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Brog Of Ropesu

Brog Of Ropesu

Act 3 続き

前衛には依然、狼の群れが舞い踊る。それに対し、侍は静かに抜刀する。

―――気合い一閃。

あまりにもの無音。まるで、その稲妻を思わせる光の軌跡が、音という概念ごと切り払ったかの様な一撃。
侍の抜き打ちの、居合いと呼ばれる技術は、常人のレベルを遙かに陵駕している。
人間よりも何十倍も優れた視覚を有する狼ですら眼で追うのがやっと、と言ったところであろう。
狼達は先ほどの様に手際よく侍を討とうと速やかに陣形を整えてはいるのだが、その尋常ならざる速度を伴う一閃を警戒し、攻めあぐねているようだ。

―――おそらくは、牽制であろう、この一降りで、かくもの絶技となる、ということは、実際の実力はどれほどのモノになるのだろうか?

無論、人の身であるルーには遠目ということもあって、何があったのかは見えていない。
しかしながら、いつもは速やかに排除を敢行する狼達が警戒する様子だけは雰囲気で察することが出来る。
瞬間、訝しげな表情を象るルーであるが、その侍の佇まいが前者四人と一線を画す事を、野生の勘とも言うべき感覚で感じ取る。
多分に、ケセラセラといけるような先ほどまでとは状況が違い過ぎるのであろう。
そう判断したルーは即座に懐から金属を取り出すと、ジャングルジムを組む要領で、それらを即座に組み立てる。

その金属塊はいわゆるスリングであった。とは言っても子供の玩具として扱われるパチンコの様な可愛げのあるモノでは無く、投石機や固定砲台と言っても過言では無い、武骨で巨大な、まさしく金属の冷たさを体現する凶悪なフォルムである。
質量によって肉をつぶし、骨を砕く、対象の生命を奪う圧倒的な暴力。
原始的な恐怖を彷彿とさせるに差し支えない武装である。まだあどけなさの抜けない少年には相応しくない代物だ。

「ブリューナク!」

ルーの掛け声に、ブリューナクは即座に先ほど自分たちが仕留めた4体の死体の内、もっとも重い金時の首筋を咥えてルーの元へと引き摺りながらも、運び来る。
ルーはその死体をスリングの上へと、乗せるとテコの原理の力点となる箇所へと、勢い良く飛び乗り自らの体重をかける。

―――そう、この死体こそが、スリングの弾なのである。

一般的な倫理観を持ち合わせていないのか、はたまた子供故の無邪気な残酷さ故かは解らないが、このルーという少年にとって、ある一定以上の質量を伴えば、弾は何でも構わないのだ。
それは、放物線を描きながら、狼達の外側へと展開しようと邁進していた妙齢の女の頭上へと降り注ぐ。
狙いとなった女は、頼光ほどの使い手では無かったらしく、背後且つ頭上から迫り来る鈍重な邂逅に為す術も無く、ぐちゃりと、間抜けな音を立てながら潰された。
おそらく、自分に何が起こったのか解らぬままに圧死したであろう。その姿はまるで轢かれ潰れたカエルの様に滑稽でもある。
それもそうだ。通常、空高くから死体が降ってくる、といった思いも寄らない奇襲を誰が想像できようか?

「で?このでっけぇ残飯は、何曜日のゴミの日に出せば良い?」

小馬鹿にしたように誰ともなく問うと、くっくっ、と漏れ出すような笑いを浮かべ、死者に対する敬意など微塵もなく、蔑む様ににその亡骸に唾を吐きかける。
そうして残った三人の内の一人を一蹴すると、頼光は完全に狼達に任せ、残ったもう一人―――腰の曲がった老人を次の標的として定める。




