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吉良よし子参議院議員に、フクイチ(福島第一原発)に関するレク(関係省庁からのヒアリング)をセッティングして貰い、質問と回答・質疑応答の内容を全9回に渡って紹介して来ました。 レクに至る経緯の概略はこちらの記事(6月17日の金曜行動~吉良よし子参議院議員に感謝~)に書きましたが、詳細に紹介致します。 1.何故、国会議員に頼もうと思ったのか そもそも、私が、福島第一原発の先行きに関して危機感を覚えたのは、2014年4月28日に経済産業省で傍聴した「第12回汚染水処理対策委員会」が切っ掛けでした。この会議には「汚染水貯留タンクの増設計画・リプレース計画について」という東電の資料が提出されました。3頁目右下の合計欄に「885500㎥」(春橋注:88万5500t)という数字が有ります。 会議の席上、この数字について「東電さんの見積もっている88万5500tという数字は、これが一杯なのですか?」と質問が有り、東電廃炉推進カンパニーの松本純バイスプレジデントは、「1.貯留タンクは、『原子炉建屋からある程度の距離を取り』『複数タンクが設置できる区画』に設置している」「2.上記条件でタンクを設置していくと、タンク容量は約89万tが限度となる」「3.何万tか増やしても、破綻を数カ月先送りするだけとなる」旨を回答していました(当ブログでも14年5月1日付の記事で紹介しています)。 私が、タンク貯留破綻の可能性と、その恐ろしさを感じたのはその時です。暫く、気分が悪くなったのを覚えています。後日、東電が公表している水処理週報(当時は毎週水曜日リリース、現在は毎週金曜日リリース)を基に計算したところ、当時、汚染水の貯留量は月間平均約1.5万tのペースで増加しており、そのままのペースが続くなら、2016年6月末には破綻するという結果になりました。 私が、汚染水貯留量とタンク空き容量の計算を毎週のように行うようになったのはその時からです。その時に作り始めたグラフが、現在、当ブログにも掲載している汚染水貯留量とタンク容量のグラフになりました。 一人で数字を追っていても、解決はしません。誰か影響力のある人に伝えて、助言を貰う・社会に広く発信して貰う必要があります。たまたま、その時期に開催され、参加したのが「第7回・パパママぼくの脱原発ウォーク」でした(2014年5月11日開催。当ブログでの紹介記事はこちら)。 宇都宮健児弁護士・山本太郎参議院議員が参加しておられたので、パレードが終わった後、宇都宮弁護士に、汚染水処理対策委員会での東電の説明と、「2016年夏までには破綻する試算になる」ことを伝えたところ、「国会議員に相談した方が良いと思いますよ」とお答えを頂きました。いきなり数字をまくし立てる不躾な私に対応して下さったことに感謝しています。山本太郎参議院議員はパレードの途中で帰っており、私は失敗したと思いました。パレード出発前に強引にでも相談しておくべきで、写真を撮っている場合ではありませんでした(その時に撮った写真が、山本議員と宇都宮弁護士が並んでいる写真です。上記記事に掲載しています)。 山本議員との貴重な接点を逃してしまい、国会議員との接点となるのは金曜行動しかありません。当時、金曜行動にほぼ毎回参加している議員と言えば、当時は笠井亮衆議院議員か、吉良よし子参議院議員の両名でした。 2.吉良よし子参議院議員への依頼 金曜行動に国会議員が参加するとは言っても、ステージ近くではスピーチやコールが賑やかで、とても、数字を落ち着いて話せる余裕はありません。どうしようかと考えて何度かチャンスを逃しましたが、吉良よし子参議院議員が、議事堂前だけではなく、ファミリーエリア(現「希望のエリア」)へも参加していたので、移動の合間かファミリーエリアの近くで「捕まえる」ことにしました。 元々、吉良議員は参議院議員として立候補する前から金曜行動に参加しており、議事堂前スピーチエリアで一緒に順番待ちをしたり、互いにスピーチを聞いたりしていたので、面識は有りました。