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2010.12.31 楽天プロフィール Add to Google XML

寄って立つ処~リフトアップについて

 どんな人間でも生きていく根底になにかしら寄って立つ処を持っている。多くの場合は「プライド」と呼ばれるもので、金のある人は金で、或いは生まれた国、町、村だったりする。また、地位という人もいる。我々が己の心の糧としている「プライド」はどんな形にせよ、他人との比較で出来ているようだ。だから裏腹に「コンプレックス」を生む。「コンプレックス」は厄介なものでもあるが、人間の創作力を生み出す源泉にもなる。どちらにしてもそれらの元にあるのは人間が作り出した感情に過ぎないので、我々がプライドに寄りかかって生きている間、知らず知らずに差別を作り出しているのに気が付かない。
 その反面、我々は「平和」とか「平等」を求めている。もし、それを突き詰めて考えるのなら、我々は「プライド」の元になっている差別的な優越感が最大の原因であることを考えなければならない。後から付けられる人工的な価値を取り去った、素っ裸の自分に戻って全てのものを見渡す必要があるのだ。
 時として人生にはそういう瞬間が何度か訪れる。親を亡くした時とか、アクシデント、或いは災害に見舞われたときなどだ。自分など取るに足りない存在だと思い知らされる。でも生きている、ということは肉体には何十億もの細胞が必死で働いているわけで、考えてみれば、それらの細胞が肉体を保つ為にどれだけの働きをしているのか、その実態を知れば自分が取るに足らない存在などということはありえないのが分かるだろう。
 この世の日常的な生活は意味のない価値観に振り回されている。そのストレスに押し潰されて、我々は歪んだ感情を楽しんでいる。そのことが肉体を蝕み、他人を傷つけている。そして心の奥底ではどこか間違っていると感じていても、治す術を知らないでいるのだ。
 UFOの乗員は意図的に「終末説」を誠しやかに流すのだが、その目的は、真剣にこの世の終わりを考えさせることで人工的な「プライド」が価値のないものだと気付かせることにある。これは口で言うほど簡単ではない。長い年月にこびりついた汚れみたいなもので、ちょっとやそっとで落ちるものではない。また、仮に気が付いたとしても、相変わらずこの社会で生きなければならないのだから、今度は別のストレスが生まれてしまう。
 我々の「寄って立つ処」は、大きく二つに分けられる。それは「原因」と「結果」の二つである。我々が人工的に作り出した価値観は「結果」をその拠り所にしている。「金を持っている」「美しい容姿をしている」「誰よりも喧嘩が強い」など、どれも現象の結果として現れているものだ。一方「原因」を拠り所にすると、「結果として我々を苦しめるもの」「病気をもたらすもの」「老い」「死」も、全てが大きなサイクルの一部として捉えられるようになる。我々は「結果」として人間として存在しているわけだが、「原因」に意識を向けると、「結果」の向こう側にある「意味」が認識できて、全ての現象が奥深く、驚異に満ちたものになる。そして自分自身についてもほとんど知らないでいたことが分かる。更に人工的な価値観を遥かに越えた様々な作用と能力を得るようになる。
 例えば、ケイタイ電話がある。今ではほぼ全員が持ち歩き、どこにいても連絡がとれる。ところが「原因」に意識を向けると、自然に自分の話したい相手がどこにいるのか分かるようになる。また、相手もそれを察知するようになる。それが身に付くと、言葉の通じない相手とのコミュニケーションがとれるようになる。一番分かりやすい例は動物とのコンタクトだろう。ケイタイを持っていない彼等との連絡も可能になるのだ。こうして視野はどんどん広がっていく。UFOの乗員が仕掛けてくる「リフトアップ」、その人間を引き上げる、という言葉の中にはこういう意味が隠されている。こういう事情は実は旧訳聖書にたくさん書かれている。「ソドムとゴモラ」の説話など典型的だろう。遥か昔から同じことが繰り返されているのだ。
 神の御使いであるUFOの乗員達はこうして我々に働きかけることで、魂を救おうとしてくれているのである。これは彼等がしなくても、いつかはこの世の仕組みの中で誰しも通らなければならない道なのだが、上手な道案内がいれば到達も確実なものになる。
 こういう視点でUFO問題を考えると、誰が問題の本質を歪めて隠蔽しているのかが分かってくる。先ずはなかなか「結果」に寄り掛かっていることから抜け出せない、権力を持った人々である。この社会の価値観は彼等が作っているといっても過言ではない。正に「金持ちが天国に行くのは。ラクダが針の穴を通るよりも難しい」という言葉通りである。
 私はもう一つ、UFOの乗員の方々もあまり公になることを望んでいないような気がする。彼等から見たら、我々全体の状況の厳しさは相当のものだと感じるだろう。「結果」だけに頼って生きている我々は、常に無理解からくる恐怖を抱えている。それが暴力を生み出し、その挙句パニックを起こすのが関の山である。
 だから彼等の行動は、個人的な一本釣りである。こう書くと、ちょっと「選民思想」に近いものを感じるかもしれないが、最終的には全ての人が救われるのである。一本釣りされた者は、その分このことを伝えるカルマが生じるようだ。
 とは言え、「原因」を己の寄って立つ処にすることは素晴らしく楽しいものだ。その上でこの社会の中で生きてこそ、この星に生まれた醍醐味を味わえるというものだ。それができた時は、ひょっとしたらUFOの乗員をある意味越えているのかもしれない。