が、突如ルーの耳に、狼達のいつもとは違うけたたましい雄叫びが届く。彼らを指揮する司令官であるルーは瞬時に気づいた

―――これは緊急事態の合図だ。

ルーが慌てて、目を向けるとそこにはフラガラッハの無惨にも唐竹割りにされた身体が横たわっていた。
そして何の感慨も浮かんでいない、白磁の様な無表情さでカタナに付着した血糊という名の生命の朱を、飛沫を撒き散らしながら振り払う頼光の姿。
おそらくは、先行するアンヴァルら先行部隊の強襲へのカウンターとなるフラガラッハは、先の先を見据えた頼光の放つ更なるカウンターにて出鼻を挫かれたのであろう。一太刀で絶命している。
獣の反射神経を凌駕する一撃とあらばその疾さはおそらく0コンマ秒以下の世界だ。
見事、という言葉しか口をつかない手際である。

しばし、目の前の出来事が理解できず、呆然と暮れるルー。
陣形を崩された狼達は再び別の編隊を組もうと立ち直るが、それも叶わない。
統率された動きと言うモノは逆を返せば、行動に無駄が無い故に、読みやすいセオリー通りの動きに他ならないのだ。
それも通常ならば、問題は無いのであるが、この頼光という侍は、経験の豊富さ故か、はたまたその類い希なる才能故か、既に行動パターンを理解し、読み切ってしまっている。
案の定、鯨に飲み込まれる小魚の様に、彼のカタナに飛び込む形となったタスラムの首が撥ね飛ぶ。
そこから先はもうあっという間の些末時だ。
4体の編成が今や、半分となった部隊がこの剣豪を制圧できるはずは無く―――頼光の横一閃をもってアンヴァル、ウェーブ・スイーパーは一刀のもとに両断され、彼らはまるで質量を持っていないかのように千切れ飛び、息絶えた。

「邪とは比較にならぬほど狩り易い獲物であったな」

気怠げに溜息を今にも吐きそうな様相で、カタナを拭う頼光。
その如何にもつまらな気な態度を見て、ルーは激昂する。
粗暴且つ残酷な指向のルーではあるが、彼にとって狼達は狩りのパートナーである以前に大切な家族でもあったのだ。
それを本当に心の底からどうでもいい様子で切り捨てられたのだ。年齢的な未熟さ故、感情を制御できないという事もあるが、彼の怒りも当然であろう。

―――もっとも、ルーは今まで同様の事を他人にしてきた人物だ。そのツケが回ったとも言えるが。

「この糞野郎!!よくも・・!よくもやりやがったな!もう絶対に許さないからなっ!テメェの内臓引きずり出して、細切れにして鯉の餌にでもしてやる! 」

怒号一擲。ルーは反撃の狼煙を掲げる様に遠吠えを上げる。
するとどうだろう。彼の体はハリウッドのCGがごとく、見る見る内に全身がどんな衝撃も緩衝・吸収出来そうなきめ細かい体毛に覆われ、歯と顎は発達し醜悪さを醸し出し、爪は例え鉄鋼だろうと引き裂くような形状に伸長する。
まさしくそれは、臨戦態勢をとりつつルーを守護する衛生の様に周回する、最後の一匹となったルーのパートナー、ブリューナクと同様の姿だ。

また、身体能力も狼のそれであり、その機敏な動作を以て、掠め取るように頼光から得物を奪うと、その万力の様なパワーを有する顎で刀をを咥え、噛み砕いた。
乾いた廃墟に、その刀の破片同士が擦れる不快な金属音だけが響く―――


「まさかこれを使う事になるとはな」

瞬時に使い物にならなくなった自らの刀には目もくれず、帯刀していたもう一振りを取り出し構える頼光。

―――童子切安綱。天下五振りの一つであり、頼光がかつて酒呑童子を退治し、その名を冠する様になった刀である。
本来の大原安綱と呼ばれた刀では無く、鬼の血を吸った、完全なる妖魔狩り。
それが人馬一体・・・・いや、まさしく頼光の身体の一部となり、周囲全てを威嚇するかのように掲げられる。

―――そう、まるで刀自身が、この侍以外の使い手など要らないと主張しているかの様に、禍々しく頼光に呼応する。



―――妖魔狩りの日本最強の英雄、源頼光。その名を謀り謳っているのか。
そうでなければ、元来、故人であり物語の中でしか現存しえない宇内な英傑が、此処にいる理由が付かない。