そして、吉良議員を選んだもう一つの重要な要素が、2014年1月17日の金曜行動でお会いしていた事です。この日は、熱海で日本共産党の党大会が開かれており、私は、共産党の国会議員は金曜行動には参加できないだろうと思っていました。ところが、吉良議員は参加したのです。これには良い意味で驚かされました。この時の事は当ブログでも記事にしています(2014年1月17日のスピーチとコール ~国会前とファミリーエリア~)。 この時の出来事が、吉良議員を他の議員とは「別格」として見る切っ掛けになっています(決して、山本太郎議員を始め、他の議員を貶めている訳ではありません。念の為、お断りしておきます)。 最初は歩道での立ち話だったと思いますが、吉良議員は「このままでは2016年夏までには破綻しかねない」という、私の早口の説明を聞いてくれました。その時、吉良議員からは「国会の質疑で取り上げるにはタイミングや切り口が重要」という主旨のことを言われました。 それ以来、私は、汚染水貯留状況のグラフを更新しては、金曜行動等で吉良議員にお会いする度に渡すようになりました。その内、労働条件・固体廃棄物等の情報も必要ではないかと思い始め、収拾する情報が増えていきました。当ブログに、固体廃棄物・作業員人数・被曝線量等のグラフが掲載されているのはそういうことです(固体廃棄物と液体廃棄物は一見、関係ないように見えますが、フランジ型タンクを解体すれば固体廃棄物となります。タンクの解体・設置に当たる作業員の労働環境も見ないといけません)。 吉良議員に情報提供を続ける内、2014年の11月に衆院解散・総選挙の流れが決定的となりました。タンク内汚染水の増加ペースは変わっておらず、資料の内容も多岐に渡っていたことから、一度ゆっくりお話ししたいとお願いしたところ、「(総選挙後の)来年1月に議員会館の事務所に来て下さい」と言われ、そこからが、本格的な情報共有の始まりでした。 3.変転するフクイチの状況 吉良議員と調整した最初の訪問日が2015年1月7日でした。この日は、吉良議員がどうしても時間が取れないとの事でしたが、とにかく、対面でお話しを始めるのが優先ということで、秘書のFさんが対応してくれました(実名は伏せます)。私は恥ずかしながら、議員会館の事務所を訪問するのは初めてで(国会事故調の傍聴で議員会館に入ったことは有ります)、受付から戸惑いました。 秘書のFさんは、金曜行動で私を見た事があるそうで、私が吉良議員に渡している資料も熟読しておられました。限られた時間では有りましたが、「タンク貯留が破綻する懸念」を含めて、フクイチの抱えているリスクや当時進行中だった作業の内容等をお話ししました。 その時は「顔合わせ」程度のものでしたが、翌月に、漸く、吉良議員と事務所でお会いできました。初めて、応接室兼会議室で吉良議員とお会いした時の事は良く覚えていますが、金曜行動で会うのと変わらない、飾らない、いつもの吉良さんでした。 フクイチに関する情報共有と、質疑での取り上げ方に関する意見交換が始まったのは前進でしたが、困ったのは、質疑での取り上げ方でした。当時は、海側配管トレンチの水抜きと閉塞が進行中で、海側遮水壁は未閉合、2月にはK排水路から港湾外への汚染水漏洩が発覚して、サブドレンの稼働開始時期が未定となるなど、状況が一定しておらず、凍土壁もボーリング作業中でした。 5月には、規制委員会の監視・評価検討会を傍聴してから議員事務所にお邪魔し、貰ったばかりの資料・聞いたばかりの議論を基に吉良議員や秘書のFさんにお話しする「新たな試み」も出来ましたが、論点が多すぎる上に状況が日々変動しており、質疑や質問主意書で取り上げるには、焦点が絞り切れないという問題にぶつかりました。様々な対策が「実行予定」であったので、国会の委員会で質問しても、「~が実行されれば変わります」「今後は~で対応する予定」と躱されるのはほぼ確実と思われました。 しかも、汚染水対策だけを見ても、タンク容量(貯める)、サブドレン・地下水ドレン・凍土方式陸側遮水壁(増加量を抑制する)等、複数の要素が絡み合い、建屋周りの作業も、汚染水対策だけではなく、線量低減やデブリ取り出しに向けた調査等、様々な作業を調整しつつ行っている状態で、単独の問題だけを取り上げるのも無意味でした。 