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テーマ:たわごと(26737)
カテゴリ:雑
実際ゆとり教育を受けていない年代ですので、あくまでも想像ですが、昭和50年代は円周率は3だの台形面積の履修は免責だのといった生ぬるさは皆無でした。それどころか人生における不条理までをも叩き込まれる、いわば「反ゆとり教育」を受けました。
小学1年生の時分、私を含めた数名がテストの氏名記入を忘れたため、教壇に呼ばれました。 数名のテストを並べ、どれが自分のテストか自己申告させられたのですが、自分の字には覚えがあったため、自信たっぷりで自分のテストを指さしました。 すると、そのテストにMちゃんの人差し指もあるではないですか。 自分の書いた答えも、字も、確かに覚えている、これは間違いなく絶対に私のテストなのに、どうして他の人もこのテストを選んでいるのか? と混乱していると、先生がおもむろにこう言ったのです。 「100点だから、それ選んでるんでしょ!?」 いや、このセリフ、忘れられません。 もうびっくりを通り越して、くりびつてんぎょういたおどろです。 名前を書き忘れる子供が一番間抜けなんですが、そもそも、そういう状況で自己申告をさせるのに点数を隠さないからこういう事態になるんですよ。 それにまだ小学一年、私は早生まれだからほぼ間違いなく6歳です。 そんな年端もいかない私に 「本当は違うんだけど、100点のを自分のだって言っちまえ。」 という悪魔的思考回路があるんじゃないかと言ってのけたことが信じられません。 要するに、言う言わないは別として、 そういう汚い心を持っているんだと見なしているわけだ。 確かに名前を書いてさえいればこんな目には遭わなかったんだけど、 どっちみちこの担任は児童をこういう目で見ているのか。 とまあ、6歳の私がこれらの単語を駆使して考えることは多分無理だったとは思うのですが、感覚としては同じものが全身を駆け抜けたのを覚えています。イヤ、ショックでしたよ。 その後、点数を隠して再度自己申告をさせられ、テストは無事手元に返ってきました。 下手すればテストは返ってこなくたっていい。とにかくこういう疑われ方をしたということが、6歳の子供としては本当にショックだったわけです。 返すとき一言「そうじゃなかったよね。ゴメンゴメン。」とでもあればだいぶ違ったと思いますが、謝罪は一切ありませんでした。 こうなぁなぁにされたことで、理不尽、不条理というものを子供ながらに強く実感したのです。 しかし年を重ね世に出て行くと、言うまでもなく理不尽さっていうのはこんなものじゃ済まないことを知っていくのです。 チョロっと論文書いて小泉チルドレンとかになっちゃって「グリーン車ですよ!グリーン車!」とかはしゃいでるボッチャンへの小遣いを含む税金をせっせと納めさせられたり、ただ池袋を歩いていただけなのに自殺の巻き添えにされて殺されたり。 本当に理不尽なことというのは多いですね。 事前にひどい理不尽さを叩き込んで、耐性をつけておく必要のある社会というのも嫌なものです。 どうにかならないものでしょうか。正当に政治家になれるほど頭も良くないしな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.11.12 20:33:52
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