しかし、嘯き騙っているのだと仮定した場合、あの刀の吼えるような禍々しさに説明が付かない。贋作だとするならば、一体どれほどの名匠の仕事なのだろうか?
どちらも虚であり、どちらが真だとしてもおかしくないのではあるが、どちらにせよこの頼光と名乗る侍の実力が並大抵では無いことには変わらないのだ



「やってみろ!俺を殺したかったら銀の弾丸でも持ってくるんだな!ははは!」




ルーは蛮勇であるのか、それとも頭に血が昇っているだけなのか、そんな、威圧感だけで失禁してもおかしくない、灼けるような痺れるような空気が展開されているにも関わらず構わず前進、頼光へと強襲をかける。
一方、野生の本能で感じ取っているのか、ブリューナクは怯えを隠しきれない。
しかし、群れのリーダーとも言うべきルーに従順である彼は、迷いを一喝して振り切ると、即座にルーとは点対称に位置取りをすると一気に駆け、その間合いを詰める。
先ほどまで足が竦み上がり、今にも逃げ出しそうな様子を見せていたとは思えない機敏かつ迅速な臨機応変な対応である

ケルト神話の中で、ルーが使用していた伝家の宝刀。
彼が保持していたと言われる数あるマジックアイテムの中でも、特別重要な意味を持つ、真の切り札。
バロールを討ち滅ぼしたと言われる“ブリューナク”の名を彼に与えたのは、何のことはない。彼が群れの中でもっとも優秀であったからだ。



―――そう。実力。胆力。それら、全てに於いて。




まさしく“ブリューナク”とはルーの最後の砦となる名であり、そして絶対的信頼の象徴なのだ。そんな相棒と共にあるルーに不安などは絶無。
渦巻く瘴気を吹き散らすように吼えるルーは、その勢いを緩めずに邁進を続ける


ルーを動とするならば、頼光は静。空を切っているのではなく、音自体を斬るかのような無音。それ故の“静”
その、斬像の結界がルーとブリューナクの侵攻を阻むが、ルーにとってはそれすらも児戯に等しい。


どのような疾風のごとき妙技を披露しようと結局のところ”頼光の刀が一振りしか存在しない”という事実には変わりないのだ。

そう考えると実に単純明快な話である。

要は、その一本の太刀に触れさえしなければ事は済むのである。そして刀とはその切れ味とは裏腹に攻撃の有効部位が小さい。

極端に突き詰めてしまえば、刃渡りにさえ当たらなければ良い。加えて現在のルーは大量の体毛に覆われているのだ。
剛毛が刀に絡みつくという事は、切れ味が大幅に落ちる事と同義だ。
ルーの俊敏さを持ってしても捌き切れず、万が一、刃渡りに接触してしまう状況になってしまっても、思い切って前進し、懐にさえ入ってしまえば物理の定義上、威力は死に、多少の怪我は覚悟せねばならないが致命傷とは至らない。

実質的に避けなければならないのは、”反る”という偉功を為す事により切れ味を何倍にも高めている切っ先だけとも言えるのだ



狼の動体視力、俊足、そして人間の叡智を併せ持つルーをたかだか一本の鉄の加工品で食い止められるハズは無く―――


ルーは喉元へと噛み付いた確かな手応えを感じた。


「ふむ。大した胆力。見上げた蛮勇さだ。まさかこれ程とは・・・些か驚いたな。
これでは綱が破れるのも無理は無い。貴公に天譴を下すには少々修行不足だったといえよう。見事な手際だ。いや、正直恐れ入ったよ」


背後から聞こえくるのは、すかしたような覇気の無い”あの”声。
鼻に抜けるような声が賞賛の言を称している。それが余計にイラつく。


―――おかしい。喉を食い破られた人間が声など発せられるはずが無い。
いや、それはどんな生き物だろうと平等な事実であろう。



―――声の主は背後から・・・?



