なってきた。

「アラ」
レモンが、反対側のホームを見て
立ち上がった。
中肉中背の、浅黒い引き締まった顔の
男が、ホームの柱に寄りかかる
ようにして、こっちを見ていた。

「まあ」
今度は口の中でつぶやくように
レモンの声はか細くなった。
そして、静かに腰をおろした。

男は、軽く目を細めるようにして
レモンを見ていた。
リラックスして、ふわりとそのままの
姿勢でいた。

レモンは、何か零れ落ちそうになるのを
耐えるように、そっと目を閉じた。

元には、確たる自信もなかったけれど
ただならぬ何かを感じてしまった。
凝視するように男に
強い視線を放った。

――まもなく、上り特急電車が
ホームに入ってまいります――
アナウンスがあった。
向かいのホームに静かに
電車がするりと入ってきた。

男は乗り込むと、こちらのホームに向かって
ガラス越しに立った。

レモンが顔をあげた。
男は、その瞬間を逃さないように、
唇を動かした。
レモンははじかれたように
立ち上がった。
そうして、黙って男に向かって
お辞儀をした。レモンもまた、
同じように唇を動かした。

電車がガタンと音を立てて
動き出した。
男が、微笑んで手を軽く振った。
レモンは、電車が見えなくなるまで
じーっと立ちすくんでいた。

「元さん、私帰ります」
レモンが小走りに、改札口を出て行った。

あの二人なんて言ってたのだろうか。
元にはこう聞こえたように
思えた。
「ゴ・メ・ン・ネ」 楠田レモン



最終更新日時 Jul 29, 2005 01:01:48 AM
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Jul 15, 2005

立ち止まって

花いちりん
――そんなことは
いつの時代にも
あるサ、とおとこは言う
――時代? ちがうわ
(いま)と(ここ)
だけよ、あるのは、
とおんなは返した

《空はすみれ色に淡く
 風はもう夏を含み
 たしかに季節は
今をうごかしていく》  みなわ ひとし

「やあ」
薄明かりの中で、その男はかすれた声を発した。

商店街の真ん中に、その黒い扉はあった。
扉を開けると、さらにもう一つの
黄色いドアが続いている。
喜一は、重い足取りで、
そのドアを押した。

天井の半分は、黒い闇の色に覆われている。
奥の半分は、一面の星空だ。
床は金茶で、ロゴが白く浮き出している。
「Kent Boy’s Club」

「ヨオ、こっち」
男が物憂げに手招きした。
「やあ、久しぶり」
喜一が、足早に男に近づき、
手を差しだす。
その瞬間、男の手がカウンターの下に
すばやく伸びる。
喜一は、無意識に身構えた。
と突然、満天の星が、頭上に煌めき始めた。
天井のミラーボールを指して
男が、いたずらっぽい笑顔を見せた。

「まあ、飲んだら」
男が、ウイスキーを生で注ぎかける。
「ここ、いつから」
と、グラスを受けながら、喜一。
「今度の金曜日にオープン」
喜一を横目で見て、
「いや、設計をやっただけよ、オレ。
バツイチの女がやるのさ」
と、男の浅黒い顔が沈む。
「戻ってきたのかと思ってた」
喜一が、おずおず言うと、
「またまた。
相変わらずの根無し草」
男は、その言葉を楽しむようにつぶやいた。

コルトレーンのトランペットが
地の底から聞こえてきた。
あれから、いったい、何年たっただろうか。

さっきの黄色いドアが、バタバタと開いた。
黒いシフォンのドレスを着た女が
ふわっと入ってきた。
「あら、喜一ちゃん」
二人の高校時代のクラスメート、
安村かほり、だ。

「まさか。ここ、やるの、安村?」
喜一は、目を丸くしている。
「そう、専業主婦から、華麗なる変身、よ」
「そうか、すごいね。けど、びっくりした」
喜一が、間の抜けた素直さで応えた。
「でしょ?」
とすまして、かほり。
「ちょうど、匡(ただし)が帰ってくるって
聞いたもんで、ダメ元で頼んでみたの」
「というわけさ」
匡は、言いながら、空のグラスを
もてあそんでいる。

