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カテゴリ:ワイン
爆撃目標はワイナリー(Winery, the bombing target)
酒石酸(Tartaric-acid)はブドウに含まれる酸の一つで、結晶化すると、クリスタル状の酒石になるのでこう呼ばれる。 酒石酸にカリウムが反応して生じた酒石に水酸化ナトリウムを加えてできる物質は、酒石酸カリウムナトリウム(しゅせきさんカリウムナトリウム:Potassium sodium tartrate)で、ロッシェル塩(セニェット塩)と呼ばれる。 1655年、フランスの港町、ラ・ロッシェル(La Rochel)で、この町の薬剤師セニェット(Pierre Seignette)がワインの醸造工程で副産物としてできる酒石酸を精製して利尿剤として発売した。彼の名を取りセニェット塩と呼ばれたが、ロッシェル塩の呼び名の方が広まった。 1880年、キュリー兄弟がロッシェル塩他に圧電効果があることを発見した。 1917年フランスのランジュバン(Langevin)らが圧電効果を応用して、超音波を用いた潜水艦探知機(音波探知機)を開発した。第一次世界大戦中である。 1919年ロッシェル塩の圧電効果が水晶の1000倍以上の強さを持っていることをニコルソン(Alexander McLean Nicolson)が発見した。 1921年には、強誘電体であることが報告され、クリスタルイヤホンやクリスタルマイクなどの圧電素子に利用された。(クリスタルとは結晶の意味で水晶のことではない) これらは立派な軍需物資であった。(ちなみに現在では他の材料が発見され、湿気に弱いロッシェル塩は圧電素子としてはほとんど利用されないという) 日本でも、山梨県勝沼で収穫されたブドウを海軍が全て買い取ったことがある。 太平洋戦争時、1940年頃から桑畑や果樹園から穀類への作付転換が進められたが、ブドウ園は酒石酸確保のため、減反されるどころか保護され栽培が推奨された。 もちろん、酒石酸の多い果実を大量に収穫する方法や生成法が研究された。 1944年には、酒石酸保護のため、ブドウの生食が禁止された。 また、南方で戦う陸軍部隊も海水の脱塩剤に大量の酒石酸を必要とした。 ぶどう園のあるところにはロッシェル塩工場が併設された。 酒石酸を採取した後のワインは酸味の強い酢のような不味い液体だったという。このワインは日本酒の代わりに配給された。 結果として戦時の贅沢を禁止した何も無い時代に辛うじて保護された嗜好品となった。 しかし、あまりの品質の低さに開き直りぶどう酢として利用されたりしたという。 戦後になっても長く残った「ぶどう酒はすっぱいだけ」という評判は、ここから来ている。
ワインの醸造場一帯は日本軍の施設として認知され、その結果、空襲の目標となったものもある。
それでも、保護されたブドウの木は日本全国に残り、ブドウ農家やワイン業者は、敗戦後すぐに本職に戻り、ワインの生産を続けることができた。
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最終更新日
2011年02月06日 09時35分39秒
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