嫌な予感がルーの脳内を駆け巡る。
恐る恐る目を咥えた獲物へと向けると、そこには確かに頚動脈を引き千切り息の根を止めた獲物の姿があった。


―――そう、彼にとって最高の相棒であったブリューナクの姿だ。



咄嗟に口内から解いてみても、一撃で絶命しているブリューナクにとっては何の気休めにもならない。これ以上無いほど見事なまでに止めを刺されている。



―――他でもない、ルー自身によって。


そもそも前提が間違っているのだ。
守りの剣技と呼ばれる二刀流と違い、一刀流とは攻めに特化している流派がほとんどである。
まして、彼が本当にあの”源頼光”ならば、余計にその性質は強い。
妖怪を相手取るのに守りの剣を労したところで、彼らの圧倒的”種族”という壁の前には”時間”という名の隙を作るだけに過ぎないのだ。

もっとも、剣の流派やその事実をルーが知る由も無いが。



頼光が繰り出した剣の舞は相手を警戒させる為モノでも、迎撃するための攻撃でも無く、単なる目眩し。ギャラリーフェイクに他ならない。


即ち、頼光を中心とし、対称に展開していたルーとブリューナクを剣に意識を集中させることによって、彼らは狙うべき箇所である首筋と自らの命を刈り取る剣檄にしか注意が行かなくなる。
当然、互いに狙うは頼光の喉笛。
連携の取れた彼らならではの寸分違わぬ飛びかかりによる急襲をかわせば、いとも簡単に同士討ちの完了だ。
元より史実上でも騙まし討ちは頼光の本分である


「てめぇだけは・・・てめぇだけは簡単には殺さないからな・・・!
四肢を食い千切り、耳を引き千切り、眼球を刳り貫き、舌を引っこ抜いて、鼻を縫いつけ徹底的に拷問した後、ずっとそのままで死なない程度に生かし続けてやるよっ!」



激昂したルーは胴に巻きつけていたポーチから何かを取り出すと口へと放り込んだ。

―――仄かに桃味かかった生肉である。

保存用に加工していなかったのか、噎せ返るような腐臭を漂わせているソレを躊躇う様子も無く咀嚼するルー。

その姿はまさに、屍肉を貪るハイエナそのものだった。





====#30はここから



「な・・・!」

流石に冷静という単語を擬人化したような、化け物退治の英雄も、ルーの様子の異様さに瞠目を隠せ得ない。
彼が真に頼光であるのであらば、当然それは初めて見る生物であるが為に、その驚愕は尚更であろう

―ーーマウンテンゴリラ。

その温厚な気質故、獅子のように恐れられることは少ないが、全身が筋肉で出来たまさに個で為しえる要塞といっても過言ではない、山を象徴したが如き猛獣。
その刃を通すことの無いくらいまでに発達した肉の鎧は、鉄鋼で作られた人工物のような野暮ったいモノではなく、俊敏さをも併せ持つ

その抜きん出た力を持つ生き物が、獰猛さを併せ持ったのならば一体どうなるのであろうか?


当初、相対した時は、少年だったそれの姿は、狼に変わり、果ては巨大な山猿へと推移していったのだ。
驚くなと言うほうが無理な話である。


ーーー様々な動物への変質。これがルーが十の戒律の一柱へと至らしめる異能。

彼が「変生のルー」の異名で呼ばれる所以である。
それはまさしく”変化”ではなく”変生”。化けるのではなく、生まれ変わるのだ。

通常、人間を始めとする脊椎動物は成長する際、セントラルドグマと呼ばれる、とある一連の機構を持って自らの遺伝子を伝達していく。

それによって古い細胞が破棄され、新しい細胞へと入れ替わるのだ。

代謝によって、髪が抜け落ち生え変わったり、怪我をして身体の一部分が削れてしまったとしても、ほとんど元と同様の姿に復元されるのはこの一連の遺伝子の流れに拠るものである。

しかしながら、髪の細胞は髪。指の細胞は指。といった具合に、ES細胞やiPS細胞のなどの全能性を持った一部の例外を除き、通常は細胞が自分の役割以外のモノになる事は無い。

