|
|
|
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
│<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く |
古い文章ですが、このブログの初めにあたって私と「宇宙哲学」との関係を知ってもらうにはいいと思い掲載いたします。
★切っ掛けは…… 私がUFOにはまったのは二十五才の時だった。それまでUFOの存在など信じたことはなく、全く興味を持っていなかった。つきあっていた高橋スキイチはUFOや雪男など、不思議現象が大好きで、その手の雑誌などを買っているのをみてバカにしていたくらいだ。 二枚目のアルバムを録音したのは高円寺にあるテイチクのスタジオで、ほぼ一ヵ月借りていた。朝から詰めているとけっこう空き時間があって、私は退屈しのぎに近所の小さな古本屋で50円で文庫本の「UFO同乗記」というのを買った。その頃はスキイチの影響で少しはUFOに興味を持っていたのかもしれない。そういえば一度、彼と一緒にUFOらしきものを目撃したことがあった。それがUFOであるかどうか、私は半信半疑であったが……。 とにかくそんな訳で、スタジオのロビーで読み始めたのだが、その本に妙にリアリティを感じた私はどんどん読み進んでいった。そしてはまった。 その本を書いたのはジョージ・アダムスキーといって、よくテレビなどに登場するベルに似た形のUFOを「アダムスキー型」と呼んでいるのでなんとなく聞いたことはある、という人は多いだろう。(その頃の私はまったく知らなかったのだけれど。)で、この人は1952年に他の惑星から来た人たちのUFOに乗ったということを発表してとても有名になった人だったのだ。それから二十数年、私が知った時は既に亡くなっていたのだが、あれこれ論争があってやや下火になっていましたね。その頃は。 私がもっとも共感したのは、その哲学的価値観だった。現在のパレスチナとイスラエルのような問題について、アダムスキーが質問すると、彼等(金星や火星など他の惑星の人間。アダムスキーによると太陽系には12の惑星があって、その全部に人間が住んでいるらしい。つまり惑星というものはすべて、生命が存在するためにあるのだといっている。)は、自分たちが滅ぶことを選択する、というのだ。私は即座にアメリカのインディアンや南米の人たち、アイヌの人たちなどを思い浮かべた。普遍的な生命観を持っていれば当然の答えなんだけど、なかなかはっきり言う人はいない。 当時の私は精神的にかなり不安定で、密かに苦しんでいた。話せば長いことながら、どうしても世間一般の価値観を持てないでいた。だからこそ音楽などをやっていられたという部分もあるのだが、当事者としては苦しいばっかりで救いが見出せないでいた。 私は高校二年の時に人生が180度変わるような体験をした。母と父が同じ年に別々の病気で死んで、ちょっと複雑な事情から家を売り飛ばし、父の兄にあたる伯父の世話になって急遽下宿生活をするようになった。それまでは部屋数が十幾つもある家に住んで、たくさんの物に囲まれ、少なくとも母親という愛情をかけてくれる人がそばにいたのだが、それらが瞬時にしてなくなってしまったのだ。 その経験が私の中にある種の虚無感を生んでしまった。あらゆるものごとに価値を見出すことができなくなって、非常に否定的な気持ちばかりが先んじてしまうのである。その一方で救われたい、という気持ちも強くあって、この二つの気持ちが交差して苦しんでいた。 これは実は自分の作った唄にも現れていて、自分であまり良い出来ではないな、と思う作品が周囲に評価され、自信作はことごとく評判が悪い、という状態になっていた。しかも自分ではあまり自信がないのにどんどん話が進んでレコードを出す羽目になってしまい、正直辛かったのである。世間の人がよく言うのだが、ヒットを出して売れたらいいね、という価値観が私にはどうしても持てない。「それがなんだってえの、」という虚無感がついて離れないのだ。 こういう気持ちはカミサンをはじめ、周囲でもり立ててくれる人たちには話せない。どこまで自分を偽っていられるのだろうか、そんな不安の中でアダムスキーを読んでしまったわけなのだ ★UFO目撃事件 神田のエロ本屋でアダムスキーの本が五冊で480円で売っていたのを発見。よりその世界に深入りしていった。まじめに読んでいくとけっこう難解である。何かサークルはないか、と思って捜してみると、当時アダムスキーの翻訳を一手に引き受けていた久保田八郎という人が日本GAPという団体を作って月に一度上野で集会をしていた。とにかく行ってみることにした。150人くらい集まっていたと思う。なかなか盛況な会だった。私は真剣に話を聞いていたのだけれど、何かピンと来ない。これはどんな会でもそうなんだけど、どうしてもレギュラーの人たちが内輪で集まってしまい、新参者が入りにくい感じになってしまう。アダムスキーの会だからそんなことはないだろうとたかをくくっていた私はやっぱり入りきれない。