銀閣寺前は、さすがの人波。喧騒という言葉も似合います。
実は現在、あの有名な建物、観音殿は修復工事中。
それでも足を運んだのは、これまで拝見したことがなかったことと、
ある小説に出てくるルートそのままに歩きたかったことと、
工事中の銀閣を見られる機会はめったにないかなと思ったことから。
5mの高さが50mも続くという竹垣・銀閣寺垣を進んで受付を通ると
すぐ目に入るのが、こんもりと盛られた銀紗。
巨大な黒胡麻プリン☆のように見えるのは「向月台(こうげつだい)」。
その名の示す通り、月を鑑賞するために作られたのだそうで
高さは一間(180cm)もあるのだそう。
観音殿もすぐそば。池で囲まれた金閣寺の庭よりも、かなりこじんまりとしていて、
非常に近くまで寄って拝見することができました。
向月台の周囲の砂は「銀紗灘(ぎんしゃだん)」。
掃き清められた庭砂というよりは、ヘラでならしたような形状。
制作工程を見てみたいものです。
銀紗灘を前にしているのは「方丈」という建物。
建てられたのは江戸中期とのこと。
こちらもお茶室かなと見ていたのですが
中には釈迦牟尼仏が安置されているのだそうです。
白鶴島を経て座禅石の浮かぶ池を渡ると、小高い山に導かれます。
左脇に弁財天さんの祠がありましたので、お参りに行くと
海外からいらした方も頭を下げていらっしゃいました。
上から拝見した工事中の観音殿。覆いがとれたら、周囲にしっくりと似合いそう。
将軍を退いた後も義政公はこのあたりから洛中の様子を窺っていたのでしょうか。
苔むした庭を見ながら山を下り、再び観音殿の前へ。
屋根を葺く説明もあって、御所の桧皮葺(ひわだぶき)の様子も思い出しました。
こちらは椹葺(さわらぶき)で「サワラの薄い割り板を3センチずつずらしながら重ね
竹釘(たけくぎ)で止めてゆく工法」とあります。
思いがけず高低のあるお庭を拝見し、少し喉が渇いたところで
おみやげ所に緋毛氈の御席がありましたので、
美味しいお菓子とお抹茶をいただきました。
再び銀閣寺垣を通って山門へ。
長く高いこの東山の垣根は、応仁の乱といった戦乱の時代に建てられたためか
防衛のお役目もあるそう。
西側に広がる焼け野原の阿鼻叫喚は、禅なる東山の関を越えては
入ってこられなかったのかもしれません。
次は哲学の道に参ります。
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「秋の京都へ2008 源氏物語ゆかりの地めぐりの日記」
「秋の京都へ2007 新選組ゆかりの地めぐりの日記」
「秋の京都へ2006 京都御所&嵯峨野の日記」