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もうずいぶん下火になって、 少なくとも教育現場からは追放されましたが、 3~4年前まで、「水からの伝言」を題材にした道徳授業が展開されていました。
とんでも科学として有名になっちゃったので、ご存じの方も多いと思いますが、 「水からの伝言」(江本勝著,)という本は、 水をいれた瓶に「ばかやろう」、「ありがとう」と書いたラベルを貼って、 その水を凍らせて結晶を作ると、 「ありがとう」と書いた瓶の水の結晶は方はきれいな結晶になるが、 「ばかやろう」と書いた瓶の水の方はきれいな結晶にならないと、 結晶写真を使って説明しているものです。
まさか、現代の学校で、しかも公立学校で こんなことを題材に使われることは無いと思っていたのですが 実は、私も授業に出会ってしまったのです。 外部講師だったのですが、 「え~~! こんなこと、学校で言うんかいな?!」 と驚いちゃいました。 親しい方なので、あとで忠告しておこうと思います。
それよりも、もっと驚いたことには、数年前までは 全国の教員による授業研究サイトで、 あれを使った道徳授業の例が誇らしげに 雨後のタケノコのようにネットに紹介されていたことです。
その後、さすがに学会からの十字砲火で、 今は、ネットからも姿を消していきますが、 私は、いまだに学校の持つ、潜在的な恐ろしさに身が震えました。
で、何が恐ろしいか、というと、 あれは、科学的だったかどうか、事実だったかどうかという問題とは別に、 百歩譲って、もし、あれが本当だったとしてもです。 (あれは、明らかに科学実験のプロセスを踏んでいない!)
ホントの問題は、 結晶の形を映し出して、どの形が良くて、どの形がダメと決めつける その姿勢にこそあるのです。
六角形の結晶は美しくて、崩れているのは美しくない、という前提で 授業は成り立っていました。 さらに、「ありがとう」は良くって、「ばかやろう」は、ダメだって。
これは、美意識の問題ですよね。 セザンヌの絵は良くて、ピカソの絵は、不道徳だというのと 根本的に同じです。
そして、そういう疑問を封じ込める空気に満ち溢れた授業が展開されます。 善悪に疑問の声が上がっては、困るのです。 授業が成り立たないのです。
そして、さらに問題なのが、 この授業の「感染」ルートです。 授業研究に熱心な先生方に伝染しているんですね。 研究熱心なことは、敬意を表します。 しかし、だったら、まず授業内容をよく吟味してから 実践してみて欲しかった。 自分で試したり、自分のアタマで考えて欲しいものです。
あの伝染は、いかに現場の先生方が、自分の授業研究にかける時間が足りないか また、教材が不足しているか、を表していると思います。 もちろん、教員の科学的な思考力、つまり疑問力の乏しさも浮き彫りにしてしまいました。
さらに、道徳というものについての、理解が浅いものか、ということも。
この延長に、「あいさつ運動」や「ありがとう運動」があることは 容易に想像できると思います。 「え?何が問題なの?」と思う方も多いと思います。 個人的な信念として持たれるのは、全然構いません。 しかし、それを学校を挙げての、いや県民運動として 無条件に「ありがとう」はいいことだ。 大きな声であいさつすることはいいことだ、と肯定して それを反論を許さない「前提」にしてしまう姿勢。 これは、科学的な姿勢とは、真っ向から反するものだと思います。
「ばかやろう」「ばかやろう」と叫びながら大きくなったっていいじゃないですか? しばらく誰ともあいさつせずに、引きこもったって、いいじゃないですか? みんな良い子の世界、考えただけでゾッとしませんか?
でもね、考えてみると、学校という存在自体が、 価値観を押し付けるためにあるんですよね。 そういう目で見れば、水からの伝言の授業は、全く正しいと言えるのでしょう。 先生方は、学校の目的に沿ったことをなされたわけです。
その学校から身を守る、少なくとも、我が子を守るのは 保護者ひとりひとりの判断と勇気しかないのが現状です。
今も、私の家庭教師の小学生が、学校の一面的な判断から 特別支援教室に入れられそうなので、 救出に乗り出そうと作戦を立てているところです。
>さらに、道徳というものについての、理解が浅いものか、ということも。
道徳って、目茶苦茶に難しいのですが、われわれはそれに眼をそむけて、「なんとなく」道徳を振りかざして、結局は道徳にそむく行為をしてます。 >ホントの問題は、 >結晶の形を映し出して、どの形が良くて、どの形がダメと決めつける >その姿勢にこそあるのです。 >六角形の結晶は美しくて、崩れているのは美しくない、という前提で授業は成り立っていました。 >さらに、「ありがとう」は良くって、「ばかやろう」は、ダメだって。 >これは、美意識の問題ですよね。 >セザンヌの絵は良くて、ピカソの絵は、不道徳だというのと >根本的に同じです。 球は完全に重力に屈した形。と聞いたことがあります。 対象系の形がすきなのは、権力者とも。 教師が教育者よりも「権力者」と名前を変えたほうがいい人も多いように思います。 教育と「権力への屈従を調教する」を勘違いしているのが、日本の教育の病原に思います。 再見! (2010.07.17 15:27:00)
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