中でも髪の長い男の人がとても感じが悪くて、「こりゃだめだ、」と感じてそれ以来行かなくなってしまった。 それでも誰かの助けなしには理解できないと感じていた私は、確か雑誌のサークル活動の欄を見て「UFO教育グループ」というところに行くことにした。それはよくテレビのUFO番組で見るたま出版の韮沢潤一郎氏が主催する会で、規模は五十人ほどだったと思う。GAPよりも柔らかい感じがして、私はすんなり入ってしまった。 この会には三年くらい出入りしていただろうか。その間いろいろと楽しい思い出もできたし、また人間観察という点でも大変勉強になった。一口にUFOといっても十人十色で人それぞれいろいろな切り口で問題意識を持っている。アダムスキーの主張をなんらかの形で実証したいと思っている人たち。新興宗教のように金星人を拝む人たち。科学的な見地からUFOの動力を追求する人たち。現世的なパワーを欲して超能力を求める人たちなど、いくつかのパターンがある。そして、それはどれも私自身の中にある欲望を代表している。 その間に私は二回ほどUFOを目撃したのだが、一番印象に残っているのは当時明大前のマンションに住んでいたときに高橋スキイチと見たものだろう。二人で土星を観測するべく、天体望遠鏡を持って屋上に上がった。夕暮れ時で空はまだ明るかったが、土星はよく見えていた。屋上には二人だけだった。すると世田谷方向から赤い、風船玉の二倍くらいの大きさの物体がフワフワとこちらに向かって飛んできた。スキイチは素早く見つけて「UFOだ、」と叫んだ。私は半信半疑で金網越しに見ていた。スキイチほど興奮はしていなかったと思う。物体はフワフワ、といっても微妙に上下に揺れながらゆっくりと二人の前を通りすぎ、新宿方向に去っていった。私はなんとなく自分が観察されているような感じがした。 その頃の私はレコードも売れず、作詞作曲家として仕事を与えられていた。でも、気持ちとしてはますます苦しく、追い詰められていた。そうこうしているうちにちょっとした罠にはまってしまった。 その頃カミさんが妊娠していた。こんな不安な状況にもかかわらず、私は子供を作ってもいいや、という気持ちになっていた。そんな最中、「実は半年前にアダムスキーの高弟だった女性が地球の最後を予言しています。」という情報を聞かされた。普通だったらこんなことを聞いても何とも思わないのだが、その時はいろいろと仕掛けられて信じ込んでしまった。UFOもうまいタイミングで出てきて信じ込む切っ掛けになった。 今考えると恥ずかしい限りだが、その地球最後だと言われた前日、朦朧とした気持ちの中で明大前の町をうろつき、「ああ、あしたにはこの街もなくなってしまうのか。」と考えたりしていたのだ。酒を飲んで、次の日は何事もなく過ぎていった。 これは周囲のUFO関係者の間ではけっこう問題になっていた。当然情報を流した人は信用を傷つけられたからだ。でも、私は傷が浅い方だったようだ。何しろ地球の最後までそんなに時間がなかったので思い込みがインスタントだったからだ。どうも他の人の話を聞くとけっこう深刻なケースもあったようだ。 ★山に籠る ま、そんな騒動があって私はUFO仲間とは疎遠になっていったのだが、アダムスキー哲学に打ち込まなければ、という気持ちはますます強くなっていった。そして仕事も捨て、高尾の山の中に一軒家を借りて納得の行くまで追求しようと思ったのだ。よくカミさんがついてきたなと思う。赤ん坊を連れてまったくあてのない生活に入ったのだから。 ある夏の夕間暮れ、風呂上がりに赤ん坊を抱いて夕涼みをしていると隣の奥さんが出てきて立ち話をしていた。何気なく空を見上げるとUFOが飛んでいる。「ありゃ、UFOだよ、」私が言うと隣の奥さんにも分かったようだった。うちのカミサンだけはいつも分からない。そんなこともあってますます私は張り切ってしまったのだ。 その頃の私が一番考えていたことは、このピュアな哲学をいったいどのように実生活に反映させるか、ということであった。これは宗教などにもあてはまる永遠のテーマでもある。私はまず純粋になることから始めたものだがら、汚れた現実の世の中に対して敵意すら持つようになってしまった。 当時、私は都会生活者だったから初めての田舎暮らしに原チャリで山々を走り回っていた。城山湖に上って津久井湖や津久井の町を見下ろしながら、こんな景色を見たことは長いことなかったなあ、などという思いに耽っていた。やがて世の中に対する怒りのような気持ちが強まってきて、たぶん荒い気持ちになっていたときなのだと思うが、ちょっとしたことでバイクで転んで大事な手の指を複雑骨折してしまった。その時私は直感的に自分が間違っていたことを悟った。 一つの考えを純粋に追求するあまり、私は「オープンマインド」つまり広い心を無くしていたのだ。そして、このことが今まで自分を苦しめていたものの正体だったような気がするのだ。 │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||