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カテゴリ:オーラの泉
「二十歳の頃何をしていましたか?」という太一くんに
「来年のこと?まだなっていないからわからなぁい☆」と美輪さん。(メケメケの頃ですね。) 「一言でいえばシックス・センス」と江原さん。 いろいろなものが見えて見えてしょうがない、それを受け入れることもできない、といった 毎日だったようです。 ゲストの川嶋あいさんは二十歳になったばかり。どんなお話が聞けるでしょうか。 【シックス・センス】 【スピリチュアルチェック】 ☆ 小さい頃なりたかった職業→ずっと歌手 ☆ 好きな言葉→Never give up. ☆ 将来の夢→唄い続けることと人のために役に立てるようになりたい。 ☆ 不思議な体験→成人式の日にずっと失くしていた母のペンダントが戻ってきました。 ☆ 運命を感じたこと→母との出会い、スタッフとの出会い。 TVにはあまりご出演にならないという川嶋さん。オーラの泉にご出演になって 大きなパワーを感じているとのこと。 「準備はできていますか?」という太一くんの問いへ毅然とうなずく川嶋さんに 「だって度胸がいいもの。度胸のかたまりよ。」と美輪さん。 出会いが運命的だとおっしゃるのは、育てのお母さまのこと。 ご両親が病弱だったために児童養護施設で育てられるも、 三歳のときに実のお母さまが亡くなられ、川島家の養女に。 川「その出会いのおかげで今があるなと、本当にすごく思ってて。母がきっかけで 歌をやることになったので。すごく人見知りで泣き虫な女の子だったんですね。 それをお母さんが歌で、なんとか心を開くことができないかなということで、 近所の音楽教室に連れて行かれて。」 【川嶋あい 12個の歌】 お母さまは豪快で姉御肌的な方だったそう。 川「二言目には歌手になれって言ってましたね。私のことしか考えていなかったです。」 お父さまは冷静で慈悲深く、養護施設にプレゼントをしたり、 刑を終えられた方たちを雇って更生につとめていらした方と。 国「出会いっていうのは覚えてるんですか。」 川「覚えていますね。それが最初の記憶で。同じような年代の子たちと施設にいて、 母と父がやってきて『あいちゃーん』て。『あ、お父さん、お母さんだ』って思って。 私はこの人たちがお父さん、お母さんなんだってそこからずっと信じていたので。 だから引き取られたときも家に帰ってきたような感覚で。」 美「じゃあ施設に一時預けられていたんだと思ったわけね。」 川「そうなんですね。お泊り保育園みたいな感じで。」 美「迎えに来てくれたんだと思ったのね。」 川「はい。」 実のお母さまのことは全く記憶になく、真実を知ったのは中一のとき。 川「家に金庫があったんですね。その中に出生に関する重要書類があって、 それをたまたま開けて見ちゃって、『え?』と思って。 本当に信じられなくてお母さんに聞きに行って、そのときに全部話してもらったんですけど。 がーんと頭を殴られたような、ものすごく強く大きな衝撃で。 私はなにもしゃべれなかったんですけど、母はすごく普通に接してくれてて、 いつものように明るい笑顔でいてくれたので。それがよかったですね。」 【川嶋あい「・・・ありがとう...」 】 お父さまは川嶋さんが10歳のときにすでに亡くなっていたため、 このことを知ったときは母娘で様々なことを乗り越えられている最中だったようです。 川「それまでは本当に何不自由なく暮らしていて、大きな家があって、 大きな別荘があったりしてたんですけど、お父さんがなくなってから、もうどんどん、 家が小さくなってゆくんですよ。引っ越す度に。もう本当に苦しくなってゆきましたね。」 国「音楽は続けていましたか?」 川「続けていましたね。それが唯一の希望でしたね、お母さんと私にとっての。ふたりの夢で。」 お母さまは働き詰めで体調を壊し、入退院を繰り返しつつも 娘が舞台に立てるのを楽しみにしていらしたそう。 川嶋さんは、13歳でいったん演歌歌手としてデビュー。 川「全然売れなくて、福岡の飲み屋街でドサ周りみたいに歌い続けて。」 国「13歳で?」 川「全然だめだったので、出直して東京に出ようっていうことを決めて。」 歌手をやめようと思ったときも「もう一度頑張れ」と、お母さまが強く応援してくださったため、 つても何もないままに15歳で上京。 