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週刊誌を見ると、放射能について、楽観論と悲観論がくっきりと色分けされています。 これは、放射線と健康については、本当のところがわからないところが多く、 いろんな学説があることにもよると思います。
だから、基礎データが違っていることよりも、 論拠としているデータ自体は、同じなのに、 その解釈が違っていることが大きいのです。
100人に一人が死ぬと言われても、「こりゃたいへんだ」、と思う人と 「1パーセントの増加なんかは、誤差の範囲だ」と思う人もいます。 私は、専門家でも何でもないので 「わからない時こそ、国際基準をガンコに守るべきだ」 と考えます。そして、 「罪の無い子が、100人に一人でも、発病するのは、とんでもないことだ」と、 恐怖と怒りを感じます。
しかし、中には、そういうストレスの方がもっと体に悪い。 気楽に明るく暮らしているのがいいのだ、と論理的に説得する学者もいます。 さらに、中には、「放射線は体に良いのだ」、という学者もいるのです。 NASA(航空宇宙局)より、宇宙飛行士への放射線の影響についての調査依頼を受けたラッキー博士は10年以上の歳月をかけて研究を続け、高レベルの放射線は生体に有害であるが、低レベルの放射線は有益であるという「放射線ホルミシス」現象を発見した。 ラッキー博士によると、「最も理想的な環境は自然放射線の100倍」の約100ミリシーベルト/年、時間当たりの線量率に換算すると、274マイクロシーベルト/日、1時間当たりでは11.4マイクロシーベルトの線量を四六時中受けるのが理想だという。 この学説の正当性は私には判断できませんが、 疑問に感じるのは、なぜこのような学説の存在を、 メディアは触れようとしないのかということです。 私は、こういう学説もどんどん広報されるべきだと思います。
ただ、日本人は、いろんな正解に慣れていません。 意見対立の状況に慣れていないのです。 ある作家は、日本人は「いわし民族」だと言いました。 大勢が群れをなし、同じ方向を向いて泳いでいるが、 何かの衝撃で一瞬にして大群が180度方向を変える。 過去、日本は「いわし民族」的行動で、 繁栄もすれば滅亡の危機に瀕したこともありました。
今回の病根は、個人が判断し、個人のリスクで行動する成熟が 日本にまだ、育っていないことだと思うのです。 たしかに、メディアの責任は重いのですが、そこに私たちの生存を委ねてしまうのは、 あまりにも情けないのではないか、と思います。 家族で判断に分かれ、けんかになるのも、それはそれでいいんじゃないか、と思います。 この事態を科学教育の絶好の教材と考えてしまう、不謹慎な科学寅でした。
それだけじゃありません。 今後、本格的な復興に入れば、被災地は、援助に頼らない 自分で判断していく力が、一番求められます。 脳梗塞からのリハビリと同じで、 早い段階から、自主的に体を動かすことが大切なのです。 病人扱いは短いに越したことはないのです。 つまり、自分で道を切り開いていく決断力です。
その決断というのは、すべてのデータが揃って、 正解が示されてから行動するというものじゃ、全然無いはずです。 人が反対するのを押し切って進む、一見非合理的な判断も大切です。
その意味で、この放射能への対応も、どういう対応をするにしても ある程度の論理をもった度胸が、ぜひ必要なのだと思います。 <孫正義>原発問題について熱く語る 私は、孫さんを見直しました。 携帯を変えようと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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