その一方でレトロウイルスという生物達は、逆転写という、人間などとは真逆の遺伝子伝達を行う。
それによって全細胞がどの機能をも持ち得るのだ。

そのメカニズムを人間に例えるとこうだ。


とある人間が事故によって右腕を失ったとする。
レトロウイルスと同じ逆転写が出来る人間が存在するならば、その失った右腕はもちろん。望むのであれば、その部位に右脚だろうと、左腕だろうと、果ては胴体であろうと再生させることが出来るのだ。

もっとも、胴体が二つあったところで、体に変調をきたしてしまうだけではあるが。


ルーはまさしくこの逆転写を哺乳類の身でありながら行うことができるのだ。
それだけではない。
その逆転写を利用して、摂取して取り込んだ異なる遺伝子をも自分のモノへとすることで、様々な生物へと変質することが可能となる。


無論、この強大な力を扱うには相応のリスクを伴う。
何か他の生物を遺伝子を体内に入れる度に、自らの遺伝情報を書き換え、総取替えするのだ。
それも、ルーの意思とは無関係に行われてしまうために。食事一つにしても制限されてしまう。そのような大規模な変質が体内で行われてタダで済むはずが無い。

度重なる自然の摂理に反する行いは、当然ルー本来の遺伝情報そのものに大きく負担がかかる為に、テロメアは既にボロ雑巾の様に役目を果たせなくなっているのだ。
必然的に、能力を恒常的に使用するルーは、癌の様な染色体異常の病気を患いやすくなる事は勿論、彼の寿命そのものも加速するように短くなっていく。

彼が、どこか刹那的な印象に見えるのはそのためであろう。
自らの生が短いという因果を薄々感じているのかも知れない。



「くっ・・・正攻法では分が悪い・・・か・・」



頼光はルーの殴打を童子切安綱で受け流そうとしたが、それを取り止め、身を翻して避ける。
隕石の落下といっても過言では無い、純粋な力のみのラッシュ。
例え、伝説を持つ名刀と言えど、それを真正面からマトモに受けては粉微塵となってしまう。
加えて堅牢なその拳だ。
刃で迎撃しようとしても欠けてしまうのは必至であろう。今のルーは岩石の塊そのものだ。

切れ味を失った刀など、無用の長物に他ならない。
確実にこの猛き質量の動きを止めるには、攻撃が有効となる部位を見極めて打ち込まなくてはならない。無論、刃が欠けない箇所という限定条件も加味しなければ、例えダメージを負わせたとしても次へと繋げることが出来ない。


攻守敏。全てに於いて優れた生物による怒涛の攻めに為す術は無く。徐々に体力を削られていく頼光。


ーーーそう。このルーだった化け物は、持続力の絶対量すらも他の生物を凌駕しているのだ。

知識という禁断の実を得る代償として、ヒトが失った身体能力。純然たる種族と言う、覆すことが出来ない圧倒的な差。

袋小路な状況であると悟った頼光は、薄く笑うと退路を見定める。

ーーー即ち撤退だ。


本当に優れた武芸者とは、自らの引き際を弁え見極めることが出来る人物を指す。
それに秀でているという事は、戦場での生存率が高いと同義。再び体勢を立て直し、一策を講じることも出来る。まさしく命あっての物種と言えよう。



「逃がすかよぉっ!」



宙空全体を痺れさせ、地震が来たと錯覚させるほどの怒号の咆哮。
肌に伝わるピリピリとした感覚は、場慣れしていない者の腰を例外なく抜かすであろう。そんな吶喊だ。

ルーは、どこから嗅ぎつけてきたのか、仲間の狼達や頼光のお供達の遺骸に群がっていた無数のカラスを無造作に鷲掴みにすると、そのまま口へと放り込み、バリバリと豪快に、骨であろうと何であろうと砕き磨り潰して嚥下する。

野生動物の直感故か、この生物には適わないと悟ったカラスは蜘蛛の子を散らす様に一目散に餌場を離れ、去っていく。辺りには、先ほどまでの地鳴りとはうってかわって、咀嚼音だけが響く静寂が広がる。

