どんな人間でも生きていく根底になにかしら寄って立つ処を持っている。多くの場合は「プライド」と呼ばれるもので、金のある人は金で、或いは生まれた国、町、村だったりする。また、地位という人もいる。我々が己の心の糧としている「プライド」はどんな形にせよ、他人との比較で出来ているようだ。だから裏腹に「コンプレックス」を生む。「コンプレックス」は厄介なものでもあるが、人間の創作力を生み出す源泉にもなる。どちらにしてもそれらの元にあるのは人間が作り出した感情に過ぎないので、我々がプライドに寄りかかって生きている間、知らず知らずに差別を作り出しているのに気が付かない。
その反面、我々は「平和」とか「平等」を求めている。もし、それを突き詰めて考えるのなら、我々は「プライド」の元になっている差別的な優越感が最大の原因であることを考えなければならない。後から付けられる人工的な価値を取り去った、素っ裸の自分に戻って全てのものを見渡す必要があるのだ。
時として人生にはそういう瞬間が何度か訪れる。親を亡くした時とか、アクシデント、或いは災害に見舞われたときなどだ。自分など取るに足りない存在だと思い知らされる。でも生きている、ということは肉体には何十億もの細胞が必死で働いているわけで、考えてみれば、それらの細胞が肉体を保つ為にどれだけの働きをしているのか、その実態を知れば自分が取るに足らない存在などということはありえないのが分かるだろう。
この世の日常的な生活は意味のない価値観に振り回されている。そのストレスに押し潰されて、我々は歪んだ感情を楽しんでいる。そのことが肉体を蝕み、他人を傷つけている。そして心の奥底ではどこか間違っていると感じていても、治す術を知らないでいるのだ。
UFOの乗員は意図的に「終末説」を誠しやかに流すのだが、その目的は、真剣にこの世の終わりを考えさせることで人工的な「プライド」が価値のないものだと気付かせることにある。これは口で言うほど簡単ではない。長い年月にこびりついた汚れみたいなもので、ちょっとやそっとで落ちるものではない。また、仮に気が付いたとしても、相変わらずこの社会で生きなければならないのだから、今度は別のストレスが生まれてしまう。
我々の「寄って立つ処」は、大きく二つに分けられる。それは「原因」と「結果」の二つである。我々が人工的に作り出した価値観は「結果」をその拠り所にしている。「金を持っている」「美しい容姿をしている」「誰よりも喧嘩が強い」など、どれも現象の結果として現れているものだ。一方「原因」を拠り所にすると、「結果として我々を苦しめるもの」「病気をもたらすもの」「老い」「死」も、全てが大きなサイクルの一部として捉えられるようになる。我々は「結果」として人間として存在しているわけだが、「原因」に意識を向けると、「結果」の向こう側にある「意味」が認識できて、全ての現象が奥深く、驚異に満ちたものになる。そして自分自身についてもほとんど知らないでいたことが分かる。更に人工的な価値観を遥かに越えた様々な作用と能力を得るようになる。
例えば、ケイタイ電話がある。今ではほぼ全員が持ち歩き、どこにいても連絡がとれる。ところが「原因」に意識を向けると、自然に自分の話したい相手がどこにいるのか分かるようになる。また、相手もそれを察知するようになる。それが身に付くと、言葉の通じない相手とのコミュニケーションがとれるようになる。一番分かりやすい例は動物とのコンタクトだろう。ケイタイを持っていない彼等との連絡も可能になるのだ。こうして視野はどんどん広がっていく。UFOの乗員が仕掛けてくる「リフトアップ」、その人間を引き上げる、という言葉の中にはこういう意味が隠されている。こういう事情は実は旧訳聖書にたくさん書かれている。「ソドムとゴモラ」の説話など典型的だろう。遥か昔から同じことが繰り返されているのだ。
神の御使いであるUFOの乗員達はこうして我々に働きかけることで、魂を救おうとしてくれているのである。これは彼等がしなくても、いつかはこの世の仕組みの中で誰しも通らなければならない道なのだが、上手な道案内がいれば到達も確実なものになる。
こういう視点でUFO問題を考えると、誰が問題の本質を歪めて隠蔽しているのかが分かってくる。先ずはなかなか「結果」に寄り掛かっていることから抜け出せない、権力を持った人々である。この社会の価値観は彼等が作っているといっても過言ではない。正に「金持ちが天国に行くのは。ラクダが針の穴を通るよりも難しい」という言葉通りである。
私はもう一つ、UFOの乗員の方々もあまり公になることを望んでいないような気がする。彼等から見たら、我々全体の状況の厳しさは相当のものだと感じるだろう。「結果」だけに頼って生きている我々は、常に無理解からくる恐怖を抱えている。それが暴力を生み出し、その挙句パニックを起こすのが関の山である。
だから彼等の行動は、個人的な一本釣りである。こう書くと、ちょっと「選民思想」に近いものを感じるかもしれないが、最終的には全ての人が救われるのである。一本釣りされた者は、その分このことを伝えるカルマが生じるようだ。
とは言え、「原因」を己の寄って立つ処にすることは素晴らしく楽しいものだ。その上でこの社会の中で生きてこそ、この星に生まれた醍醐味を味わえるというものだ。それができた時は、ひょっとしたらUFOの乗員をある意味越えているのかもしれない。