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カテゴリ:オーラの泉
エンターティメントの世界で大活躍される方がゲスト。
【スピリチュアルチェック】 ☆ 自分の性格をひと言で→短気です、せっかち。 ☆ 毎日欠かさずすること→家族、特に奥さんに「ありがとうございます」って 心の中で言います。 ☆ 好きな言葉→低姿勢☆ ☆ 人生の転機→大学を中退した時。 ☆ 充実感を感じる時→ドラマとかのシナリオを書いて「これで、OKだな」と思って 頭に戻って1番から数字を、1、2、3、4...とシーンナンバーを振ってゆく時に一番 「あー終わったー!」って思いますね。 宮「すみません、僕、あまりにも緊張したものですから、カメラじゃなくて 照明を見ていたので、もう…何も見えない…☆」 国「いろんなゲストの方がみえましたけれども、相当、挙動不審でしたよ☆」 宮「すみません…今朝まですごく楽しみだったんですよ、番組に出るのが。来る途中ですね 『駄目だ…』と思って…すごく帰りたいですね」 国「宮藤さんから見てどうですか、このオーラの泉という番組は?」 宮「僕自身、ほとんど霊感とかもないですし、見てもらったこともないですし ものすごくまっさらな状態なので…よろしくお願いします☆」 美「面白い☆」 国「まさに低姿勢☆美輪さんとも初めましてですか?」 宮「あの…一方的に。昔、ジャンジャン(渋谷ジャンジャン 1969-2000 公演通りにあった小劇場)っていう劇場で…」 美「ずっと出ていました」 宮「歌っていらっしゃったのを僕は観させていただきました」 美「どうもありがとうございます」 宮「年下の男の子と付き合っている歌(人生は過ぎ行く 作曲:J.Hoimes 訳詩:美輪明宏 編曲:池多孝春)があるじゃないですか。あれがすごく好きで…」 美「そうですか」 宮「年下の男の子と付き合っている美輪さんが☆ストーリーで最後、飛び降りるんですよね」 美「そうそう。男に捨てられてね」 宮「♪飛び降りるわよ!…暗転…みたいな☆」 美「よく覚えていらっしゃる☆何かのインタビューでね 『会いたい女性は美輪明宏』っていう風におっしゃったっていうのね」 国「それは覚えていますか?」 宮「はい、言いましたね。もしかしたら、この番組をやられてからかもしれないですね」 国「お話がしてみたいとか?」 宮「お話してみたいですけど、怖いことは言われたくない、みたいな☆」 大学在学中に「劇団 大人計画」に参加、大学は中退し、 その後はエンターティメントの世界で生きることに。 国「それで人生の転機が、大学を中退した時ということなんですか」 宮「そうですね。大学から『復学届』と『休学届』と『退学届』を三枚もらってきて ずーっと見てたんですよ。『どうしようかな…』その時に、今のうちの奥さんが 『辞めちゃいなよ』って言ったんですよ」 国「奥さんはどんな方なんですか?」 宮「もともと知り合ったのは『大人計画』の芝居に、僕が最初は演出助手という立場で 関わった時に、劇中で踊るダンスとかの振り付けをしてくれた方なんですよ。 僕の映画とかドラマも最近、よくやってもらってます」 国「大学を辞めるきっかけになったのは奥さんが…」 宮「何かこう、踏ん切りがつかない時に言ってくれたので『そうか…』と思って 退学をしたんですね。後々聞いたら、うちの奥さんは同じ大学を ちゃんと卒業してたんですけどね☆ それで、親に一応、報告するのに電話じゃ軽いかなと思って 『もう、僕は仕送りをいただかなくても結構です』みたいな手紙を書いて… まあ、テンションが上がっていたんでしょうね 『大学、辞める俺、ちょっと格好いいぞ☆』みたいなのもあって『もっと格好良くしてやれ』 『仕送りはいりません!』って書いたんですよ。 その時、何も言わなかったんですね、親も。結構、父親は厳しかったんですよ。 教師で、家ではすごく厳しかったです、僕には。でも、厳しいというのも 『節分の日に豆まきを何故しない?』