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小店人気の「愛犬のお誕生日ケーキ」。
本日2台ご注文があり、委託しているケーキ店まで引き取りにいった帰り、、、 カーラジオから、いろんな国へ旅するという人の短編エッセー集が紹介されていました。 その中の一編。 地球の反対側へ行っても、好きな人との電話には 「距離が近く感じる。愛の深さがそうさせるんだナァー」に、パーソナリティもしみじみ。 私にも、生家をでて、寮ぐらし(横浜・大倉山)を始めた、桜の季節のワンシーンは、ずぅーっと脳裏に残っています。 それは、母からの電話。 遠いところに行ってしまった息子を気づかって、いろいろ話してくれる母。 そして「うん、あー。」しか云わない無粋な息子。 とうとう、電話を切ろうとした母に、 「あ、もう少し」。 と、口をついて出た言葉に、自分でもびっくり。 心の電話線は、短く感じるんですね。 この父と母とのDNAに思いをはせたHPのあいさつ文ができました。 ハナバデーのはじまり 小さいときから動物が身の回りにいました。 犬、ねこ、馬、牛、アヒル、豚、にわとり、うさぎ。 入れ替わりたち代わりにいろんな動物に触れる機会があったんです。 でも、心の中では、動物園にいるようなキリンやシマウマやゾウを見てみたいナー、なんて思っていました。 私が生まれる前には、シェパードがいたそうです。姉は「とっても頭のいい犬だったよ」と昔話を織り交ぜて 聞かせてくれました。 この調子だと、前述以外にも我が家の動物リストは増えてるかもしれません。 生家では小さい工場をしていて、同時に父が動物達一切の世話をしていました。 小川に牛を引いて、体を拭いてあげていた一頭が、品評会で賞をいただいたこともありました。 父の自慢でした。 そして、母は土いじりが好きな人で、庭にいろんな花々を咲かせていました。 畑ではみずみずしい野菜をつくってくれて、夏のトマトの味の濃いのを今でも忘れません。 きゅうりはポキッと折ると、野菜といえど生きていた証の生気を放つのでした。 そして、私は。 遅い年で結婚をして、マンションが最初のスィートホームでした。 二人とも会社員の私たちは日曜の昼下がり、買物を楽しむのがささやかな楽しみでした。 本屋さんに、ファストフード店に、花やさん。 観葉植物をお部屋に飾りましょう、と幾鉢かを車に詰め込んで帰るのでした。 さぁ、それからは水遣りを欠かせなくなりました。 植物の育て方本を買ってきたり、昂じて種類別の本も買い込んで・・・。 いつしか、水遣り担当は私の役目になっていました。 そして休日には、ベランダで植え替えや挿し木や。自己編集した音楽テープを3本も聞きながらなにかしら楽しい時間だったことを心も体も感じていました。 ミュージシャンの近田春男さんも自分のマンションのベランダで土いじりに熱中しているそうで、自らベランダー(ベランダでガーデニングする人のこと:もちろん造語)と命名していたのを聞いて、 私も「ベランダー」を自認する一人に成長(?)していました。 それから幾数年。 花を育てるのが好きな、お漬物もとってもおいしく漬ける母が亡くなって初めての法要。 晩婚だったため、ひやかされながらも生活の様子を聞かれたついでに、「男がてらに、花いじりしてます」 と答えましたら、母譲りだね。と、なにげなくと云われました。 そのときから、真夏の暑いときに、水をあふれんばかりに入れた桶やバケツを積んだ手押し車にヨタヨタしながら、植物たちに水遣りをしていた母の姿が走馬灯するのでした。 母のDNA。 それからの私は、男がてらなど恥かしさもなく花たちに向かえるようになった自分を意識していました。 このときには、転勤で千葉県市川市行徳におりました。 東西線は朝晩ともギュウギュウです。 心身の異常も感じるようになりました。 ある日、ガード下の飲み屋で妻と待ち合わせし、 「オレ、辞める」と告げました。 妻は、うなずいてくれました。でもみるみる不安感が目を覆うのを忘れてはいません。 ・・・そして、とうとう、ネクタイをはずしました。 さぁ、新しいステップです。 自由な空気を謳歌しよう・・・など、安閑としていられません。 なにをする?生計はどうする?どうやって男を立てる? いや、大丈夫。心配いらないよ、と。天からの声。 土いじりで母のDNAに目覚めた私に、次に巡ってきたのは父のDNAでした。 「ペットショップ」 この言葉を何百回も頭の中で繰り返しました。 頭の中の土壌にあった父DNAに、母が水遣りをしてくれたように スクスクと「ペットショップ」が育つのです。 母のときのように、馬、牛の世話をたのしんでいる父の姿が走馬灯するのでした。 それからは本腰。 愛玩動物飼養管理士資格を取り、千葉県管理士会にて犬部会・猫部会・小動物部会・ ペットシッター部会で様々な方との知己を得られ、有名な鳴海さん、著名なテリーライアンさんのセミナーも聴講して見識を高め、事業計画書を組み立てるために、国会図書館にしかない書籍を求めて、 小泉フィーバーで沸く自民党ビルを横目に通いました。 そして町田のペットショップに丁稚奉公を許していただき、半年通いました。 首都高を走るお伴は、倉木舞衣。何十回も通ったレインボーブリッジと共にこの時代の思い出です。 あれから、早や3年。 この2005年3月で、三周年を迎えることになりました。 この間、お客様から賀状をいただいたり、ご旅行にいかれたお土産をいただいたりして温かいサポーターに囲まれて成長させていただいたと、心から喜んでおります。 そして今、その土台にたって、セカンドステップを掲げております。 それが「ペットシッターの育成と組織化による、ペット飼養者サポート事業」です。 これはペットの負荷をやわらげ、飼主さんの‘困る’をサポートするシッター&カウンセラーを目指すもので、 コミュニティビジネスとして仙台市産業振興事業団に助成認可事業として物心両面でサポートをしていただいています。5名のコアメンバーにも恵まれ、近い将来NPO化してまいります。 そして、これは、ペットの街角リーダーとしてペットの安寧を考える、ペットショップからの回答です。 最後に、 いい仕事をして、みなさまからのお誉めを、‘心のごちそう’にして、今日もトイレ掃除に向かいます。 ご声援をいただけましたら幸いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年04月22日 19時35分31秒
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