かほりが、気ぜわしそうに
奥の小部屋に入っていくと、
匡が、初めて真正面から喜一を見つめた。

「変わりないかい、レモンは」
深くて、いつくしむような
声音で、そう訊いた。
「元気だよ。
レモンさんは、レモンさんのままでいる」

コルトレーンの音楽が、
静かに終わりを告げた。
グラスの中の氷が
小さな音を立てて溶けていく。
喜一の目の中に
匡とレモンの結婚式の写真が
浮かんでは消えた。     楠田レモン



最終更新日時 Jul 15, 2005 01:45:04 AM
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Jun 14, 2005

きっとね 春の名残に

<きっとね>
と約束したことだけを
おぼえている
春の街並
      みなわ ひとし

お久しぶりです
「おじさん」
セーラー服の桃子が立っている。
今日中に仕上げなければいけない
仕事を抱え、喜一は少しいらだっていた。
「なんだ桃子。邪魔するんじゃないよ」
そう言うつもりで顔をあげた。
おや。あれ。
いつもの桃子じゃない。
なにがどうしたとも言えないけれど。
喜一は、少しの間ぽかんとしていた、らしい。
「おじさん、ぼんやりして。
どうしたの?」
いやいや、喜一はわずかに首をふった。
なんだ、やっぱりいつもの
うるさい桃子だ。
「邪魔するんじゃないよ」
喜一は、やりかけの仕事に戻った。

桃子は、制服の袖口がぬれないように、
クルクルと腕まくりした。
小さな台所は、カップラーメンの空っぽに
なったのや、汚れたコーヒーカップが
だらしなく積まれている。
スポンジに思い切り洗剤をつけると、
ごしごしと洗い始めた。うちにいるときの桃子は、
喜一と同じで、食べたら食べっぱなし、
飲んだら飲みっぱなしの、
どうしようもない甘えん坊の
高校生だ。けれど、自分がやるしかないとなったら、
母親の見よう見まねで、俄然ヤル気を出すのだ。

「こんにちは」
あの、まったりのんびりした声は
レモンさんだ、桃子は濡れた手を急いで拭いて
台所から顔を出す。
「こんにちは」と、桃子に笑いかけると
レモンが買い物袋をゆらゆらさせた。
「桃子ちゃん、お好み焼き好き?」
「だーいすきよ」
「よかった。一緒に食べようと思って
材料買ってきたの」
言いながら、レモンは喜一の
背中を見た。
「忙しそうね」
「いつも追い込まれないと
やらないタイプだから」
と桃子。
「聞こえてるよ」
喜一が肩をぐりぐり回すようにしながら
振り返った。
「忙しそうね」
レモンが気遣うように言う。
「やっとメドが立ったから。
お好み焼きだって。
うまいの?それ」
「超、超、ウマイの」
レモンが、おどけてみせた。
「そりゃいい。
腹ペコなんだ。
小野さん、くるんだ。
出張帰りらしい」
喜一が乱雑にひろげた
仕事を片付け始めた。

ホットプレートにお好み焼きの具
をのせて焼き始めるころ、
小野さんがやってきた。
「ほーら、また骨壷が
手に入りましたよ」
「ウオ、いいねー」
喜一が小野さんに
グラスを差し出す。
「ふーん、いいにおいだ。
今日はお好み焼きですか」
小野さんは、プレートを
のぞきこむように言った。

桃子が最後のお好み焼きのタネを
プレートに流しいれようとしていた時の
ことだ。
「アレー」
表通りをぼんやり見ていた小野さんが
頓狂な声をあげた。
喜一が、その声につられるように
外を見た。
「なーに」
プレートのお好み焼きとにらめっこ
していた桃子が振り返る。
「元さん!」
叫んだのは、レモンだった。

桃子は、不自然に体を硬くして下を向いたまま、
コテで、お好み焼きをひっくりかえそうとした。
くるり。
ぽっとーん。無残に床に落としてしまった。
「ああ、台無しじゃないか。
まったくドジだな」
いつの間に近づいたのか、
桃子の目の前に
元が優しい目をしてたたずんでいた。
床の落とし物を、
元は、器用に手で拾いあげた。
桃子がさっと皿を差し出した。
「ありがとう」
桃子がとても小さな声でそう言った。
「お帰り」
言いながら、小野さんが、おやっという
表情をした。喜一に笑いかける。
喜一は、桃子のぽっと染まった頬に
目をみはった。ははーん。
笑みがこぼれる。

