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カテゴリ:オーラの泉
昭和の歌姫・美空ひばりさんのご子息がゲスト。
【スピリチュアルチェック】 ☆ 小さい頃どんな子どもでしたか?→少し暗くて、あまり本当のことを 話さない子供だったと思います。 ☆ よく見る夢→小さい頃、毎日「家族がひとりずつ消えていってしまう夢」と 「悪いピエロが出てきて、いたずらをする夢」を見ていました。 ☆ 不思議な体験→九死に一生を得たという経験が何回もあります。 ☆ 奇跡を感じたことはありますか→やはりうちのお袋が東京ドームで 復活コンサートができたときです。 ☆ 一つだけ願いが叶うとしたら?→お袋に生き返って欲しいです。 国「この番組はご覧になったことはありますか?」 加「大ファンで、毎週観ています。もう僕、美輪さんのことが昔から大ファンで ビデオも何本も持っていますし、CDは車の中でいつでも聴けるようにしていますし」 美「恐れいります、ありがとうございます」 国「江原さんは・・・」 江「はじめまして☆」 加「はじめまして。怖い人だなあ・・・と☆」 国「怖い人というのは、何でも見えてしまうところが☆」 加「そうですね☆」 美「可愛い人ですよ☆」 国「加藤さんはスピリチュアルな世界というのには興味はありますか?」 加「小さいときは本当にそういうことを感じることはなかったんですけど ある年を境に、ちょっといろいろ不思議な体験をしたりして、それからですね。 やはりこういう世界ってあるんだなって」 国「具体的にいうと、どういうことですか?」 加「お袋が死んでから、車が趣味で、毎日のように飛ばしにゆくんですけれども あまり走り屋とか人が集まらないところで、例えば山の中で、その時は 四輪駆動に乗っていたんですけれども、何度も横転して。本当に映画で観るような・・・ コーナーで滑り出して、正面から衝突して後ろに1回ひっくり返ってこのまま4回転して。 僕が下で、友達も乗っていたんですけど、誰も怪我をしなかったんですよ。 もう、パンって一瞬、明るくなるんですよ。 何度かの衝撃の後に、気がついたらエンジンがまだ鳴っていて、ラジオが薄くかかっていて ガタ、ガタ、ガタ・・・ってタイヤが回っている。 しばらく自分がどこにいるのかわからなかったという・・・」 美「映画みたいですね」 加「ええ。現実に、生きていられたというのが不思議で・・・」 江「あの・・・そういうのってよく『救われる』とか『助けられる』とかって 言うじゃないですか。あのね、すべてがそうだとは限らないんですよ。 加藤さんの場合は、助かることも見越した上で、わざとそうされている。 何故かと言うと『九死に一生が何回も』とおっしゃるけども、加藤さんは そこまでしてもらっているのに、しょうこりもなくまた危険な運伝をするんです。要するに 『怖いぞ、ということを身に覚えさせて』という。 ひとつの試練をわざと与えて『これでもう、そういうことをしないようになるだろう』 それなのに『ああ、助かった!』ってまた☆」 加「懲りないんですね☆」 国「加藤さん、もう気づきましょうよ☆」 江「『救ってもらって・・・』そうではなくて 『あえて、わざと怖い思いをさせて、安全にさせよう』という導きで起こすこと。 番組をご覧になっている方も、悪い出来事と思うようなことがあると、すぐ 『守られていない』という風に思うでしょう? 『わざと、転ばされる』ということがあるんですよ、人生の中で。 それが愛情だったりするときもあるんですよ」 国「なるほど。その先は気をつけますものね」 江「そう。ちょっとしたミスがあって『最近、私はツイてない』とか言うけれども 『ツイていないんじゃなくて『されている』ということであり、 感謝しなくちゃいけないことなのに』ということが、いっぱいある。 私がカウンセリングをやっているときに、多かったんですよ、 『私はろくでもない守護霊じゃないかと思う』とかね☆ひどいことを言っていて。 でもそれは、教育的指導だったりするときがあるんですよ。だから 『命を粗末にしちゃいけませんよ』とか、そういう風なことをちゃんと。 そういうことが起きること、試練が『守られている』ということなんですよね」 国「今日はもう、気づきましたね。もう止めましょうね☆」 加「もうしません☆二度としません」 1971年に美空ひばりさんの弟・かとう哲也さんのご長男として誕生。 生後すぐにご両親が離婚。伯母のひばりさんは加藤さんを引き取り 実の母親以上の愛情を注いで育てられたそうです。 国「実際に一緒にいる時間はあったんですか?」 加「あの・・・ほとんどなくてですね、だいたい年のうちにべったりいられても 3日ぐらいだったと思います」 美「じゃあ、お寂しかったでしょう?」 加「そうですね。ただ友達があまりいなかったので 他の友達と自分を比べることがなかったので、多少は。 『みんなこういうものなんだ』って思ってましたので」 国「その3日、どういう風に過ごしていたんですか?」 加「一番嬉しかったのは、多分、高価なものだったと思うんですけど 8ミリの映写機を買ってくれて、一緒に家にいるときは二人で いちごなんかを食べながら、一緒に観てもらったり。 たまに気が向いたときには、遊園地に連れていってくれたり。 