今日の体調(長崎のこと)
8/8(土) 11:26 室内温度24.7℃(外気温ー)、室内の湿度75%、室内線量0.10μSv/h未満、体温36.7℃。8/9(日) 7:48 室内温度26.9℃(外気温22.1℃)、室内の湿度71% 、室内線量0.25μSv/h、体温36.9℃。8/10(月) 計測なし。8/11(火) 4:21 室内温度24.4℃(外気温23.4℃)、室内の湿度76%、室内線量0.10μSv/h未満、体温36.0℃。8/8は、早起きして家事をしていたものの、暑さに参って朝食後少し休ませてもらった。※8/9は、内ももに湿疹が出ていた。8/10は、かなり忙しくて夕食後知らないうちに眠ってしまって朝になった。8/11今朝は、早めに目覚めて元気に過ごしている。腕に湿疹が出た。他※。*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*8/9は、長崎原爆の日だった。時間ちょうどにはできなかったが、主人と二人で黙祷をした。1分間と思っても、意外と長いもの。主人は30秒でもう1分と思ったらしい。『ながさき原爆の記録』という冊子を久しぶりに読んだ。長崎の原爆記念館(資料館?)に行った時のものだろうか?かなり前でうろ覚えだ。日本語と英語で書かれたこの冊子。建物が全くなくなった爆心地付近の写真から、被害に遭った方々の写真(白黒)、爆心地のシンボルである浦上天主堂の被曝直後の写真(取り壊されるまえのものだ。ドームは崩れ落ちていた;現在の原爆ドームはその後建てたものらしいのを最近知った)などが多数載せられている。【信者は14,000人、当時参堂していた主任司祭 西田三郎氏ほか信徒十数人は全員建物の下敷きになり死亡した】写真のほとんどは誰もが一度は目にしたような写真の数々だ。(米軍の写真はカラーだ)被ばく者は、一般市民で女、子どももたくさんいる。-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-資料館の中に入って原子爆弾の熱戦で溶けたり、焼けた遺品を直に見たことがある。(前にも書いたのかもしれないけれど)寒気とも違う震えがくるのを覚え、怖くて怖くて仕方がなかったのを今でも覚えている。薄暗くて地味な場所ではあるけれど、一度は訪れてその凄まじい原爆の被害と物からあふれてくる被災者の叫びと無念さを感じ取ってほしいくらいの場所である。ここを訪れたら、原爆、核を使って戦争をしようなどとは思えなくなるんだろうと思う。そう思いたい。また、この冊子からは、核兵器廃絶の思いも込められているのが端々からにじみ出ている。私にはうまく説明できないが、こういうものを後世に伝えて行くという熱い思いが途切れず続いて75年にもなった。この思いは、子々孫々まできっと伝わって行くものと思っている。