Last updated  2010.12.31 05:19:30
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2010.07.22

幸せについて考える

 金融危機が表面化して、世界中が実は借金して身の程以上の生活をしていたことがだんだん判ってきた。日本も去年、政権が変わって、このままじゃどうにもならなくなってきている実態がようやく身に沁みてきた感じだ。特に若者は仕事もなく、将来に不安を感じていて、どこかしらけている。バブルを享受してきた団塊の世代はそこのところが判らないで、呑気に構えている。
 もののない時代を過ごしてきた戦後世代にとっては、日本の高度経済成長と物質的に豊かな時代を過ごしてきたことは「幸せ」だったのだろう。その反面、朝鮮戦争、ベトナム戦争をはじめ、いつでもどこかで戦争をしている時代だった。そして、消費を由とする文化の中でどこか空疎な人間関係しか築けなくて、豊かになればなるほど「幸せ」は遠のいていく。
 「金=MONEY」が中心で動いている社会なのだから、誰かが損をしなければ誰かの得は生まれない。テレビは「得」をした誰かの生活だけをカッコ良く見せて煽り立て、「損」をした者の嘆きや苦しみは無視してきた。しかし、それがどこかで爆発する。それが子供の世界なのだ。子供達の社会が陰湿ないじめに覆われている原因はそこにある。
 その拝金社会も遂に行き詰まって、これじゃいかんと思いはじめても、では本当の幸せはどこにあるのか、ということを示せる人物がどこにもいない。マスコミの知識人も、ついさっきまで拝金主義を前面に出していたのだから分かるわけがない。宗教も実態は「金」なので当てにならないことをほとんどの人が知っている。そこで、もう一度宇宙の法則の原点に帰って「幸せ」とはなにかを考えてみようと思うのだ。
 といっても、答えは簡単である。優しく柔らかい波動は物質に安らぎを与え、激しく強い波動は緊張を与える。全ての存在が柔らかい波動に対して「幸せ」を感じるのである。ペットを飼っている人はよく分かると思う。言葉の通じない犬や猫でも、こちら側の波動に反応して受け答えをしていることを。私は爬虫類や昆虫でもそれができることを知っている。また、実は自分の肉体が一番それに影響を受けて翻弄されているのだ。
 この法則は我々がどんな立場にいても平等に働いている。小さな虫から王様まで同じだ。我々が後付けで作ってきたどんな価値観よりも優先されている。どんな神様に頼んでも働く法則は宇宙のどこにいても同じなのだ。だから、「幸せ」の在り方も実はこの波動の法則の問題ということになっていく。
 言葉を変えれば「幸せ」は優しさや他人に対する思いやりの中にあると言えるだろう。それがなかなか出来ない。私達は生きている中でなんらかの差別を受けていて、それがコンプレックスを作り他人への思いやりを忘れさせてしまう。差別は誰かが自分が得をする為に勝手に作ったもので、宇宙の中には存在しない。だから、もし宇宙的な「幸せ」の中に生きようと思ったら、そんなものに振り回されない知識と心の大きさを持つ必要がある。
 今のような荒んだ時代にこんな気持ちを持つのは簡単ではない。私もかつてひどい暴力の中で生きていて、心のどこかにこういう気持ちがあっても相手には通じないし、いつしか自分も暴力の中に身を置いていた。でも、それでもいいのだと思う。心の片隅にこの知識があれば、暴力はいつかは去っていくし、宇宙の法則は永遠にそのままなのだから、きっとそこにたどり着ける。
 これからは宇宙の法則から眺めた諸問題を取り上げていこうと思う。といっても私も勉強中の身だから、偉そうなことは言えない。こんな見方もあるんだ、ということを伝えられればと思ってやっていくつもりだ。さて、どうなるのやら……