ルーの異様に盛り上がった筋肉はみるみる萎んでいき、先ほどまでのゴリラとは対照的に無駄な肉を一切合財省いた流線型のシャープなフォルムを象る。
両腕の骨は枯れ木を砕くような音を立て砕かれると共に、規則的に並び始めると、空気を多く含む構造をとる体毛へと生え変わる。


そう、先ほど取り込んだ生物ーーーカラスの姿そのものである。


上空からの追跡という圧倒的なアドバンテージを得たルーは、そのまま急浮上をすると周回し、頼光の姿を捕捉する。
頼光は、入り組んだ廃工場を利用し、内と外、時には屋根、果ては背後を崩し、進路をも経ってルーを撒こうとしているのが、それも詮無きこと。

まさか、彼も自らの遥か上空から追跡されているとは夢にも思わないだろう。



そうこうする内に、廃工場跡地の中での僻地。即ち此処、瓦礫のコンビナートの突端となる場所にある建屋へと辿り着く。
元々、工業地帯であったこの廃墟は、ここを過ぎると、周りには田園が延々と広がっている。
そこを突っ切るとなると、獣の足を持つルーのこと。すぐに追いつかれてしまうのは火を見るよりも明らかだ。
一旦、工場内でやり過ごしてから、遁走する気なのだろう。最も堅実かつ現実的な判断だ。


それを確認したルーはニタリ、と、鳥の姿であるにも関わらず、まさに蛇の様にイヤラシく口元を歪めた。
そう、これはルーの想定どおりの展開なのだ。


ルーは激昂さえしているが思考は至って冷静。
早急な捕縛はせず、じっくりと相手の逃げ場が無くなる状況まで追い詰める。直ぐに急襲し、ズタズタに解体するのを我慢しながら。
スープを熟成させるように------そう、ゆっくりと。

内に激情を秘めながらもその冷淡さを保てるのは、まさしく狩りの玄人に他ならない。
獲物を的確且つ確実に仕留めるノウハウを身に付けている。

もっとも、苛烈なサディストであるルーにとっては、田園を一定の距離を保ちながら追随し、逃げても逃げても走っても走っても後ろから追走される恐怖を与え続け、疲れ果てさせてから、じわじわといたぶるのも、それはそれで楽しいのだが。


頼光が進入するのを確認したルーは、狭いところでの戦闘に備えもっとも機動力と隠密性、俊敏さに長ける狼の姿へと戻ると、彼が入っていった、おそらく倉庫だったと思われる建物へと潜入する。
元々、丈夫な作りなのか、外壁が崩れているという事は無く、掃除をすればまだ使用可能な倉庫である。それは、例えるのであれば紺碧の巨人の様で、まだまだ元気だとアピールしているように見えなくもない。


「こちらルー。今から奴らを殲滅します。・・・ごほっ!ごほごほ!」


早速、暗闇の中に人影を発見したルーは、定時連絡も兼ねて現状を報告する。
影の主は、おそらくルーに気付いてすらいないだろう。
狼特有の聴力、夜目であるからこその芸当だ。


「体調不良?作戦に支障は?」


電話越しに返ってくるのは無機質な声。
言葉とはうらはらに何の感情もこもっていない様な抑揚の無い声。
50音を一つづつ吹き込み、繋ぎ合わせている旧型の合成音声の様な声。
ただ、空気が漏れている音や、風の音が、言葉に聞こえただけと言っても過言では無いほどに、人間味の無い音。
会話が成立せずに、同じことを繰り返すのであれば、人工の音声サービスそのものだ。


「いや、なんでもねぇ。ちっとホコリっぽくて、ついむせっただけだ。廃墟だから、まぁ、当然っちゃあ当然だ」


「そう」


瑣末な問題として切り捨てたのか、はたまたどんな返答がこようとも元々興味が無かったのか、変わらず素っ気無い返答をする電話越しの声。





「枯れ木に花を咲かせましょう!」



突如、背後からしわがれた、それであるにも関わらず耳を劈くような大声が木霊する。
音が乱反響する場内で背後だと解ったのはルーが狼の優れた空間認知力を有していたからであろう。

