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【21%OFF!】ブレードランナー 最終版 【WARNER COLLECTION 今だけ \1,500 2009 Autumn】ディ... はちみち☆の日記 [全208件]
今日、宮城県の姉から電話がありました。 甥とその奥さん、子供が無事との連絡でした。 ちょうど甥が姉の家に来ていて、電話を変わってもらいました。 甥の住む東松島市は昨日の夜、ようやく電気が復旧して、 給水車もやっと周り始めたそうです。 幸い、甥の住む地域は津波の被害がありませんでしたが、 同じ町内でも海岸の方は被害が大きかったそうです。 被災地はガソリンも食料も水も足りていません。 車が使えない中、甥がどうやって姉の家までたどり着いたかというと、 朝早くから自転車をこいでやってきたそうです。 ちなみに東松島市の甥の家から姉の家まで27km!!! 本当にすごい! 姉を安心させるために一生懸命走ったんだね・・・。 とにかく無事でよかった。 姉の旦那さんも一時、連絡が取れませんでした。 旦那さんが港で働いているというのを聞いていたので、本当に心配しました。 その後、姉から無事を聞いてほっとしましたが、話を聞くと本当に紙一重のところだったみたいです。 TVで映像を見た方も多いでしょうが、あの燃えさかる石油コンビナートにいたのです。 通勤に使っていた車は水没。旦那さんは自衛隊に助け出されて帰ってきたそうです。 私の親族達は幸い皆無事でしたが、被災地では日が経つにつれ被害者の数が増えています。 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 そして、一日も早く復興する事を願っています。
今回の地震直後から宮城県に住む姉となかなか連絡が取れませんでした。 1時間ほど電話をかけ続け、姉と連絡がとれました。 その時点では、姉と姉の旦那さん、息子二人(私の甥)は無事だ。 と聞いたので、安心していたのですが、 その後、3月14日になって姉の上の息子一家と連絡がとれない事が判明しました。 地震当日、姉の二人の息子はちょうど仕事が休みで、 『母さんの家に行こう。』と二人で姉の家に向っている途中で地震に遭いました。 二人とも無事に姉の家に到着したのですが、 上の息子が 「津波が来る。家が心配だ。」と言って、東松島市の自宅に帰りました。 その後、連絡がとれません。 甥の奥さん、子供も安否不明です。 ネットに甥の情報をあげたり、避難所のリストを探したり、 NHKの安否情報に電話をかけたり、出来うる限りの事はしていますが、 いまだに情報は得られていません。 今はただ、ただ、甥一家の無事を祈るのみです。 ツイッター等で協力して下さっている皆様。 本当にありがとうございます。 皆様のご厚意に深く感謝いたします。
2月28日は、私の仕事の最終日でした。 去年の6月、ハローワークで見つけた職場で、 『CADの仕事が出来る。』 『名古屋の建設コンサルでは大手』 とゆう理由だけで飛びつきました。 が、 雇用期間が2ヶ月間とゆうのにちっとも気づかなかった! 求人票をプリントアウトして、ハローワークの職員さんに持っていって初めて気づいた。(汗) 「とりあえず、2ヶ月でもいいか。社会復帰のリハビリだと思って。」 てな気持ちで面接に行ったらあっさり決まって、 「いつから働けますか?」と聞かれ、 他のコンサルにも応募していた私の方が焦ってしまった。 (まあ、こっちは面接にはたどりつけたけど、ダメだった) 2ヶ月だけ。と思っていたら、 「半年位は延長大丈夫ですよ。」と、言われ、 結局、延長、延長で7ヶ月半お世話になりました。 いや~。色々ありましたな。 でも、そんなに嫌な思いもしなかったし、 うつ病になってから乗れなかった高速バス(市営バス)にも乗れるようになったし。 早起きは辛かったけど、久々に都心で働けて楽しかったなぁ。 自分の弱点が分かったし。 自分の今までの姿が客観的に見られたし。 ↑私と同じ病気の男の子が隣になったの。 彼は、なかなか出社できなくて。出社しても遅刻して早退する日々。 私も前の会社では休みが多かった・・・! あぁ、悪気がなくても、いくら病気でも、仕事に対してこんな姿勢ではいけないなぁ。 仕事は休んじゃいけないよ。・・・当たり前なんだけど。 人のうつ見て我がうつ治せ。って感じです。 とにかく色々な人にお世話になりました。 ありがとうございました。 さて、明日からまた仕事探しの毎日です。 じっくり、焦らず頑張って行きたいです。