Last updated  2010.07.22 18:48:56
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2009.06.20

波動について考える

一か月ほど前、奈良方面の玉置神社、天河神社に行った。その記事を書いていたのだが、そういう時は知らず知らずにそれぞれの神社の高い波動を受けている。一方私は組合の役員もしているので、連日様々な人間関係の中で生きている。役員なんていうのは大抵揉め事の仕切り役で、揉め事の原因はほとんどが誤解である。しかし中には問題人間がいて、そういう人はエゴイストなのである。いわば自分さえ良ければいい、という人であって、自分が少しでも損な事に出会うと激高する。ここんとこそういうエゴイストの荒い波動を受けることが多く、また一方で神社の高い波動も受けて、そのギャップに肉体がついていけない状態になってしまった。
荒い波動を受けるとこっちも同調して怒り狂っているというのが普通の状態なのだから、こうして一応客観的に自分を見ることが出来るのは神社のお蔭かもしれない。また、人間は本来どちらの波動も許容してしまうだけの振幅を持てる能力があるのだから、この状態を泰然自若として受け入れるべきなのだとも思う。そして、今の状態はその為の修行なのだともいえる。
そんな風に考えると少し落ち着いてくる。実際に取るべき処置は怒りを含んでいても良いだろうし、それに自分が翻弄されなければ楽になっていくのだろう。そんなこんなの今日この頃であります。

Last updated  2009.06.20 07:39:26
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2009.02.08

久々に「テレパシー」を読みました。

 書き込み自体も久々です。ちょっと嫌なことが続いて、去年から鬱状態に限りなく近づいていたような感じでした。自分の中に怒りの種があって、いわゆる「悪魔細胞」が暴れているのだと思ったりして「テレパシー」を手にしました。
 「超能力開発法」と改題されていますけど、この本は「生命の科学」と同じ内容をちょっと別の角度から解説したものです。私はどちらかというとこっちから入ったのでうまがあいます。
 読んでいると、昔この本を読み始めた頃の感じが蘇ってきて、その頃分からなかったことが今ではスイスイ入っていくのが不思議でした。読んでいくうちに「怒りの種」に振り回されていることを少しずつ押さえられるようになってきました。
 この世に生きていると、なかなか思うようには自分をコントロールするのは難しいです。でも、この世に生きてこの体験を得ている、ということの価値は大きいのかもしれません。そんな風に思えて、やっと気持ちの余裕が出来ました。



Last updated  2009.02.09 01:17:01
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2008.01.22

宗教と宇宙哲学

 アダムスキーの「宇宙哲学」を研究をしているなんていうと、軽く「ああ、アダムスキー信者ですか…、」と一蹴されてしまう。確かにUFO研究家の中にはアダムスキー信者と言われてもしょうがないような人もいるが、私は断じて違う、と言いたい。

 「信者」というのは宗教によって自己の判断を放棄して、その宗教の神なり教祖の言いなりになっている人のことを指す。アダムスキーはその生涯の中で一度もそのように人を支配したことはないし言ってもいない。彼はむしろ「組織は駄目だ。」と言って、自分に関する組織を自分自身で作ることもしなかった。

 GAPという組織が日本をはじめ幾つかの国にあるが、直接彼と関連があったわけではない。日本GAPの久保田八郎氏が、アダムスキーを日本に呼ぼうとしたことがあったが、けっきょく資金が出来ずに断念した経緯がある。こんなところからも察せられると思う。