生活になかなか慣れない上に、所属していた事務所からも解雇されるも、 お母さまは「もう少し頑張り。」 国「嫌じゃないですか、頼る人もいないし、どうやったら歌手になれるかも わからないじゃないですか。」 川「わかんないですよね、本当に。15でリストラされたら。どうしようって感じで。」 国「それでお母さんに電話したら『もうちょっと頑張り。』」 川「帰ってくるなという感じでしたね。」 それから一年間、「野良犬のようにさまよった」末に、たまたま渋谷で ストリートミュージシャンを見かけて、「路上ライブ」を始めたという川嶋さん。 川「なんかやんないとと思ってて、本当に路上しかなかったですね。」 国「お母さんはその姿を見たことはあるんですか?」 川「いえ。ないですね。路上を見に来るって言ってくれてたんですけどね、 亡くなってしまって。」 「路上ライブ」を始めて半年たった16歳のとき、お母さまも亡くなり、天涯孤独に。 川「誰も身よりもなかったですね。」 美「東京でお友達や庇護してくださる方はできましたか?その頃。」 川「その頃、路上でスタッフと出会ったんですね。なので、スタッフですね。 いつのまにか、いまもいつもそばにいてくれて。家族みたいに。」 美「いい人たちに巡り合って、お幸せだったわね。」 川「はい、本当に。」 【川嶋あい/路上集1号】 CDデビューをすることを知らないままに、お母さまは その一ヶ月前に亡くなってしまったという川嶋さんに「知ってますよ」と江原さん。 美「だってお母さんが仕組んだんですもの。埒が明かないから。」 江「そうですよ。ここは何の番組だと思うんです?☆」 美「ここをいずこと心得る?ですよ☆」 しんみりとお話されていた川嶋さんのお顔が、とても明るくなりました。 国「お母さんの亡くなったときの気持ちは覚えていますか?」 川「突然だったので、何も考えられなくて。もう歌をやめようって思いましたね。 路上も投げ捨てて、何もかも辞めてしまいたいって風に思ったんですけど。」 美「お葬式や何かはどなたが取り仕切ったんですか?」 川「スタッフですね。」 美「ありがたいわね。そこまでしてくれるなんて。」 国「そのスタッフさんとの出会いって、やっぱり運命を感じますね。」 川「本当にそう思いますね。不思議なんですけど。」 美「下手なスタッフだったらね、とっくに売り飛ばされてますよ。 悪い人じゃなくてよかったですね。」 国「本当ですよね。」 美「それはみんな、亡くなったお父さまの徳がね。徳を積んでいらしたからそうなるのよ。」 江「人様のために尽くされたでしょう?そういったものは還ってくるんですね。 そういう不思議なエネルギー、カルマとも言うけれども、 人をお幸せにすれば、幸せが還ってくるんですよ。」 美「自分の子や自分の孫までが、そうやって徳を積んでおくと、 いろいろやってもらえるんですよ。」 江「お金の貯金よりもね、徳の預金の方がありがたいんです。」 【川嶋あい“1000回ライブ達成記念~1136日の記録~】 「人の役に立てるようになりたい」という川嶋さんの夢は、お父さまの影響。 川「父のことも見てきて、自分が施設で育ったということもあるので、 世界中で苦しんでいる人たちのために何かできないかなと、 歌を通しても伝えたいですし。そういうことをやっていきたいですね。」 そこで太一くん、いきなり「さよなら!」 美「どうしたの?」 国「もう素晴らしい・・・!もうエンドロール流れてるんじゃないかなって、そう思うくらい。」 美「お気を確かに☆」 国「今まで俺は何をしてきたんだろうって、思う瞬間ですね・・・。 なんてしっかりして・・・。二十歳になったばかりなんですもんね。」 川「はい。」 太一くん、ベッキーさんが出演になったときと同じく、感銘を受けられたようです。 (相変わらず、なんて純粋な方でしょうね☆) 明日に続きます。 *** オダギリ・ジョーさん、加藤あいさんなど、他のゲストの方の回を読んで下さる方は 「精神美(オーラの泉など)」へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 11, 2006 10:25:55 PM
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