お久しぶりです。 本当に本当にお久しぶりの更新です。 「・・・忘れたよ。お前誰だよ。」って方も多いかと思いますが。(汗) この半年、プライベート&仕事共に色々ありましたが、 今日はそれどころではありません。 シングライクトーキングが再始動です!! 今日は試聴会の初日。 場所は名古屋クラブダイアモンドホールです。 とってもとっても素晴らしい一日になりました。 3人をあんなに間近で観るのは初めてでした。 もう、全てが、全てが素晴らしかった!! ミニライブの曲の中に私の泣け歌がありまして・・・。 不覚にもうるうるきてしまいました。 これから試聴会に参加される方、 思いっきり期待していいですよ! シングライクトーキングは決して期待を裏切りません!!
皆さん、ご無沙汰しております。 その後の母の事を書きたいと思います。 母は術後、高熱が続きました。 ですが、5月末には熱も下がり、普通に食事も摂れる様になりました。 リハビリも開始し、歩行器を使って廊下を歩けるまで回復しました。 しかし、あと2,3週間で退院。という6月4日の夜中に突然病院から呼び出しが。 「心筋梗塞の疑いがあります。病院に来てください」 "心筋梗塞"という言葉に、正直、慌てました。 父、ダンナと病院に到着した時、母は意識があって、ポータブルの心拍計がつけられていました。 医師からは、心臓カテーテルを通し、ステントを使用する。と説明がありました。 治療は思ったより早く終わり、母はICUに移されました。 そして、医師から説明がありました。 初見では心筋梗塞だと思われたが、血栓はなく、造影剤を使った映像から判断すると典型的な『たこつぼ型心筋症』だと言われました。 『たこつぼ型心筋症』って皆さん、知ってますか?私はその日、初めて知りました。 2004年の中越沖地震の時、避難生活をする女性に多く見られた心筋症で、 心臓が収縮して血液を送り出す際、左心室の下部が収縮せず、膨らんだままの状態になる。 その形が『たこつぼ』に似ていたため、『たこつぼ型心筋症』と名付けられました。 原因は不明だが、中高年の女性患者が多く、ストレスが原因ではないか。 また、加齢によるエストロゲンの減少も関係しているのではないか。 といわれています。 母の場合、度重なる手術、長期の入院がストレスの原因ではないか。とのことでした。 ストレスが取り除かれれば良くなるとの事で、ほっとしました。 本来なら、CCUに入る所ですが、満床でICUで治療することになりました。 ICUに初めて入りましたが、ドラマなんかよりもずっと雑多な場所で驚きました。 ICUには2日間いました。その後、もとの一般病棟へ。 ただ、心臓の動きが悪く、血液が凝固しやすく、肺や腸に水がたまっているので、 血液が凝固しにくくなる薬と利尿剤を使って治療するとのことでした。 薬も良く効いているので大丈夫。といわれました。 文章が長くなったのでここでいったん切ります。
前回の日記のコメントにレスもせず更新してすんません。 今日、母の手術でした。 今回はガンができていた膀胱の全摘出でした。 …言ってみるものですね。 主治医が変わりました。 今度の先生は、今の病院にきたばかりだそうですが、ベテランの先生です。 術前の説明も高齢の母にも分かりやすい様に簡単な言葉で、詳しく教えてくれました。 手術は5時間半におよびました。 長時間の手術に耐えた母に頭が下がります。 今回の手術により、これから先、母はずっと腰にパウチという尿を溜める袋を着ける事になりました。 母の84歳という年齢を考えると、手術をしない方がいい。との声もありました。 でも、まだまだ母は元気です。このままガンが転移して苦しむより、手術にした方がいいと判断しました。 今、母はベッドの上です。時々、吐き気があり、ちょっと辛そうです。 家族全員、母が早く快復するよう願っています。 そして、私は今夜も眠気との戦いです!