 アダムスキーの過ちを指摘するとすれば、他の惑星の人達をあまりに美化して描いたことだろう。まあ、私が同じ体験をしたとしたら、アダムスキー以上に舞い上がってしまうだろうから、一概に過ちだとは断罪出来ないけど…。しかし、彼の著作物からしか情報を得られない我々にとっては、やはり誤解を生んだのは確かだと思う。

 また、アダムスキーの解説の仕方や例えの出し方がキリスト教に基づいていることも誤解を生んでいると思う。深く読んでいけばどうでもいいことなんだけど、どうしても印象としては固まったものを受けてしまう。

 しかしこの点については許容範囲といってもいいかもしれない。例えどんな人が書いたとしても、それなりの片寄りはあるものだし、アダムスキーが最初から他の惑星の人達と対等だったら、そっちの方が変だ。

 けっきょく私も宇宙哲学だけに捕らわれず、あらゆるものと対比することで初めて気が付いたことも多かったし、そこから翻って宇宙哲学を見た時に、アダムスキーの主張に納得出来るものが多いのである。

 私の周辺にも様々な宗教にのめり込んでいる人がたくさんいるが、彼等が全部駄目だとも思わない。彼等も私も何故そのようなものに魅かれていくのか、という点では同じものを持っているのだと思う。それは、どんな人間にも向上心はあると思うからだ。誰だってこの宇宙の中に存在しているんだから、いっぱしの者になりたいと思うだろう。その気持ちが向上心を生んでいるのだから一方的な見方で切り捨てることなんて本当は誰にも出来ない。

 「宇宙哲学」の根幹には「他人を裁かない」「事の原因を知る」という「宇宙の法則」がある。この二つは同じことを言っている。つまりあらゆる事象の原因を理解すればその事を裁くことなど意味がなくなるのだ。そしてこれが判るようになるには、自我=エゴの訓練が必要なのである。それがなかなか難しい。

 私にだって好き嫌いがある。食べ物に対しても人間に対しても。で、どちらかというとその事だけに振り回されて日々を過ごしている。そしていつか疲れてしまう。そんな繰り返しだ。でも、何故好きで何故嫌いなのかをずっと深く、深く考え抜いていく。すぐには判らないけど、諦めないで考え続けていく。もう死ぬほど苦しい状況になるかもしれないし、自分の明日が無くなってしまいそうになるかもしれないけど、諦めずに考え続ける。そうすると、ある日突然、答えが浮かんでくる。ジグソーパズルが完成したみたいに全てが見えるのである。でも、これは全部一人でやらなければならない。誰かに相談しても、その人は絶対にその答えを知らない。答えを引き出すヒントくらいは判っているかもしれないが。

 つまらない例を出すと、私はずっとミミズが大嫌いだった。道を歩いていてミミズがのたくっていると足が竦んでしまうほどだった。高校の時、友人の畑で芋を掘っていて、巨大なミミズが出てきた時は死ぬほど絶叫した。高田渡の唄にも「ミミズ」というのがあって、私の気持ちを代弁していた。それは私にとってとても厭なコンプレックスでもあった。そこで意を決してミミズのことを勉強した。ミミズがどうしてあんな格好で生きているのか、なんの為に存在しているのか…。そして、彼等が土壌を豊かにしている事や、それこそ生ゴミを肥料に再生していることなどを知って、ようやく足が竦まなくなったのである。

 これはそれを知ったから治ったのではない。ミミズに対する知識は誰かに教えてもらうことができる。ミミズの存在意義を自我が認められたからミミズを受け入れることができたのだ。これは私の問題だから私にしか解決できないのである。私がミミズの存在意義を理解してもミミズに対する嫌悪を捨てなかったら、今でも足が竦んでいるのである。

 我々はずっと、この「好き嫌い」だけで生きている、といっても過言ではない。我々の周囲の些細な諍いも、毎日ニュースを賑わす殺人事件も、どこかの国で必ず起きている戦争という殺し合いも、全てはこの「好き嫌い」から起きている。

