スタジオいっぱいに慈悲の波動である紫のオーラが溢れていたという中島啓江さん。
今回もたくさんの素敵なお話を聞くことができました。
中島啓江さん・・・中
江原啓之さん・・・江
美輪明宏さん・・・美
【スピリチュアル・チェック】
☆小さい頃、なりたかった職業→花屋さん
☆好きな色→子どもの頃庭に咲いていたたんぽぽの黄色
☆好きな言葉→ありがとう
☆何か不思議な体験をしたことがありますか。→幼稚園の頃、車にはねられても無傷だったこと。
☆大切な曲→Amazing grace!
☆ひとつだけ願いがかなうとしたら。→母に逢いたいです。
中島さんの一番好きな漢字が、自分の名前の中にもあり、江原さんの名前の中にもある
「啓」という文字。
「啓
江」は
大きな入り江という意味。
大陸に横たわる揚子江のように、大きな川に流れ込む前にはいろいろな川がある。
小さな川、大きな川、横に広い川。
たとえ細くて途中で干からびそうな川だととしても、
いつかは雨が降って、ちゃんとした川になる、人間も同じ。
誰かが何かをそそいであげれば、また生きかえる人もいる。
大海原に出る少し前の入り江のように、少しワンクッションおいてあげられる
何かをそそいであげられるような人間になって欲しい。
そんな思いで、お母さまは啓江と名付けてくださったのだそうです。
☆中島啓江さまのコメントからお教えいただき
「啓」は
大きな入り江→「啓
江」は
大きな入り江 へと
訂正させていただきました。
(いただいたコメントより・・・
ちなみに私の名前の由来のところですが、「啓江」の「江」が揚子江の江で「啓」が広いと訳し、広い入り江の子 となります。大好きな名前であり、命の名前でもあります。)
中島さま、ありがとうございました☆
【人はなぜ生まれいかに生きるのか】
江原さんもいままでの番組でこんなオーラはみたことがないとおっしゃるほど
愛がいっぱいにつまっているという中島さんのオーラの色。
紫は観世音菩薩を象徴する慈悲、慈愛の色。
お花屋さんになりたかったのも「人が微笑んでいるのを見るのが大好き。
手が冷たいのに笑って花束を作って
ありがとうって。
渡した人からも
ありがとうって言ってもらえる。なんて素敵なお仕事なんだろうって。」
歌手になろうと思ったのも「小学校で歌ってくださった真理ヨシコさんに
花束を渡した時、
ありがとうと言ってアンコールで歌ってくれた。
それに本当に感動して。」
番組が始まってから終わるまで、その言葉どおり
「
ありがとうございます。」を
いい続けていた中島さん。
「
ありがとう」という言葉には、すべてを美しい波動に変えるパワーが
あるのだときいたことがあります。
【人生ノート】
好きな色は黄色。
黄色い薔薇は嫉妬だという花言葉さえ、「花がかわいそう」という中島さんに
「それはこじつけよ。私も黄色い薔薇には
素敵な思い出がいっぱいありますよ。」という美輪さん。
江原さんも「
黄色い色はひょうきんで、人をほがらかにする。
私も黄色い花が好き。」と。
不思議な体験は、幼稚園の通園バスから降りたときのことで、
大勢の人たちの目の前で起こり、誰もが即死だと思ったほどの衝撃だったそう。
中「おじちゃん、
ありがとうって言ったんです。やわらかいものが抱きとめてくれたような。」
江「やわらかい、大きな手だったでしょう。
お母さまがご縁の薄かったお母さまの父方のお祖父さんだとおっしゃってます。」
中「私はそのとき、絶対死ねない、悪いことはできない、
誰かのお役に立つんだって。
辛くて、悲しくて、泣きたいことはたくさんあったけれど、
歌を歌って、辛くて悲しい人を励ますことができれば幸せ。」
美「そのための、必要なお勉強だったの。
思いが声の波動になって伝わるのね。」
美「この間ね、水木しげるさんとお会いしたら、70歳となってやっと週に1つずつ
利巧になっているっておっしゃるの。いろいろなものが見えてくるのね。
私も70になってわかったのだけど、歌も世の中のこともわかりやすくなる。
30才、40才で自分はこれまでだってブレーキをかける人がいるけど、
そんな必要なんてないの。40、50、60、70、80って
人はずっと進化してゆく、
これだけかと思ったら、ここにもある、あちらにもある。
人は無限の可能性があるの。」 明日に続きます。
☆今まで経験してきたことには、何ひとつ無駄なことはなく、
どんどんと自分の引き出し、種になってゆくということですね。
☆私にとって中島さんの最初の登場は、なつかしき「
イカ天」。
オペラ歌手という歌の専門家が、ロックな挑戦者の方々に厳しくも慈愛に満ちた
お話をされていたのが印象に残っています。