即座に振り返ると、見覚えのある顔があるーーーとは言っても老人のしわくちゃな頬、振り乱れた髪、地面を引き摺るまでに伸び放題となった髭などで、覆い隠され顔までは識別できない。
それらのパーツを記号として認識するといった意味合いで見覚えがある。といった具合である。

そう、頼光の傍らに佇んでいた老人だ。
目下の脅威である頼光にかまかけ過ぎてルーは、この敵一派の一人をすっかり失念していたのだ。



「てめ・・・!視界が・・!くそ・・!げほ!げほ!」



ルーが睨み付けているのを知ってか知らずか、我関せずと、倉庫の中で当たり構わず灰をばら撒く老人の姿。
灰は既に工場内に満たされている。無論、ルーの肺の中すらも。



「ルー・・・!離脱!至急!」



いつも無味乾燥な反応しか示さない電話の相手が鬼気迫るように語気を強める。
それを耳にしたルーは、未だ遭遇したことが無いほどの緊急事態が発生していることを察し、即座にそれに従い出口へと向おうと首を旋回する。
何より、多量の粉塵を吸い込み咳き込んでいるため、息をするのもままならないこの状況だ。
一刻も早くこの状態から脱出したいというのが本音である。



脳に酸素が行かないという事は、栄養源そのものを断つということだ。その活動を鈍らせるのと同義である。
よって思考が短絡化するのは有酸素の生物である限り、避けては通れない宿命だ。

ルーも無論、例外では無く、慌てふためき出口へと駆ける・・・・はずだった。

しかし、足に何かが絡みついて動けない。薄れかけた意識の中、足元を見ると何やら黒々とした、それでいて赤みを帯びた何かが蠢いてしきりにルーの脚を包み込む。
強い悪臭を放つそれはヘドロに見えた。


ルーはそれの正体に気付いたときに、つくづく思った。





ーーー嗚呼、これがヘドロであったのであれば、どれだけ救われただろう、と






ぶしゅぶしゅと膿んだ傷口から体液を撒き散らす肉の塊がルーの足をしっかりと掴んでいたのだ。

しかも来ている服に見覚えがある。


ーーーそう、ルーが圧殺し唾を吐きかけた女の服。


さながら、B級ホラー映画を見ているような光景である。


「な、なんで生きてるのさっ!てめーは確か脳髄食み出させながらおっちんだ筈だろう!」

意識が朦朧とする中、遭遇した怪異は、薄ぼんやりとしていて、まるで悪い夢をみているようだ。
しかし、これは紛れも無い現実である。

「八百比丘尼・・って知ってるかしら?私はね、不死身なの。死にたくても死ねないのよ。
例え、この倉庫ごと粉微塵に吹き飛んでもね。貴方はね。追い詰めていた様で、実は追い詰められていたってことね。」



八百比丘尼と名乗る肉塊は、くすくすと哂っているつもりなのであろうが、顎が潰れているために、ただ口からは唾液と脳髄が混じったような濃緑色の液体が零れるだけだ。


「やめろっ!放せっ!このプラナリア女がぁ!!俺はまだ・・!うわぁああ!死にたくない死にたくない死にたくな・・・」


既にパニック障害に陥っているルーを尻目に、八百比丘尼は懐から100円ライターを取り出すと、それを何の躊躇いも無く着火した。
すると同時に、辺りはけたたましい文字通りの爆音に包まれ、ルーという少年の桜色の肉のと血の真っ赤な花が爆ぜ、咲き乱れる。


百花繚乱とは、まさにこの事だろう。

まさに敵味方おかまいなしの暴行。乱れ桜の狂い咲き。

廃墟という名の枯れた遺物に、少年の命の花が、咲き乱れた。




●◎●


激しい爆発音と共に通信が途絶えた。
つー、つ、と言う連続する電子音だけが狭い部屋中に響く。

「・・・粉塵爆発。・・・・やられた」



ーーー粉塵爆発。

非常に細かい粒子は、体積に対する表面積の占める割合が大きい。
それが、空気中に飛散すると十分な酸素を伴い存在することとなり、燃焼反応に敏感な状態になってしまう状況に置かれる。
特に粒子の空気中における密度が大きくなる密室状態では、少しの火種が次々と粒子に引火し大爆発を引き起こすのだ。