 まず、この事実に気が付いて、その過ちを認めて克服する以外に救われる道はない。そして誰かを気付かせて救いたいと思うなら、まず自分を救わなければ始まらない。これが「宇宙哲学」の根幹である。

 宗教と違う点は明らかだと思う。宗教も似たようなことを言ったりする。でも、よーく聞いてみると、けっきょく自分に都合のいい「好き嫌い」に支配されている。仏陀もイエスも老子も実は同じことを言っている。まさに「真理」は一つなのである。

 簡単な見分け方を書いておこう。「宇宙哲学」は学んでも世俗的には何一つ良いことはない。金持ちにもなれないし出世も望めない。我々が朝の占いに期待するような、運勢だけで良い事に巡り会うなんて事も絶対にない。では何があるのか。それは宇宙普遍の幸福に辿り着けるかもしれない…、という事だ。それは我々個人が現在感じている幸福感とはかなり違う。

 「良薬は口に苦し」とはよく言ったものだ。ああ、こんなこと書いたら誰もアダムスキーを読まなくなっちゃうな……

 最後に、GAPの久保田八郎氏は苦労しながらもアダムスキーの著作をまとめてくださった。私はGAPとはなんの関係もないが、彼の仕事にはずいぶんお世話になったことになる。亡くなって久しいが、アダムスキーの著作がこれほどまとまって手に入るのは、現在は日本だけだという。感謝してもしきれない功績だと思う。

Last updated  2008.01.22 23:39:10
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2008.01.02

続きです。

★オープンマインド
 オープンマインド=開かれた心。アダムスキーの哲学の中で何度も出てくるこの言葉は簡単なようで難しい。結局ここのところが分からなくて今まで苦労して生きてきたわけだから、そう簡単に理解できるものではないけれど、少なくとも私はこのことの重要性を感じて反省の日々を送ることになった。再び音楽を始める気持ちにもなったし、なんとなく気持ちが楽になっていった。リハビリのためにアダムスキーの原書をタイプで打つ練習などをしながらもう一度勉強をし直していた。
 その頃とても印象的なことがあったのでここに書こうと思うのだけれど、自分が純粋になっていくと、周囲の純粋なものに対しても敏感になってくる。ある夜、タイプを打ちながらカミサンが飾ってくれたチューリップの一輪挿しに何気なくテレパシーを送ってみた。あるいは送ったつもりになっていた。しばらくタイプ打ちに熱中してふと顔を上げると、コップに活けられたチューリップが心なしかこっちに向いている。「オヤ?、」とは思ったが、「まさかね、」と思い直して再びタイプに向かった。またしばらくして顔を上げると、チューリップは完全に私に向いて花を開かせているのだ。「なんだよ…。」私は訝しく思いながらもチューリップに意識を傾けた。その時、私の額辺りに強烈な印象が飛び込んできた。それは可愛い小犬が私に向かって尻尾を振って嬉しそうに駆け寄ってくるときのような、それの何十倍ものピュアな喜びの感情が飛び込んできたのだ。私は花を見ながらどぎまぎしてしまった。あまりの純粋さに私は何だが受けきれない感じがしたのだ。自分はまだまだこれほど純粋ではない。この純粋さはかなわないなぁ、という思いについに目をそらしてしまった。
 この体験は私にとってはリアリティがあっても私以外の人には「ほんまかいな?、」という話である。UFOとかあるいは宗教的な体験、オカルトっぽい体験など、本人にとっては現実でも他人にとっては意味がないものを語るときほど空しいものはない。ただ、この体験は私にかなりのヒントを与えてくれた。つまり、私が求めて止まなかった自然の純粋さをかいま見せてくれたことにより、私は自分のだめさ加減を把握できたからだ。
 それからというもの、オープンマインドをたえず意識しつつ、できるだけ公平な心で生きるように勤めることにした。口で言うほど簡単ではないし、腹立たしいことが多い毎日ではあっても、以前ほど苦しいということはなくなった。自分が今まで作ってきた作品を冷静な目で見直すこともできるようになったし、自分本来の「オバカワールド」も素直に出せるようになった。

