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テーマ:政治について(19802)
カテゴリ:原発のこと
質問(女性アナウンサー) 原発の取材を始められたのは、どのようなきっかけだったんでしょうか? 樋口さん 四日市は、産業公害でしたけど、石油産業のひきおこした事件だった。 石油から原子力に移行してきたことで、必然的にテーマは原発へ移った‥ 質問(男性アナウンサー) その頃の、原子力発電というのは、どういう風に言われていたんですか? 樋口さん 最初は、次代をになう『第三の火』だとか‥、日本には資源がないですから、受け入れる体制がみんなにあったんではないか? 美辞麗句の陰には何かあるぞ、という感じがあったんですか? はい、四日市公害でね、たくさんの人たちが亡くなったり、公害認定患者になった裏にはね、100万ドルの夜景という美辞麗句があった。 次代を担うだとか、安全だ、クリーンだ、平和利用だとか、これらの言葉がいやらしく僕にはうつりましたね。 だから、この裏には何かがあるんだろうという懐疑が、ものすごく大きくなってきました。 ひと口に原発を取材すると言っても、これから原発をつくる現場もあるだろうし、すでに稼動している現場、そこで働く人たち‥と、いろいろなテーマがあるじゃないですか。 樋口さんの場合は、どこから取材を始められたんですか? 最初はね、何もわかりませんでしたから、いちばん激しく、反対運動などをしているところを取材すれば、本質が見えてくるだろうということで、1973年の初冬から始めた。 これが、柏崎刈羽原発の現地。 そして、翌年には、もう日本で初めての裁判が起きましたね。 ここで、いよいよ原発の本質がこの辺にあるのではないかと、人間が放射線にやられるなんて、誰も想像しませんでしたから。 そのようにして、深みにはまっていきました。 原発の現場を取材しながら、今ここで、いちばん訴えたいと思われることは、どんなことでしょうか? 38年間、原発の被ばく労働者のみに焦点をあてました、私はね。 人間が犠牲になって、日本の豊かさがあるとしたら、やはり、どこかおかしいのではないかという思いがありましたからね。 たくさんの人たち、実際には、150人からの人たちを、写真と文章で取材しました。 片っ端から、定期検査中には、労働者から話を聞きました。 定期検査を終えて原発から出てくる人たち、1000人から取材をしました。 しかし、現実にね、本にするとき、連絡をとるとね、やっぱり20数人でしたね、OKというのは。 なぜかと言うと、親が行ってるとか、兄弟が行ってるとか、親戚が行ってるとかね、つまり、日本の地縁、血縁ですよ。 これが今でも、日本は、悲しいながらあるんですよ。 定期検査中に出てきた、その作業員のみなさんにお話を伺ったということですか? 通常に、働いている人たちではなく、定期検査中だということですか? はい、原発というのはね、みなさん、コンピューターで動いてきたという錯覚を、ほとんどの人が持っています。 しかし、現実には、事故とか、故障とか、おきますよね。 さらには、年一回、必ず行われる定期検査、ここでは、最低でも1000人、あるいは、1500人、こういう人たちが1日に入るわけですよね。 一日にですか‥? そうです。 原発の中は、僕に言わせれば、放射能の海です。 場所によりますけどね。ほんとに、そういう意味で被ばく者が、たくさん生み出されていく‥と、こういう仕組みになっていった‥ということなんですよ。 実際に、その写真を撮って、明らかに被ばくの症状だなというのは 目にされているわけですよね。 はい、東電の第一原発で働いていた佐藤しげるさんがね、ほんとうに、こんなこと言ったのは衝撃だったね。 『毎日、宇宙人の格好だ。 それで、暑くてよ~、苦しくてよ~、それこそ、マスクなんかしていられなかった。 で、アラームメーターがびんびん鳴ってもね、これを無視して働いた、一生懸命に‥、そうでなかったら、クビにされているから、鳴ってもかまわず、床にたたきつけて、働いたに~この有様だ』 と言って、ガンで、むなしく亡くなっていきましたよ。 こういう人たちが、たまたま、佐藤さんだけでなくて、日本中にいっぱいいたということですよ。 それが、日本で決められている労働者に与えられた年間被ばく線量の50ミリシーベルトという、途方もない線量です。 この50ミリシーベルトというのは、我慢線量だと、労働者が我慢している線量ですよ。 私が取材して亡くなっていった人たち、病気だと苦しんでる人たち、今もね、この人たちは、50ミリシーベルト、ずっと以下でしたよ。 それでも、放射線の恐ろしさはね、放射線はこれだけだったら安全だ、というのは、決め方が絶対的に理不尽だと思ってます。 