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2015年06月19日
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カテゴリ:脱原発をめざして

 長谷川健一さん 『わが飯舘村を語り継ぐ』 

その1
  からの 続きです。




四つ葉佐治 息子さんは牛のコンテストにもずいぶん出して、いっぱい受賞したこともあると。

花長谷川 まあ、酪農界にも人間で言えば美人コンテストみたいなものがあるわけです。
 そこにホルスタイン賞というのが・・・それが大好きで自分で手塩にかけて、
 いい牛をつくって、そして賞に出して、いろいろなチャンピオン賞とかね、
 グランドチャンピオン賞とかそれを取った時の喜び、
 そういうものがすごく励みになったんじゃないか。
 それによって乳価があがるとか、収入がよくなるとかそういうものじゃないんですけども、
 ただ自分にとって励みになる。まあよかったなと、私は思ってます。

四つ葉佐治 仕事に誇りをもってやってらっしゃってたんですね。
 にもかかわらず震災が起こって、原発事故があって、離れなくてはならなくなった。

花長谷川 そうですね。今でも息子が一番印象に残っているのはですね、
 屠畜になるわけですから、順番を決めるわけです。

四つ葉佐治 牛を処分する順番?

花長谷川 はい、今でも飯舘の牛舎に行くと、でかいホワイトボードがあって、
 そこに全部書き込まれているんですけれど、それを見ると
 なんともむなしいと言いますか、せつない思いがします。
 牛の番号がつけてあるわけですよね。その番号が黒く塗りつぶした牛とか、
 あとは黒丸だけのやつとか、あとは赤ペンで塗りつぶしたやつとか、
 赤で丸をした、それによって順番をず~っと決めていった。

四つ葉佐治 どうやって順番を決めていくんですか?

花長谷川 順番を決めるといってもですね、やっぱり家族と同じ牛ですからね、
 まずは、やっぱり年老いた牛、あとはお腹に子供が入っていない牛。
 いい牛だけが残るんですね。ただそうやって決めていったからといって、
 いい牛が生き残れる保障はどこにもなかった。
 ただただ順番を決めていっただけの話。そして、
 息子が最後の牛を送り出す時にいわゆるロープ、それを一人で
 最後だから新しいロープで、これは私もぐーっとくるものがありました。

四つ葉佐治 ほんとだったらその牛はもっともっと働いてくれて、いっぱいお乳を出してくれて・・・

花長谷川 なぜこんなことにっていう思いだった。そして、どんどんどんどん処分をして。
 その処分の方法もみんなで決めて、と言っても決めようがないんです。
 飯舘は牛はだめだよと言われてるわけだから。どうしようもないんです。
 放射能に汚染されている可能性があるということです。
 だから牛は移動してはだめですよ、人間は早く避難をしてください、
 こういうことを言われたの。これは、何 言ってるの?
 そんなことしたら牛は餓死するでしょ。そんなことできないでしょ。

 すぐに我々は集まって話し合ったんだけど、結果は目に見えてますよね。
 それで餓死させるよりは処分した方がいいだろうとそういう結果になった。
 そして、そのあとどんどん順番を決めて、そして処分をしていったんです。

 でもね、途中で私がテレビを見ていた時、20キロ圏内の牛の映像が出た。
 あの悲惨な餓死している映像。そん時、私もあっと。
 いやあこれはだめだなと直感的に思った。
 だめだ、おれ牛は殺さねえぞ。すぐに酪農組合に電話した。
 私は福島県の酪農組合の役員もやってましたので、牛、殺さねえぞ。
 トラック全部ストップさせろ。全部ストップさせた。

 何か方法があるはずだ。殺すだけが能じゃねえだろう。
 そして、いろいろ模索してですね、飯舘村の牛乳のモニタリングをやる、
 放射性物質、どれくらい入ってるか、それをやろうとすぐ始めた。
 するとね、3回やって、3回目はNDだった。

四つ葉佐治 ND?  (※NDとは non detection(不検出)のこと)

花長谷川 放射能は検出限界以下ですよ。よし、これならなんとかいけるだろう。
 県にもどんどん言う。そして、ここ東京にも来たんです。
 議員会館の下のでっかい部屋を借りて、そして、国会議員の先生方にも
 超党派で集まってもらって、そこで みなさんにお願いをした。

 今、牛乳の検査をしている、NDになってるんだよと。
 だから牛を殺すことをやめさせてください、
 なんとか生かしてください、そういうお願いをした。
 まあ、それがよかったんだかわからないんですけどね、

 5月25日、飯舘村の酪農家の、牛移動してもいいですよ。
 飯舘村の酪農家の牛、全部でだいたい300頭くらいいるんですよ。
 その中で約60頭が処分された。最初に処分したのがね。
 あとの240頭は何とか助けた。ただ、ばらばらにするんじゃなくて、
 福島県のあるひとつのエリアに移動する。
 それで、そこに移動させて助けることができた。

四つ葉佐治 でも、すごく精神的に追いつめられた状況になってたと思うんですけれども、
 その中で何を一番心配していましたか?