★UFOにはまってる?
 こういう話をするとHARRY氏はUFOを信仰しているのか?と思うだろう。正直な気持ちをいうと、UFOとか宇宙人にはあまり興味がない。むしろどのような生き方をすればいいのか、という方に興味がある。ただ、その中で、例えば釈迦やキリストを考えるのと同じように、別の惑星の人のことも考えたりはする。だからといって、釈迦やキリストが実在したのか?、とか、どんな奴だったのか知ってるのか?、という質問はしないのと同じように、他の惑星に宇宙人がいるのかいないのか、私にとってどっちでもいいのである。UFOがあるのかないのかもどっちでもいいのだ。それは私の問題ではない。あちらの問題なのだと思う。つまり、彼等が積極的に出てこない限りいないのと同じなのである。だからといって、誰かの経験談や考え方を聞いて、そこから自分の生き方を見出すこと自体おかしなことではない。私の切っ掛けがたまたま宇宙人のUFOに乗ったというアダムスキーだった、というだけで、たぶんそれがなくても私は遠回りはしただろうが同じ結論に達したんだと思う。
 別の言い方をすれば、(今だからそう思えるのだが…。)最初から私の中にこういう結論があったのだと思う。そして体験の少ないもう一人の私=自我とでも言いましょうか、は、真自我を捜してもがき苦しんでいたのだ、とも言える。
 ちょっとややこしい言い方になってしまったけど、つまり今はUFOにははまっていない、ということだ。でも、皆神山をはじめ、不思議現象には非常に興味がある。あるいはお化けとか。こういうものを楽しめる心までは失いたくない。
 一番いやなのは一つの考え方に凝り固まってしまうことだ。UFOは絶対にいるものでもないし、絶対にいないものでもない。お化けもそうだし、超能力もそうだ。宇宙人がいるかいないか、もっとも納得するには自分が金星なり火星なり実際に行くしかないのである。NASAの宇宙船が行ったところでどこまで本当のことを言っているのか疑えば限がないからだ。もう一つの解決策は直感に頼ることだ。オープンマインドの利点をこの直感力が冴えることだろう。でも直感はあくまで直感だから、100%あてにされても困る。つまり、広い心でよく見、よく聞くことが肝要なのだ。そして、できるだけ楽しむことができれば最高なのである。同じ朝を迎えても、あの清々しさを味わえないような生き方はしたくないと思うのだ。




Last updated  2008.01.02 14:24:44
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アダムスキー「宇宙哲学」との出会い。