台所にふきんを取りに行っていた
レモンが戻ってきた。
おしぼりを元に渡しながら
「お帰りなさい」
と、レモンの顔がほころんだ。
「いや、どうも。ただいま」
元は、急にテレたように、
斜にかまえた。黒いポロシャツからはみだした二の腕が、
見違えるようにたくましくなっている。
桃子の顔がほんの少し翳った。
おやおや、やれやれ、
喜一はそしらぬ顔をした。

「それでは、元くんとの再会を祝して、乾杯!」
小野さんの声が、ひときわはずんだ。
春の名残のように、
しずかに雨の降る宵のことだった。
          楠田レモン



最終更新日時 Jun 14, 2005 00:24:28 AM
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May 07, 2005

春のスケッチ  (1)

スケッチ2

突風が
帽子ごと
わたしをとばした   
みなわ ひとしワイシャツとスニーカー
「今年は
満開の桜の下で
入学式ができるのね。
わたしの入学式も
そうだったわ」
数日前の母のことばが
鮮やかに蘇る。
春風に舞う桜が
ほの白く薄紅添えて
みている桃子まで、
ほんのり紅に染まりそう。
桃子の髪に花びらがひとひら落ちてきて。
あら、靄が立ちこめて
いつのまにやら桜は
みえなくなってしまった。

桃子は深い霧の中に
たたずんでいる。
前に進もうにも
何もみえない。
途方にくれて佇んでいる桃子の前に
かすかにみえる三本の道すじ。
右手の道にいるのは
あれはたしか叔父の喜一だ。
白いポロシャツにジーンズ
なんだかスリムになったみたい。
喜一が後ろを
振り返る。
白いワンピースの少女は
レモンさん?
ふたりは桃子をみとめると
そろって手を振っている。
桃子が近づこうとすると、
ふたりはなぜか雲のエスカレーターに乗って
少しずつ遠のいていく。

左手の道には、親友のトモちゃんと
ナッちゃんが桃子に向かって
何かしきりに叫んでいる。
後ろから野球部のゴロウくんも。
少し前まで桃子があこがれていた男の子だ。
ゴロウくんが「おいでよ」というように
手招きする。桃子は友達のほうに
駆け出した。
なのに、三人は桃子を無視するように
くるりと背を向けて
消えてしまった。

霧が少しずつ風に乗って
ゆらゆら動き出した。
桃子は、真ん中の道に
しせんを移した。
霧の切れ間に
男(ひと)が後ろ向きに
立っている。
誰だろう。目をこらすと、
短く五分刈にした男、短足だ。
わかった、元さんだ。
霧がすーっと消えていく。
それとともに元も消えている。

なぜ? なに?
わたしは誰のところにも
いけないの?
桃子は心細くなって
涙ぐんでしまった。
なぜ?と叫ぼうとするが
声は出ない。その瞬間ふーとあたりが
真っ白になって意識が薄れていった。

ほんのり桜の花の香りに
包まれて、桃子はいる。
誰かの胸に顔を
うずめているみたい。
おそるおそる見上げると
心配そうにみている
元の顔があった。
桃子の頬が紅色に
染まった。
桃子はわけもなく
元の腕の中でもがいた。
元の腕が
やさしく強く
桃子を抱きしめて
離さない。
どうしよう。

「起きなさい!」
いきなりまぶしい光の中に
放りだされた。
「まったく、何時だと思ってるの。
言いながら、母がカーテンをあけていた。

桃子はベッドの中で
目をぱちぱちさせている。
「ユメだ。夢なのよね」
それからのろのろと
起き上がった。

「始業式に遅刻して
どうするの」
母の小言がエンドレスに続く。

桃子はあわてて制服に着替えた。
白い一本線のセーラー服。
いまどきセーラー服なんて
古いよね、とトモコたちは言うが、
桃子はセーラー服が好き。
だって前にテレビで見た
「白線流し」みたいで
ステキじゃない、
とこころひそかに
思っている。

にしても、さっきのユメ
なんだろう。どうしてみちゃったんだろう。
うーん、誰にも言えないよ。ヒ・ミ・ツ。

桃子は白いリボンを
きゅっと胸元で結ぶと
すました女子高生の顔になった。
         楠田レモン



最終更新日時 May 07, 2005 02:14:40 AM
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