花長谷川 うーん、一番は自殺。あの処分が始まる前ですね、
 4月の下旬頃、牛はどんどん痩せていきました。
 というのは牛乳は全然売れないわけですから。
 そうすると、我々 お金にもならない。
 満足な餌も牛にあげてやれないわけですよ。
 おいしい、我々の言ういわゆる濃厚飼料というのは高価な餌ですからね。
 ですから、それはもう与えることはできない。
 我々の作った牧草、それは腹いっぱい食べさせることができる。
 でも、それだけでは栄養不足になるわけですから、痩せてあばら骨が浮き出てきます。

 こんなことやってたら自殺者が出るぞ、声を荒げて言ってたんですよ。
 まあ、それでもそんなこともなくていたんですけども、
 飯舘村の牛の処分が終わった1週間くらいの頃、
 隣の相馬市の酪農家、私の友人ですよ、彼が自殺をしてしまった。

 私のところにその一報が入った時に、まさかそんなことないだろうという思いで
 彼の家に車をとばして、そして家に行ってみれば、彼が横たわっている、
 白い布を取れば彼だ。もう言葉が出なかった。なんでこんなこと。
 そして、テレビにも出てましたけどね、原発さえなければという書置きを残して
 彼は逝ってしまったわけです。まさにその通りなんですね。
 地震、津波は我々はそんなでもなかったわけです。非常に残念でむなしいです。

四つ葉佐治 長谷川さんにとってもすごく深くて重いものを・・・

花長谷川 そうですね。今、私は全国をまわらせていただいて、
 こういう語り部的な・・・まあ、私が味わったこと、実際に、私は
 今回の原発事故の当事者としていろいろな部分味わったわけですよ。

 こういうことは二度と繰り返してほしくないという気持ち、
 そしてこの友人の自殺、そういうものがいろいろからみあって、
 これからどういうことをやったらいいのかなとそんな思いをしていた時に、
 まあ、あるジャーナリストの人たちに、長谷川さん、これは
 語り継いでいかなくちゃだめだろということ、いろいろ肩押されてね、
 2011年の7月5日、早稲田大学で第1回 話しました。

四つ葉佐治 長谷川さんは写真やビデオでも被害の状況、いっぱい記録されてますよね。

花長谷川 そうですね。とんでもない私は有事(?)というとらえ方をしていますので、
 とりあえず撮り続けることが大事だろ、写真でも映像でもね。
 それが大事だろうということで撮りまくっています。

四つ葉佐治 どういうのが撮れてるんですか? 今・・・

花長谷川 あの当時はですね、いろいろな避難の実態とかね、
 今は飯舘村の本格的な除染が始まってます。
 どういう除染をやっているのか、そういうものを今はやっています。
 あとはいろいろな会議があります、その会議録として、
 村はどんな対応をしているのか、それに対して住民は、
 村人は手を上げて村に対する質問とか反発とかするわけですよ。
 どういうやりとりをしてきたのか、そういうものを今ずーっとおさめてきています。

四つ葉佐治 たとえば、除染はどういうふうにやってるんですか?

花長谷川 まず、屋根の瓦をペーパータオルで一枚一枚拭いていますね。
 そして、うちの壁もペーパータオルで拭いてます。
 こんなことで放射能、取れんのかな?
 みんなそれぞれにそういう不安があるわけです。

 農地なんかだと表面の5センチの土を剥ぎ取ります。
 剥ぎ取った土は、汚染土としてフレコンバッグに
 詰め込まれて置き場に持って行くわけです。
 ところが、剥ぎ取ったあとに今度は汚染されてない土を5センチ盛るわけです。
 そして、線量は下がりましたよと言うわけです。
 
 ところが、その時に下がったにもかかわらず、
 それから半年もすると、だんだんだんだん上がってくる。
 でも、当初の線量までは上がらない。たとえば、
 除染をする前に2マイクロシーベルトあったとすれば、
 まあ50%1マイクロシーベルトまで下がります。
 ところがその後、だんだんだんだん上がってくる。
 1.5マイクロシーベルトまで上がってくる。
 そういうことがことごとく繰り返されていくんですね。

 今は除染に関しては、環境庁の方でですね、
 いくらまで除染によって線量下げなさいよという基準がないんです。
 これ作れないんですね。それがどんどん今行われています。



長谷川健一さん 『わが飯舘村を語り継ぐ』 

その3
  へ 続きます。








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最終更新日  2015年06月20日 21時52分38秒
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