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カテゴリ:祈り
祈りの無いものは死んだものである
生きているというのは名だけで実は死んでいる 多くに人がこういう状態で有ると思う 祈りの無いものは神とのつながりの無いものであって 例えればタンパク質で出来たロボットのようなもの 植物人間は、小脳だけが機能し大脳は働いて居ない人のことである 大脳が働いていても、祈りの無い人は神との命の繋がりが無いから 創造的愛は全く本人も周りの人も感ずることが出来ない 決まった反応をするだけでありそこには感動は無い 植物人間とほとんど同じと言って良いだろう 神につながった愛は常に新しい感動がある 同じ事をしていてもそこには新鮮な感動がある 例えば生まれたばかりの子供を見つめる母親は 毎日が感動である 心が疲れていなければいつまでも見ていたいしそばにいたいと思うものである 心が疲れている状態は精神的には死んだ状態である 神との断絶があり、人とも断絶がある 子を見ても可愛いとは思えず全てが面倒くさい こういう宇状態をうつとか言ったりするが、心が死んだ状態である 精神植物人間、生きているというのは名だけで実は死んでいるのである 愛が無くなるとこのような状態になる 愛は神から流れてくるのである 愛は神から出でて人を通して人から愛を感ずるようであるが実は根源は神からである このことを知らないと本当の愛が分からない 歴史を通して神は愛を訴えて来たのである ノアに対しても、ハムに対しても 本当の愛で愛せよと言っているのである 愛が無く形だけの時問題が起こり神が仕方なく罰する 悪魔が見ていて訴えてくるからである あの人は愛が無く自分の感情で動いているだけですよ 私と同じではないですか、私の子ですね 貴方の愛する子でなく貴方から離して罰してご覧なさい 貴方を呪うでしょう そうすれ完全に私の子ですね 今天使と悪魔の映画が上映されていますが 本来は神と悪魔の戦いなのです 神は直接できないから 天使と悪魔と言うのです 神を信じられないものは祈りが出来ないし悪魔の餌食になってしまうのです 悪魔の餌食になれば 生きているというのは名だけで実は死んでいるのです だから神を求めなければならないのです 分からないと言ってはだめなのです 分からなくても私がお教えしますよ 希望があります お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年05月14日 17時09分50秒
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