とか☆ 部屋でマージャンなんかをやっていたら、遠くの方から バラバラ!バラバラ!って音が聞こえてくるんですね。父親が豆をまいているんです☆ まきながら近づいてくるわけです☆バラバラ!バラバラ!…」 国「そういう音がどんどん大きくなってくると…☆」 宮「それで、マージャンをしてた卓の上にバラバラ! 『なんで豆まきしない!』☆俺も何でそれを怒られたのかな?みたいな…」 国「宮藤さんの性格が曲がっていて、そこを直しなさい、とかではないんですね。 『豆まきをしろ!』と」 宮「大晦日にはみんなで集まって、一年の10大ニュースを読むという行事があるんですね。 『お母さん、脚立から落ちる』とか☆そのくらいなんですけど、それが意外と トップニュースだったりしたんですけど☆それに参加しないとなると、ものすごく怒られる。 『何で参加しない、10大ニュースだぞ!』」 美「それは『しきたりとか、秩序というものは守らなければいけない』ということを 教えていらしたのね。宮藤さんも『それは当然だ』と納得なさったから 反抗もなさらないし、素直に受け入れたんじゃないですか?」 「木更津キャッツアイ」、「ピンポン」、「ガンジス河でバタフライ」など 数々の脚本を手がけられるほか「クワイエットルームにようこそ」をはじめ 俳優としても活躍、2002年にはミュージシャンとしてメジャーデビューも。 国「最初は劇団でお芝居をやってたんですか、役者としてそれとも脚本家だったんですか?」 宮「もともと言うと、TVの構成作家になりたくて、ラジオとかが好きだったので そういう仕事をしたくて出てきたんですけど、大学に入ってコースを選ぶ時に 『脚本』というコースがあったので。まあ、短いものですけど、 書いて、提出してはやってたんですね。 その中で選抜された人だけが受けられるゼミがあって、その試験に落ちたんですよ。 『何で落ちたんですか?』と先生に聞いたら 『君は、僕がいくら言っても僕の言うことを聞かないから』と言われて… 『そんな…別に言うこと聞くのにな…』それで、辞めたんです、もともとは」 国「言うことを本当に聞いていなかったんですか?」 宮「あのね、びっくりさせることしか考えてなかったんだと思うんですよね、読んだ人を。 だから『びっくりするだろうな』なんて思って。いま思うと相当 つたないものを書いていたと思うんですけど。脚本家になりたいとかということよりは 書いたものを人が読んでくれて面白いと言われることが、すごく嬉しかった。 だからラジオに葉書とかを書いていたんですね。夜中のラジオを聴いて、読まれたら 夜中の3時位に『母ちゃん、読まれたよ!』と言って☆『う?うん…』」 国「お母さんは寝てますからね☆その感動はないですものね、お母さんには」 宮「『読まれたよ!』『う?うん…』☆ そんなことをやっていたら、知り合いの放送作家の方が紹介してくれて バラエティの作家として仕事を始めるようになって、何だかんだしているうちに ドラマも書くことになり…みたいな感じなんですよね」 美「でも脚本というのは、文学とかそういうものに縁の遠い生活をしている人が いきなり脚本を書けるもんじゃないじゃありませんか? それはどうなさって、ずっと培っていらしたの?」 宮「いや…でも…東京に来てからですね。映画とか、観たことなかったです」 美「本は?」 宮「本は『世界文学全集』みたいなものが、バーっと部屋にあったんです。 『読め』と言われたんですけど、めったに読まなかったですね」 国「あっただけであって、子供の頃にすごく読んだとかでもないんですか?」 宮「そんなに読まなかったですね。TVばかり観てました、TVはすごく好きでしたよね」 続きます。 *** これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 4, 2008 08:36:11 PM
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