2015年3月にフクイチの敷地内で2週連続でボヤが発生したのを受けて、松田公太・参議院議員(東京選挙区・みんなの党/2016年参院選には不出馬。最後の会派は「日本を元気にする会」)が、東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会(略称「復興特」)で、この件を取り上げたことが有ります。 その時、松田議員は、参考人として呼ばれていた東京電力の廣瀬社長に「スプリンクラーを作ってはどうか」と質問していました。私は参議院のサイトで質疑を視聴して、的外れな質問だと思いました。屋外の複数個所に設置されている固体廃棄物保管所にスプリンクラーを作るのは設計が難しいでしょうし、仮に設計したとしても、それを設置する為にリソース(人員・時間・資機材)を割くことは、優先順位や費用対効果の面から疑問ですし、見回りや自衛消防隊の増設等、他にできることも有るでしょう。又、固体廃棄物保管所第9棟が建設中なので、それが完成すれば、屋外の仮置きは、かなりの程度、解消される事が見込まれます。 私は、松田議員の質疑を視聴した感想も吉良議員にお話ししました。吉良議員や秘書の方が目指している方向性は適切なものだと思っていたので、私はお任せすることにし、焦ることはすまいと考えました。その後も、吉良議員は「何とか切り口を見付けたい」と言って下さり、意見交換・情報共有は続けてくれました。 4.思いがけない、委員会質疑前日の面談 この時期は、吉良議員の人間性や誠実さに、それまで以上に触れる事も出来た時期でした。エピソードを書き出すと切りが有りませんが、一つだけ印象に残っているのが、2015年7月7日に、事務所にーでお会いした時の事です。この頃には、妊娠した吉良議員のお腹はかなり大きくなっており、産休も間近いと思われましたが、それでも、私との面談の時間を作ってくれました。 7日に議員会館の応接室でお会いすると、「急なことですが、明日の復興特で、川内原発再稼働と住民避難の問題点を取り上げることになりました。今は質問を練っているところですが、何か盛り込んで欲しい・或いは盛り込むべき事はありますか?」と訊かれました。 質疑に立つ前日で、1分・1秒も惜しい時に、約束を取り消すことなく会ってくれたことは勿論、翌日の質問の大枠まで教えて下さったことに、私は感謝というより、感動しました。その日は、フクイチの件には殆ど触れず、主に「福島原発かながわ訴訟」の口頭弁論・報告会で聞いた話を基に、仮に避難できたとしてもそれで終わりではなく、寧ろ、そこからが大変であり、避難計画が出来れば良いというものではないという観点からお話ししました。
具体例として、4を踏まえて、かながわ訴訟で知った例を概要でお話しました。 その上で、金曜行動等でも紹介した事のない事を吉良議員にお伝えしました。2015年1月15日の東電会見での、福島復興本社の石崎芳行社長と「月刊FACTA」の宮嶋編集長の質疑です。東電のサイトに動画が有ります。石崎社長が帰還困難区域のお宅に泊めて貰った際に聞いたという、お父様がパチンコに行っている話です(下記動画の40分15秒~) http://www.tepco.co.jp/tepconews/library/archive-j.html?video_uuid=kh5bn846&catid=61693 私がお話ししたこれらの点は吉良議員の視点と同じ、との事でした。残念ながら、共産党は議席数の関係で質問時間が短いのですが、翌日(7月8日)の質疑では、吉良議員は論点をコンパクトに盛り込んでいます。下記に参議院の動画を紹介しておきます。吉良議員の項目をクリックすれば、頭出しできます。「避難後の問題」に関しては、短時間ですが、2時間54分50秒~です。 http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/detail.php?sid=3242&type=recorded 5.レクの実現まで この後、吉良議員は産休・育休に入り、直接の面談は一時休止になりました。