|
カテゴリ:オーラの泉
年末に放送されたスペシャル。
ゲストは船越英一郎さん、つるの剛士さん、櫻井淳子さん、松岡昌宏さんです。 国「さあ、今年もう最後のオーラの泉になりましたけれども(放送は2008年12月)、 まあ今日、こんなに豪華なゲストの皆さんに集まっていただきました。 まず、船越さん、今年一年、もう本当にいろんな犯人を捕まえてきましたけれども☆」 船「ずいぶん捕まえさせていただきました☆」 国「でも、こうやってまた今年最後にね、来るっていうことも、これもまた縁なんでしょうね。 さあ、そしてつるの君。つるの君はも、今年一年は…」 つ「いやー、本当に有り難いことに、突っ走らせていただきましたね、何か本当に…」 国「すごく早かったんじゃないですか、一年が」 つ「いや、一年が早かったというか、長かったですね、逆に」 国「あ、長い?それは何で?」 つ「気づいたら、羞恥心も四月なんですよね、デビューしたのが。 まだ八ヶ月しか経っていなくて…」 国「あ、そうか…元々はピンでずっとやっていたわけだもんね☆」 つ「そう、ピンでね☆まあ芸人じゃないんですけど☆」 国「さあ、そして櫻井さんは、オーラの泉は初登場ですよね」 櫻「初めてです。もう大好きな番組だったので、ここの席に居れるだけで本当に光栄です」 国「…こちらも初オーラですけれども☆うちのメンバーの松岡君ですけれども。 どうですか、この番組の雰囲気」 松「耐えられません☆…何か嫌な汗が手に…☆ 本当に一緒に出ていただく方が知ってる方ですから本当に助かりますけれども… 本当にどうしようかな?という…」 国「これね、一時間半後に大抵わかってくる感じですよね」 松「これをずっとやってる国分太一の凄さを改めて今!ひしひしと今… 今日はよろしくお願いします」 *** 絶望を乗り越え新たな栄光をつかんだ夫婦の愛の物語。 2008年に開催されたパラリンピックで日本選手団主将を務められたのは 車椅子バスケット代表選手の京谷和幸さん。 かつてJリーガーだった京谷さんは15年前、交通事故で脊髄を損傷、下半身不随に。 現在は二人のお子さんに恵まれ、奥さまの陽子さんがリフォームしたマンションで家族で暮らし 「足がタイヤに変わっただけ」と語る京谷さんは、小学生の時からサッカーに打ち込み 名門・室蘭大谷高校へ進学、19歳以下の日本代表にも選出され、 JリーグのF・市原と契約する前にチアガールだった 当時19歳の陽子さんと出会われます。 京谷さん「僕が一方的に、強引に好きになってしまったんですよね」 陽子さん「その強引さにだんだん押されて…押されつつ 彼の良さが少しずつわかってきて…」 20歳で婚約後、1993年にはJリーグが開幕。 Jリーガーとして将来を期待され、翌年の一月に結婚も決定。 ところが11月末の結婚式の衣装あわせの当日、陽子さんは夜明け前の電話で起こされ 京谷さんが交通事故で入院したという知らせを受けます。 命は助かったものの、駆けつけたご家族に医師は 「今後は車椅子の生活になるかもしれない」と告げたそう。 陽子さん「もうね『99%は車椅子になるだろう』って自分の中でも思ってたんですね。 99.9%は…でも、残りの0.1%、何があるか分からないから…」 「少しでも可能性があるなら諦めたくない」と思い 歩けなくなるほどの重症だということは本人には知らせず 結婚式は延期するも、京谷さんのご両親からは 「こんなことになってしまったから今度の話はなかったことにして欲しい」と 婚約解消の申し出があったそうです。 陽子さん「多分、主人の両親の優しさだと思うんですけれども… 『わざわざ苦労するところに来てもらうのも申し訳ない』っていうことで… まあ私にではなかったんですけれども、主人の両親が私の両親の方に そういう話を持ちかけて下さっていたみたいなんですけど…」 陽子さんの気持ちは固まり、病室に婚姻届と結婚指輪を持ってゆき 不思議がる京谷さんに半ば強引に判を押してもらって指輪を交換、 12月9日に入籍を済ませたのだそう。 京谷さん「『入籍しよう』って言ったときの顔は、何て言うんでしょう… 必死の形相って言うんでしょうかね…もう何か鬼気迫るような感じだったんで…」 陽子さん「彼の家族になることで彼が頑張るっていう気持ちになってくれるんだったら それが本望かな…という気持ちもあって、大安の日を選んで 入籍をさせてもらったんですけれども…」 妻として夫を支える日々が始まり、お二人のご家族も協力することを決めるも お正月を過ぎても京谷さんの足は動かず「二度とサッカーは出来ない」と医師は宣告。 