 古い文章ですが、このブログの初めにあたって私と「宇宙哲学」との関係を知ってもらうにはいいと思い掲載いたします。

★切っ掛けは……
 私がUFOにはまったのは二十五才の時だった。それまでUFOの存在など信じたことはなく、全く興味を持っていなかった。つきあっていた高橋スキイチはUFOや雪男など、不思議現象が大好きで、その手の雑誌などを買っているのをみてバカにしていたくらいだ。
 二枚目のアルバムを録音したのは高円寺にあるテイチクのスタジオで、ほぼ一ヵ月借りていた。朝から詰めているとけっこう空き時間があって、私は退屈しのぎに近所の小さな古本屋で50円で文庫本の「UFO同乗記」というのを買った。その頃はスキイチの影響で少しはUFOに興味を持っていたのかもしれない。そういえば一度、彼と一緒にUFOらしきものを目撃したことがあった。それがUFOであるかどうか、私は半信半疑であったが……。
 とにかくそんな訳で、スタジオのロビーで読み始めたのだが、その本に妙にリアリティを感じた私はどんどん読み進んでいった。そしてはまった。
 その本を書いたのはジョージ・アダムスキーといって、よくテレビなどに登場するベルに似た形のUFOを「アダムスキー型」と呼んでいるのでなんとなく聞いたことはある、という人は多いだろう。(その頃の私はまったく知らなかったのだけれど。)で、この人は1952年に他の惑星から来た人たちのUFOに乗ったということを発表してとても有名になった人だったのだ。それから二十数年、私が知った時は既に亡くなっていたのだが、あれこれ論争があってやや下火になっていましたね。その頃は。
 私がもっとも共感したのは、その哲学的価値観だった。現在のパレスチナとイスラエルのような問題について、アダムスキーが質問すると、彼等(金星や火星など他の惑星の人間。アダムスキーによると太陽系には12の惑星があって、その全部に人間が住んでいるらしい。つまり惑星というものはすべて、生命が存在するためにあるのだといっている。)は、自分たちが滅ぶことを選択する、というのだ。私は即座にアメリカのインディアンや南米の人たち、アイヌの人たちなどを思い浮かべた。普遍的な生命観を持っていれば当然の答えなんだけど、なかなかはっきり言う人はいない。
 当時の私は精神的にかなり不安定で、密かに苦しんでいた。話せば長いことながら、どうしても世間一般の価値観を持てないでいた。だからこそ音楽などをやっていられたという部分もあるのだが、当事者としては苦しいばっかりで救いが見出せないでいた。
 私は高校二年の時に人生が180度変わるような体験をした。母と父が同じ年に別々の病気で死んで、ちょっと複雑な事情から家を売り飛ばし、父の兄にあたる伯父の世話になって急遽下宿生活をするようになった。それまでは部屋数が十幾つもある家に住んで、たくさんの物に囲まれ、少なくとも母親という愛情をかけてくれる人がそばにいたのだが、それらが瞬時にしてなくなってしまったのだ。
 その経験が私の中にある種の虚無感を生んでしまった。あらゆるものごとに価値を見出すことができなくなって、非常に否定的な気持ちばかりが先んじてしまうのである。その一方で救われたい、という気持ちも強くあって、この二つの気持ちが交差して苦しんでいた。
 これは実は自分の作った唄にも現れていて、自分であまり良い出来ではないな、と思う作品が周囲に評価され、自信作はことごとく評判が悪い、という状態になっていた。しかも自分ではあまり自信がないのにどんどん話が進んでレコードを出す羽目になってしまい、正直辛かったのである。世間の人がよく言うのだが、ヒットを出して売れたらいいね、という価値観が私にはどうしても持てない。「それがなんだってえの、」という虚無感がついて離れないのだ。
 こういう気持ちはカミサンをはじめ、周囲でもり立ててくれる人たちには話せない。どこまで自分を偽っていられるのだろうか、そんな不安の中でアダムスキーを読んでしまったわけなのだ

★UFO目撃事件
 神田のエロ本屋でアダムスキーの本が五冊で480円で売っていたのを発見。よりその世界に深入りしていった。まじめに読んでいくとけっこう難解である。何かサークルはないか、と思って捜してみると、当時アダムスキーの翻訳を一手に引き受けていた久保田八郎という人が日本GAPという団体を作って月に一度上野で集会をしていた。とにかく行ってみることにした。150人くらい集まっていたと思う。なかなか盛況な会だった。私は真剣に話を聞いていたのだけれど、何かピンと来ない。これはどんな会でもそうなんだけど、どうしてもレギュラーの人たちが内輪で集まってしまい、新参者が入りにくい感じになってしまう。アダムスキーの会だからそんなことはないだろうとたかをくくっていた私はやっぱり入りきれない。中でも髪の長い男の人がとても感じが悪くて、「こりゃだめだ、」と感じてそれ以来行かなくなってしまった。
 それでも誰かの助けなしには理解できないと感じていた私は、確か雑誌のサークル活動の欄を見て「UFO教育グループ」というところに行くことにした。それはよくテレビのUFO番組で見るたま出版の韮沢潤一郎氏が主催する会で、規模は五十人ほどだったと思う。GAPよりも柔らかい感じがして、私はすんなり入ってしまった。
 この会には三年くらい出入りしていただろうか。その間いろいろと楽しい思い出もできたし、また人間観察という点でも大変勉強になった。一口にUFOといっても十人十色で人それぞれいろいろな切り口で問題意識を持っている。アダムスキーの主張をなんらかの形で実証したいと思っている人たち。新興宗教のように金星人を拝む人たち。科学的な見地からUFOの動力を追求する人たち。現世的なパワーを欲して超能力を求める人たちなど、いくつかのパターンがある。そして、それはどれも私自身の中にある欲望を代表している。
 その間に私は二回ほどUFOを目撃したのだが、一番印象に残っているのは当時明大前のマンションに住んでいたときに高橋スキイチと見たものだろう。二人で土星を観測するべく、天体望遠鏡を持って屋上に上がった。夕暮れ時で空はまだ明るかったが、土星はよく見えていた。屋上には二人だけだった。すると世田谷方向から赤い、風船玉の二倍くらいの大きさの物体がフワフワとこちらに向かって飛んできた。スキイチは素早く見つけて「UFOだ、」と叫んだ。私は半信半疑で金網越しに見ていた。スキイチほど興奮はしていなかったと思う。物体はフワフワ、といっても微妙に上下に揺れながらゆっくりと二人の前を通りすぎ、新宿方向に去っていった。私はなんとなく自分が観察されているような感じがした。
 その頃の私はレコードも売れず、作詞作曲家として仕事を与えられていた。でも、気持ちとしてはますます苦しく、追い詰められていた。そうこうしているうちにちょっとした罠にはまってしまった。
 その頃カミさんが妊娠していた。こんな不安な状況にもかかわらず、私は子供を作ってもいいや、という気持ちになっていた。そんな最中、「実は半年前にアダムスキーの高弟だった女性が地球の最後を予言しています。」という情報を聞かされた。普通だったらこんなことを聞いても何とも思わないのだが、その時はいろいろと仕掛けられて信じ込んでしまった。UFOもうまいタイミングで出てきて信じ込む切っ掛けになった。
 今考えると恥ずかしい限りだが、その地球最後だと言われた前日、朦朧とした気持ちの中で明大前の町をうろつき、「ああ、あしたにはこの街もなくなってしまうのか。」と考えたりしていたのだ。酒を飲んで、次の日は何事もなく過ぎていった。
 これは周囲のUFO関係者の間ではけっこう問題になっていた。当然情報を流した人は信用を傷つけられたからだ。でも、私は傷が浅い方だったようだ。何しろ地球の最後までそんなに時間がなかったので思い込みがインスタントだったからだ。どうも他の人の話を聞くとけっこう深刻なケースもあったようだ。