それでも、フクイチの状況は吉良議員に私信として伝え、時折、返信も頂きました。秘書のFさんとの面談もセッティングしてくれました。吉良議員がお休みの間は、衆議院第二議員会館の池内沙織議員の事務所でお会いしました。池内議員の応接室兼会議室は飾りのないシンプルな部屋で、小林多喜二の写真が掲げられていて、池内さんらしさを感じました。 この後、吉良議員から16年4月には復帰予定という連絡を受け、改めて面談した際に「レクを行うので、同席しますか?」との打診を受けたのは、以前に書いた通りです。 因みに、吉良議員は元気な男の子を産んだそうで、お母さんになりました。吉良議員の旦那さんでもある松嶋祐一郎目黒区議会議員とは、以前からご挨拶しようと思っていて叶わず、漸く、2016年の目黒区長選に合わせてお会いできました。演説の際の鋭さと個人的に話した際の柔さのギャップに驚かされたのを覚えています。 レク同席の打診を受け、具体的に動き始めた後がまた大変でした。レクの前提として、吉良事務所から関係省庁へ質問を投げなければならず、吉良議員からは、その質問案を考えるように要請されました。 事実確認を前提としたレクですから、自分で調べられるものは調べなければなりません。最新の情報を確認することから始め、この事実確認に時間がかかりました。作業そのものはネットで検索をかけて、関係省庁等の資料を探していくという地味なものでしたが、数年間に及ぶもの(大熊分析・研究センターが典型)もあり、とにかく時間がかかりました。その上で、フクイチ全体の行方やリスクに関わるものを取り上げるようにしました。ネットで検索するだけではなく、日々のリリースにも目を配り、月曜・木曜の東電定例会見も欠かさず視聴しました。 吉良事務所に送る際には、参考資料のURLも付け、並行して、自分が作った資料も添付しました。 その結果が、9回に渡った内容報告に掲載した28の質問です。結果的には、私が吉良事務所に提出した質問案が丸ごと採用され、吉良事務所から関係省庁へ投げかけられました。私は、自分の案が一言一句に至るまで採用されるとは思っていなかったので、嬉しかった反面、緊張もしました。ですが、国会議員は国民の代表として、国民の疑問や要望を国権の最高機関たる国会で表明し、反映させるのが仕事です。吉良議員は、国民の代表として、当たり前のことをしたに過ぎません。その「当たり前のこと」がさも凄い事であるかのように思えてしまうのが、今の政治です。政治というものが如何に主権者国民からかけ離れているのかの証でしょう。 レクを始める際、吉良議員は私の事を「金曜行動で一緒に声を上げていて、規制委員会の会議等も傍聴している方です。本日、同席させて頂きます」と紹介してくれました。私は「一人の有権者としてお話をお伺いします。宜しくお願いします」と挨拶しましたが、省庁や東電の担当者に、金曜行動の参加者のレベルを推し量られるのではないかとビビリました。 2回目(6月17日)のレクで、東電の原子力立地本部長代理が来たのには驚かされました。恐らく、経産省だけでは回答し切れなかったので、東電に打診したのでしょう。吉良事務所の秘書の方から、「今日の説明担当者として連絡のあった方です」と、一覧を見せられて、いつも記者会見で見ている原子力立地本部長代理の名前を確認して、飲んでいたお茶を噴き出しそうになりました。 6.レクを振り返ってみて この1年半を振り返ると、想像もしていなかったことと、多くの人への感謝で一杯です。 今まで私は、政治や議員の行動について色々と言ってきましたが、実態を知らなかったと思い知りました。レクの下調べや文章作りに苦労してみて、真面目に議員を続ける事の大変さの一端が分かりました。私は2回だけでしたが、吉良さんは、議員を続ける限り、下調べと、論理的に完璧な構成の質疑を組み立てなければいけないのです。事実関係に間違いが有ってはいけませんし、論破・説得されては意味が有りません。私はレクの質問案作りで夜遅くまで調べたことも有りますし、一区切りついた後で猛烈に眠くなったことも有ります。議員となれば、「眠くなったから寝る」という訳にもいかないでしょう。 