前の日記でも書きましたが、かなり主治医が色々やらかしてくれました。 以下は、これまでの経緯です。長いです。 父と二人で手術について説明を受けた時、主治医に 「病巣の臓器を全摘出するか、内視鏡手術にするか」と、二者択一的な説明をされた。 全摘出となると、24時間ケアが必要になるので家族全員で話し合うと伝え、その夜、忙しい姉、兄に時間を作ってもらい、話し合った。 医療関係の仕事をしている姉に色々聞き、全摘出の方向で話がまとまる。 次の日、主治医にTELして、「全摘出の方向で・・・」と話したら、「いや、あくまで二通りの方法があると説明しただけです。今回は会議の結果、内視鏡手術します。」といわれた。 昨日とはまったくニュアンスが違う!! しかも、インフォームドコンセントが全くなされてない状態。結局、私がネットで色々調べた。 手術後、病巣を全部取りきれなかった。と、言われ、「全摘出がベストだと思います」と主治医に言われる。 でも、母も父も決断するための知識がない。私はネットで調べた付け焼刃。 姉から、病棟の専門のナースに相談するといい。とアドバイスをもらう。 病棟ナースに「説明を聞きたいんですが。」と言ったら、「専用のビデオがあるので、来週それを観て相談しましょう。」と、言われる。 その直後、主治医から「全摘出する覚悟みたいなものはできましたか?」と聞かれる。 まだビデオも観てないのに!何も説明されてないのに!これには本当に腹が立った!! 「情報が全くない状態で覚悟できるかと言われても無理ですよね!?」さすがに口調が厳しくなる。 その後、ビデオを父、母と私で観る。父、母、固まる・・・。 ナースさんに、「三女さん(私)が、今、全部抱えてる様に見えるから、他の家族にも観てもらって、それから決断してもいいですよ。先生がせかす様なら私もガードしますから。」と、言われ、涙が出そうになる・・・。 木曜日、母の病室に行ったら、ちょうど総回診が終わったところで、 「あと、4、5日で退院ですよ。」と言われた。と母から聞く。 無茶苦茶だ!4、5日後って来週の月曜か火曜。転院先を早く探さなきゃ! 気が進まないけど、父のコネで入れそうな病院に連絡を取る。 その週の土曜の夜、やっと家族が集まり、全員でビデオを観る。 臓器摘出後、問題がおきたら、その時フォローできるものがする。という結論になる。 何にしても最終決断は母が下す。もう少し時間をもらって母に考えてもらおう。とゆう事になり、病院を後にする。 父、きょうだいと別れた後、気分転換にコンビニへ。 夜10時すぎ、私の携帯に主治医からTELが入る。 「来週の早いうちに退院してください。本当は今週、退院なのを私が延ばしてましたが、これ以上は無理です。」 「全摘出にするか早く決めてもらわないと、手術がどんどん遅れます。同じ手術をする人が10人位いますから。」 もう、はらわたが煮えくり返った。 今週退院しなければいけないなんて一言も聞いていない。 退院を引き伸ばしてくれたのはありがたいが、土曜の夜中にいきなり「これ以上は無理」と言われてもどうしろとゆうのか。 しかも、次が控えているから早く決断しろ。なんて。 高齢の母にとって、危険な手術なのに考える時間もくれないのか? もう、本当に腹が立ったし、ついていけない。と思った。 問題のほとんどはあらゆる場面でのコミュニケーション能力の低さだと思う。 若いからコミュニケーションをどうとっていいかわからない。というのも分からないでもないが、医師の場合、必要不可欠なスキルなのだから、これではお話にならない。 病院には、はっきり、次の入院時は担当医になって欲しくない。と言ったけど、なかなか難しいらしい。 もうこんな余計な事で悩みたくない! |一覧| |