耳を劈く様な爆音に呆然とした様な表情をしたのもつかの間、ルーの最期の声を聞き届ける事となった無機質な声の主は、何の感慨も無いような事務的な指使いで、携帯電話のリダイヤルを押す。

「報告。読みが甘かった。・・・ルーの死亡を確認。『デウス・エクス・マキナ』出動。様子見は終わり。月読命の確保。早急且つ迅速に。最優先事項。戦力が一刻も早く必要。以上」

何度かのコール音の後、電話の相手、デウス・エクス・マキナと呼ばれた青年の返答を聞くまでも無く命令だけ告げると、まるで何事も無かったかの様に、眼前にあったパソコンに向かいタイプを始める。
能面の様な無表情さと相俟って機械で出来たアンドロイドのような印象を受ける。


「アエロー。他のメンバーを一箇所へと合流。これが地図。余力があれば敵勢力を探る。至急」


レーザープリンターで即座に印刷された地図を、アエローと呼ばれた背後に佇む女性に振り返りもせず、渡すと再び脇目もふらずタイピングを続ける。



「マスター。ルーは・・・性格に難はありマスが・・私たちの仲間デシタ・・・。
彼をせめてきちんと埋葬してあげるべきないでショウカ・・・。力を合わせて悪を討つ。
それが私たちの正義なのだと・・。私はそう思っていマス。違いマスか?」



ウェーブがかったブロンドの髪をしたスリーピーススーツ姿の女性。一見すると商社のOLそのものだ。

国の言葉に慣れていないのか、片言口調で、一心不乱に依然としてパソコンへ向う無機質な声の主に、問いかけるアエロー。
マスターと呼ぶからには、この人物こそが十の戒律の首魁となる人物なのだろう。


「正義?アエロー。貴方といい、シヴァといい、大きな勘違い。全体の為の奉仕者。それが我々。
全を守るためであるならば多少の個が犠牲になることは厭わない。それにルー。彼も覚悟の上。仕方が無い。

貴方の好きなアメリカンヒーローもそう。ただ悪と決め付けた存在を理由も聞かず。ただ叩く。一辺倒の見方。そして味方。違う?
それよりも、新しい選定者を探すほうが優先事項。ルーの死を以って空位が出来た。
どこかで誰かが異能に目覚めている公算が大きい。
シヴァに続く欠番。ルー。戦闘能力のみに於いてはマキナに並ぶ。切り札の一つだった存在。戦力不足が著しい。」



アエローへと顔を向けることなくモニターに向いながら、現状を語る。
その声に殉死者である、仲間であったルーに対する懇篤さなど微塵も感じられない。



「・・・マスター。ルーはまだ思考が幼い・・というより未熟な面が見受けられマシタ。
覚悟・・というよりは、自分の行動を理解をしていなかったのではないデショウか・・・私には彼の最期の”死にたくない”という声が・・それで・・・」



「・・・好きにすると良い。ただ、危険を伴う場合。放置で構わない」



アエローはきっとどういった命令を下しても、ルーの回収に向うだろう。
話はいつまで経っても平行線としか成り得ない。
一刻の予断すらも許されず、一時の時間すら惜しい現状。これ以上話をこじらせても結局の所ルーの下へアエローが行くのは目に見えた結果だ。

ならば、無駄な時間は省くのが得策。

それに、恐らく敵勢があそこに訪れることも無いだろう。むしろ心配なのは、ルーの遺体を回収している際に消費する時間だ。
そう判断した十戒の首魁と思しき人物は、アエローの独断を条件付きで了承した。


「・・・イエス。了解しました。」


アエローは首肯すると同時に、待ってましたと言わんばかりに夜の闇へと駆け出して行った。




アエローが出て行ったのを確認した無機質な声の主は


「ルー・・・大任。ご苦労様。以後。貴公。永久に待機命令とする。・・・以上」


相変わらずの感情の籠もっていない虚ろな声で、虚空を眺めながら、静かにそう、呟いた





さらに続く


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