★山に籠る
 ま、そんな騒動があって私はUFO仲間とは疎遠になっていったのだが、アダムスキー哲学に打ち込まなければ、という気持ちはますます強くなっていった。そして仕事も捨て、高尾の山の中に一軒家を借りて納得の行くまで追求しようと思ったのだ。よくカミさんがついてきたなと思う。赤ん坊を連れてまったくあてのない生活に入ったのだから。
 ある夏の夕間暮れ、風呂上がりに赤ん坊を抱いて夕涼みをしていると隣の奥さんが出てきて立ち話をしていた。何気なく空を見上げるとUFOが飛んでいる。「ありゃ、UFOだよ、」私が言うと隣の奥さんにも分かったようだった。うちのカミサンだけはいつも分からない。そんなこともあってますます私は張り切ってしまったのだ。
 その頃の私が一番考えていたことは、このピュアな哲学をいったいどのように実生活に反映させるか、ということであった。これは宗教などにもあてはまる永遠のテーマでもある。私はまず純粋になることから始めたものだがら、汚れた現実の世の中に対して敵意すら持つようになってしまった。
 当時、私は都会生活者だったから初めての田舎暮らしに原チャリで山々を走り回っていた。城山湖に上って津久井湖や津久井の町を見下ろしながら、こんな景色を見たことは長いことなかったなあ、などという思いに耽っていた。やがて世の中に対する怒りのような気持ちが強まってきて、たぶん荒い気持ちになっていたときなのだと思うが、ちょっとしたことでバイクで転んで大事な手の指を複雑骨折してしまった。その時私は直感的に自分が間違っていたことを悟った。
 一つの考えを純粋に追求するあまり、私は「オープンマインド」つまり広い心を無くしていたのだ。そして、このことが今まで自分を苦しめていたものの正体だったような気がするのだ。



Last updated  2008.01.02 14:23:46
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2007.12.26

宇宙の法則をブログにしました。

 掲示板を作っておきながらぜんぜん書き込みもせずにほったらかしにしておりました。どうも思ったものと感じが違っていたのでノリが出ませんでした。ブログにするともう少しだらだら書き込める感じがして変えてみました。さて、どうなりますことやら。

Last updated  2007.12.26 22:02:57
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