『ママが帰って来る』と言うと、二週間くらい前から嬉しくて眠れなくなるんですね」 国「『何して遊ぼう』とか、自分の中でソワソワしてきて・・・」 加「友達の家に遊びに行くと、まずお母さんが家にいて、休みの日はお父さんも家にいて お昼になるとご飯を作ってくれて、焼きそばだとか、カレーライスとか。 これを食べさせてもらうんですけど『家ってこうなのか』とういうのが、大体そのときに。 人のお父さんなんですけど、キャッチボールをやるときに、友達と僕を並べてもらって 交互にやってもらって。 『なんか、いいな』とはちょっと、その時に思いましたけれども」 美「でもね、あなたも孤独でいらしたけれども、お母様も孤独だったからね・・・」 加「もう『あんな孤独な人はいなかったんじゃないか』とは、思います」 美「本当に・・・」 お祖母さまの喜美枝さんは、ひばりさんのプロデューサーであり 加藤さんの教育係でもあったそう。 国「先ほど、友達があまりいなかったというお話が出ましたけれども 作らなかったんですか?」 加「遠い学校に通っていたから、どうしても友達が近くにいなくて。たまさか 『家にボールが入っちゃった』ってあるじゃないですか。 近所の同年代の子ども達が遊んでいて『ボール取らして』というところで 『じゃあ、庭で遊ぼうよ』って庭でキャッチボールなんかをしてるんですけど うちの祖母ちゃんがなかなか強烈なキャラの人で☆『どこの子?』 たまたまそういう時に限って、祖母ちゃんがいるんですよ☆ 『どこの子か分からない子と、遊んじゃ駄目です』って言われて。 すごく名残惜しいんですけど、結局『じゃあ、バイバイ・・・』って 名前も知り合わないうちに解散ってことが、ありました」 国「ちょっと切ないですね。近所にお友達がいないというのは・・・」 美「でもね、それはお祖母さんだけじゃなくて、あの時代、 つまり明治、大正、昭和初期を潜り抜けた人達はね、それが口癖だったんです。 『どこの誰だかわからない子と・・・』『どこの子?』って必ず、訊いたものなんですよ。 『そういう子達と遊んじゃいけません』 親が選んだんですよ。今は子供が選びますよね。 昔は親が『誰と付き合ってもいいけれども、誰とは付き合っちゃいけない』 それが常識だったんですよ」 江「当時は誘拐とかね、そういういろんなこと起きるでしょう? だから過敏になっていたことは確かですね」 美「いろんな物騒なことがよく起きたんですよ」 加「実際、当時は脅迫状が何通か届いたことがあって。 僕が幼稚園に上がるか上がらないかだったんですけど、家にいっぱい刑事さんがいて 『爆弾・・・』とか何とかって、言っていた気がするんですけど・・・」 国「『仕掛けた』とかそういう・・・」 加「ええ。そういう感じだったと思います。みんながすごく緊張しているのを 不安な気持ちで見ていたりとか・・・やっぱりいろいろなことがあった家ですから。 小さいときに、そういう怖い人が玄関の鉄の門のところをバットで引っ叩いているのを たまたま皆がいなくて、僕がひとりでその近くにいたりして・・・ 結構、怖い思いはしたりしたんですけど・・・」 美「本当に芸能人の家というのは『有名税』って言うけれども 『正負の法則』よ。 有名になればなるほど、それだけのツケがものすごいんですよ」 国「ご自分が養子だと知ったのはいつ頃だったんですか?」 加「家の中に、大人が読む雑誌があるじゃないですか。子どもながらに興味があって 開いて見たりするんですよ。ママが載っているとなるとやはり字は読めないんですけど ひらがなだけ読んでいこうとするんですよね。そうすると 『どうやらおかしな雰囲気のことが書いてあるな』っていう風に思い始めて・・・ 『そういえば、パパとママって姉弟だよね』 家族、結婚ってこういうもので・・・というのがなんとなくわかるような年になって 何度か大人に困った質問をしたことがあるんですけど。 うちの親父とお袋は戸籍上、姉弟なので、実際はうちのお袋は伯母じゃないですか。 そういうことを訊いたら、周りの人は困ってしまうんですよね。 親とか祖母ちゃんには訊けないので、周りの人に訊いたりするんですけど 『そんなことを勝手に言っちゃ駄目』というルールがあったみたいで・・・ ある日、小学校一年生か、二年生かだったと思うんですけど 『和也、ちょっといらっしゃい』と言われて。座ったら、お袋は下を向いて黙って座っていて 祖母さんが『実はあんたの生みの親は別にいるのよ』ってそこで初めて聞かされて。 ただ、そんなにそういうことでびっくりはしなかったんですよね。 『あ、今日がこの日だったんだ。今日、これを聞かされる日だったんだ・・・』 『あんた、どうしたい?』 僕は何か決めなくてはいけなかった感じだったと思うんですよ、よくわからないんですけど 『あんた、どうしたい?』って急に訊かれたので。 『どうしたい?』と言われても、もう物心ついたときから 『パパ、ママ』でしたから、他にお母ちゃんがいるって言われてもちょっと実感がわかなくて 『僕は、この家の子だから』 『どうしてもうちのお袋が生んだんじゃないんだったら 親父の腹から出てきたことにしてくれればいいじゃん』ということで。 そんなことを言って、部屋に戻って。あとはよく覚えていないんですけど・・・」 続きます。 「オーラの泉の日記」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 2, 2007 04:34:08 PM
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