京谷さん「その日の夜は泣きましたね…泣いて泣いて…もうずっと消灯時間から 明け方までずーっと泣いてて…『あ、でも今、俺は1人じゃないんだ』って思った時に 初めて、そのときに初めて、彼女が必死の形相で言ってくれた意味… 自分が車椅子になるってことが分かっていながら入籍してくれたってことを そのとき初めて気づいて…ありがたかったなって思いますね…」 陽子さん「そうですね…何でよりによって足を使うサッカー選手が… どうしてよりによって足を怪我して歩けなくなっちゃうんだろうって、ぽろぽろ涙で… 目が自然とね…その時は本当に一年で何か一生分泣いたっていうくらい泣けてきて…でも 『私は歩ける。辛いのは主人なんだから、私はここで弱音をはいちゃいけないよな…』って いろいろと自分で言い聞かせながら…『何でこんなことになっちゃたのかな』って …思った時は何度かありましたけどもね…」 車椅子に乗る練習から始めて半年に及ぶリハビリを終えて退院、 1994年10月に改めて結婚式を挙げて新婚旅行に出かけるも その後は厳しい現実に直面することに。 陽子さん「サッカー選手だったものですから職業もなく、家に日々、居る生活で 一日中付き合っていると嫌な部分も見えてきたりして…仕事もしていないものですから 金銭的にも、だんだん苦しくなってくることもあったりして よく言い合いになったりしたこともありましたね…」 生きがいを失い、仕事も見つからなかったとき、車椅子のバスケットに誘われることに。 全国でも指折りの強豪チーム・千葉ホークスの練習に参加した京谷さんは 車椅子を自在に操り、激しくぶつかり合うという予想外のハードな競技に驚かされたそう。 陽子さん「結構しんどかったみたいで、練習が。で、行かなかったみたいだったんですけど でも私もお尻を叩いて『行ってらっしゃい』と。でも行って来て、帰ってきたら…あの… 顔が違うんですよね。楽しそうな、何か凄く満足した顔で帰ってくるのが だんだん行く度に増えてきて…」 周囲の真剣さに刺激されてスポーツマン精神が蘇り サッカーに代わる新たなチームメイトに出会った京谷さんは 「また少しこう…自分の中で何かが変わり始めたかなっていう… 家族っていうのも、もちろん一番なんですけども、まあ…チームメイトとの絆っていうか そういうのもあったから、ここまで来たのかなって気はしますけどね…」 バスケット仲間の紹介で新しい仕事も決まり、待望のお子さんも誕生。 「この子たちの自慢の父親になりたい」という思いでバスケットに打ち込み シドニー、アテネ、北京とパラリンピックに三大会連続で出場を果たされます。 京谷さん「あの…妻に褒めてもらいたくて…それが一番だと思うんですよ… いつまでもやっぱり僕は、妻に認めてもらいたいし、子供たちにも自分の背中を見せ続けて 見せた自分を褒めてもらいたいなと思いますけどね…」 *** 国「本当に奥さんの支えがあって、ここまで来たんですよね。どうでした、つるの君」 つ「いやー、でも奥さんに褒めてもらいたいって気持ち、僕はすごく分かりますね。 僕はもう、何でもそうです。やっぱり全て奥さんに褒められたりとか認められたことは 自分でも凄く自信になりますし、自分のことを一番理解してくれていますから… 逆に奥さんも、やっぱりそういう風に言ってくれますので… ある歌番組で優勝させてもらって、そういう忙しい中で。それでそのオンエアを奥さんが観て。 で、僕に言うわけじゃなくて、僕のお父さんにですね、あるメールをうちの奥さんがあげてて… その内容っていうのが『こういういろんな可能性を持った素敵な息子さんを生んでくれて ありがとう』っていうメールをうちのお父さんのところに言ってたんです。お父さん、 『すぐに奥さんにメールを返そうと思ったんだけど、涙で返せないからお前に電話した』って 僕の方にかかってきたんですよ。『お前は本当に素敵な奥さんをもらったな』って。 いやでも本当に、僕はその時すごく…何かこう…何て言うんだろうな… 有り難いなと思いましたね」 美「素敵なお話ねえ…」 国「どうですか、松岡君は今のVTRを観て…」 松「いやあの…バスケットをおやりになっているお仲間さんのね、チームメイトと その方たちに支えられているってご本人も言っていましたけれども… 実は僕たちよりも、そういう体に障害を持った方の方が凄くメンタルが強かったりして。 目の力が、えらい強いじゃないですか、バスケをおやりになっている皆さんの目が」 国「そうですね」 美「それと連帯感とね、助け合いの精神。情報交換してね、 『こうした方がいいよ、ああした方がいいよ』素晴らしいじゃありませんか」 松「何で僕ら、こうやって普通に生活している中で あの目を持てないのかっていうこともありますよね。 あの目をいつも持っていなきゃいけないなって反省させられます」 続きます。 「オーラの泉の日記」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 5, 2009 10:51:00 AM
[オーラの泉] カテゴリの最新記事
|