ただ、被ばくを受けたといって、これは、放射線だと言っても、裁判なんかでは、これまで、勝訴したという、つまり、因果関係があると証明されたことはあるんですか? ないんです。 二例、とくに注目された被ばく裁判は、ひとつは、日本で初の被ばく裁判の判決が74年にでました。 これは、地裁、高裁、最高裁で、全面棄却。阪大の先生が、ちゃんと診断書をだしてますよね。 それに対しても、この裁判は、すべて潰しました。それから、70ミリシーベルトで、労災を認定を勝ち取った方もね、この人は国が労災の認定をしたからといって、東電を相手に裁判を起こしましたね。 これも、東京地裁によって、かんたんに潰されてしまった。 非常に不条理な、原発においては、おそらく、この二例が、被ばくではいちばん、悲しい事件だったと、受けとめている。 そういう、被ばく実態を、告発してきた、写真集を出して‥そういう樋口さんに対して、世間というか、それはどうだったんですか? まあ、最初のころ、エネルギーを必要とする時代に、僕は反原発、というような形になりましたので、実際には何も反原発ではなかったんですよ。 報道写真家ですから、とにかく、真実を追究する。真実を追究すればするほど、国側から見れば、反社会的でありね、反国家的でありね、あるいは、過激だと、いう風にレッテルを貼られてきました。 しかし、今ね、昨年の3月11日以降は、これが、がらっと変りましたね。 で、多くのマスコミが取りあげてくれました。 海外も含めて。大特集をしてくれました。 そういうおかげで国民の多くの人たちが今、被ばく問題をだいぶ注目をしてきています。 講演もたくさんやっています。 これからも続いていくと、私は思いますけどね。 写真を拝見すると、こういうところに人が入って、人海戦術でメンテナンスを担当しているんだなと改めて、わかりましたね。 そうですね。 やっぱり、中の様子を、初めて、世界で初めてと、みなさんに言われるんですけども、スクープというような形になったけど、本当に、定期検査中というのは 『人海』 ですからね。 これは、僕たちが想像しない人たちが入るわけですから。 黒人まで入っていったということですから驚きましたね。 これは、国会で問題になって、二度と再び、日本に来ることはなかったみたいですけどね。 3・11で、福島第一原発で、事故が起きて、前と比べて、だいぶ今の作業員の環境・作業状況は良くなっているんですかね? 良くなっていないと思いますね。 なぜかと言うと、先ほど言ったように、50ミリシーベルトを超えて、最初、緊急だからと言って、250ミリシーベルトまで上げましたよね。 しかし、これはあまりにも高いからということで、100ミリシーベルトにしました。 でも、100ミリシーベルト浴びたらね、これを1年間浴びつづけていたら、ガンにほとんどなるでしょう。 あるいは、僕は、この被ばく線量は、おそらく、これは浴び続けたら、10年から30年の間に、ほとんど労働者がね、ほんとに気の毒だけども、屍(しかばね)になると、そう思ってますよ、僕は。 放射線の恐ろしさというのは、今度はね、みなさん良く知ってる。そういうところに、今でも働いてる方、いらっしゃいますよね? はい、毎日、約3000人、入ってますからね。 それほど、入ってないと、みなさん、思ってます。 それだけ、突っ込んでいかないと、今の水掛ですよね、冷却するのに大変な作業じゃないですか。 この間、亡くなった方の遺族にお会いしました。やっぱり、溶接工でね、パイプの溶接ですよ。 つまりね、パイプの林なんだよ、原発っていうのはね。これを‥だって、今、簡単に行けるところじゃないでしょ?! 人間が行く場所でもないし、行ける場所でもない。あとは、どうするかと言ったら、人海戦術ですよ。 もう、原発は、一基、だいたい1000人から1500人ですけどね、この現場は、四か所あるから、3000人から入れて、みんな、ひどい被ばくをしていると、僕は思ってますよ。 長年のね、原発の取材を通じてですね、これをいちばん言いたいということは、どんなことですか? はい、日本は、確かに石油産業から原発に移行して、たいへんに 『豊か』 になりました。 しかし、原発でね、豊かになったというのは、50万人という被ばく労働者を犠牲にしてきたことなんですよね。 弱い人たちを犠牲にして、国が栄えるとすればね、これは、どこかが間違っていると思う。 やっぱり、底辺の人たちを大切にする国というのは、やっぱり発展していくと思いますので、まず、今、原発の被ばく労働者に、温かい目を‥とにかく国民が向けていかなければいけないなと、僕はつくづく思っています。 ありがとうございました。
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