吉良議員が復帰されてから、極力、質疑も傍聴していますが、論破・説得されないような構成で質疑をするのは大変だと思います。レクとは違って質疑だと、相手の回答によって当意即妙で対応しなければならないこともあるでしょう。 3.11前は、自分が、国会議員の事務所に通ったり、省庁相手の質問文を書いたり、国会議員と並んで座って省庁の担当者相手に直に質疑応答するとは全く想像もできませんでした。しかも、6月の2回目のレクでは、東京電力HDの原子力立地本部長代理も来たのです。3.11当時、私はTVの画面を見て「どうなっちゃうんだろう」とオロオロするばかりでした。それが5年経って、原子力立地本部長代理と質疑応答できたのです(その方が固体廃棄物に関する質疑応答の中で「私ども、反省を致しまして」と発言した時には、内心「本当ですか?」と突っ込みを入れたくなりましたが、黙っていました)。 有権者としてできる事や、政治や国会議員が果たすべき役割を、驚きの連続の中で、身体で学び、考える事ができました。 これらの事が実現できたのは、様々な人の支えのお蔭です。 そして、その金曜行動を始め、「声を上げる器」を作ることに尽力してきた首都圏反原発連合の皆様にも感謝致します。 全ては、金曜行動から始まりました。金曜行動が無ければ、私と吉良さんが知り合うこともなかったでしょう。現在の「希望のエリア」(旧・ファミリーエリア)も、当初は反原連と一体で、途中から「パパママぼくの脱原発ウォークによる独自運営」になりました。やはり、全ての始まりは金曜行動なのです。 その「希望のエリア」が有ったお蔭で、吉良さんと立ち話するタイミングが得られ、資料をお渡しすることも出来ました。反原連とは異なる立ち位置で開催を続けてこられたパパママウォークのメンバーの皆様に感謝いたします。 更に感謝すべきは、吉良さんを参議院に押し上げてくれた東京選挙区の70万3901人の有権者の方々です(2013年参院選での東京選挙区は定数5。吉良さんは3位当選)。私は神奈川に住んでいるので、投票は出来ませんでしたし、選挙戦の手伝いすらしていません。にも関わらず、参議院議員としての吉良さんにお力になって貰いました。東京都の約70万4千人のお蔭です。吉良さんに投票して下さった一人一人にお礼を言いたいところです。 もう一つ忘れてはいけないのが、私の勤務先の理解です。私が金曜行動に参加していること、フクイチに関する会議や、被災者・被害者の裁判を傍聴していることは職場の上司も知っており、間際の届けでも有給を認めてくれますし、一緒に働いている人達も、シフトを代わってくれます。お蔭で、裁判や会議をほぼ欠かさずに傍聴し、最新の情報や、動画では分からないその場の雰囲気も含めて知る事が出来ました。職場の理解あってこそ、私は行動できています。会社名等を表立っては言えませんが、理解ある職場と上司に感謝致します。 レクが終わって形になるまで公表しなかった理由は、以前にも書いた通り、「吉良議員には雑音の無い所で仕事をして貰いたかった」からで、他意は有りません。金曜行動で知り合った方を始め、原発事故の被災者・被害者の方にも伏せていたことは改めてお詫び致します。 もとより、フクイチ事故は収束していません。5・6月に行ったのは、レクであり、事実の確認です。タンク容量は逼迫し、凍土方式陸側遮水壁は補助工法を打っても効果が発現せず、レク以降、寧ろ、事態は悪化しているように見えます。 私は、今後も、フクイチを追いかけ続けます。今回のレクは、終着点ではなく、あくまでも一区切りです。 最後に、どうしてもこれだけは書かせて頂きます。 吉良よし子さんが参議院議員で、本当に良かったです。 春橋哲史(ツイッターアカウント:haruhasiSF) ※2017.1.11 誤字脱字を修正し、文章の一部を簡略化。
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Last updated
2017.01.11 02:20:51
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