カテゴリ:生活全般お勧め日記
ものすごく久しぶりに更新してみました。
時々プライベートメールをくださる方へと リンクをしてくださっている方への 近状報告をかねて。 前回の日記から順を追っていくと、まず昨年5月に無事、 University of Hawaii, John A. Burns School of Medicineの大学院を卒業しました。 中央が私です。 それから半年ほど何もせずにぼーっとしていました。 なんというか、今思い出しても何をしていたのかわからないほど ぼーっとしていました。 卒業する前の半年は一体どうやってあんなことが自分に出来たのか 今、思い出しても想像できないくらいに忙しくて苦しかったからか、 卒業したあと、脳や体がとても疲れていて 何も考えずにとにかくぼーっとしていたかった。 その間、今まで出来なかった人との付き合いを復活させた。 週末は人の家のパーティに行き、今まで滅多に会えなかった 友達と頻繁に会ったりとか。 アメリカの会社で就職活動をするのは初めての経験だったので その様子を詳しく書いてみます。 大学院時代、こんな所で働けたらといいのになぁ〜と 思っていたところに卒業して数ヶ月経った頃に履歴書を送ってみた。 しかし1ヶ月を過ぎても何の返事もない。 そこはあきらめて別のところへ履歴書を出しはじめていたころ その働きたかった場所から突然連絡があった。 すでに履歴書を出して3ヶ月も経っていた。 ”まだ、興味があれば面接に来てください”と突然の連絡。 緊張して行った面接は2時間もかかった。 2名の面接官から集中して聞かれたことは いろいろなシチュエーションを出してきて私がその問題を どうやって解決するかということ。 例えば、 私の仕事は他の医療技術系のプロフェッショナルとチームで仕事をする んだけれど、もしその人たちとセラピーの方法について 意見が分かれたらどのように対処するかとか。 面接官の手元のリストから沢山の同じような質問をされた。 最後に大学院時代の私の論文、リサーチの内容について質問された。 もっとちゃんと答えられるように練習しておくんだったと後悔。 しかし、2時間もいたということは手応えありじゃないの!?とその時は思った。 その翌日に面接をしてくれた方からメールがあり、リファレンスにインタビューしてから 採用を決めるとのこと。 リフェレンスにインタビューというのは、 過去の私の仕事ぶりを知っている人を3名あげて その方達に会社が直接電話をして、私の仕事ぶりや人間性について質問するというもの。 3名の1人は大学院のクリニカル・スーパーバイザー、残りの二人は インターンでお世話になったスーパーバイザーにお願いした。 ネットで調べてみると面接の後はたいてい数週間以内には連絡があるはずと 書いてあったのに1ヶ月過ぎても連絡は無し。 ”一ヶ月も連絡がなければあきらめろ”とも書いてあった。 プロフェッサーに連絡して聞いてみると 確かにそこから電話があり話したと。 こういう時はこちらから電話して聞くべきかそのままに するんだろうかと悩みながらも、 あ〜もう駄目かなと気分が落ちた。 あきらめ半分で新しい就職先を探していたら、突然内定通知が届いた。 面接から一ヶ月半もたったころだった。 その後の流れを簡単に書くと 人事部へ出向き、給料やベネフィットが書かれた紙を渡される。 それを見て合意ならサイン、合意できないのなら交渉ということなんだろうけれど 想像していたよりもずっと良かったので私はその場でサインをした。 私の職種は卒業後、すぐに国家資格が取れない。 国家試験に受かっていても 決められた時間をスーパーバイザーの指導のもと、こなさないと 国家資格をもらえないようになっていて それまでは国家資格を持っている人たちの収入の半分くらいだと聞いていた。 国家資格を待つ間は半分だとしても、それでも以前働いていたころの倍額だった。 年齢に比べて経験浅い新卒の私からすれば文句無し。 長い間本当に辛かったけど頑張ってきて良かったと心から思えた。 最初は経験させつめれば収入は関係ないと思っていたけれど その考えは間違っていたと思う。 ここまで多くの時間とお金を費やして取った専門なんだから もしも相場よりもずいぶん少なければ交渉をきちんをすることも 大切だと思う。 給料に合意した後はバックグランドチェックをすると言われた。 過去に犯罪歴がないとか、あとはツベルクリン反応とドラッグのテストもあった。 それらを無事パスしてその数週間後に初出勤。 ピカピカのコンピューター付きの 自分のオフィスをもらえたとき、 やっとまた社会人に戻れるんだと実感した。 英語を母国語としない”外国人”はそこでは私一人なのですが、 とても居心地がいいです。 ネイティブでも難しいのに二カ国語でよく頑張ったねと 優しい言葉をかけてくれる人もいる。 大学院時代のインターンと確実に違うところはお金をもらって 仕事をしていることだけど、学生のころとはちがって ちゃんと専門職として扱ってもらえてると感じられるところ。 スーパーバイザーも優しい人だし、全体の職場の雰囲気もいい。 いつも書いてしまうけれど もしも子供がまだ小さくて大学へ行くことを迷っている人がいたら 背中を押してあげたいです。 もしこの国で自分のしたい職業に学歴が必要ならば 自分の年齢とか状況につまづかないでとりあえずやってみてもいいと思う。 妊娠中やまだ子供が小さい時は一科目だけしか取れないときもあった。 あの頃は旦那もまだ若くて収入も少なかったので学費を払うお金も大変だったし。 無理をしなくても一歩づつでも階段を上って行けばいつかは必ず 理想の自分にたどり着けると思う。 大変だったら途中で休んでもいいと思うんです。 私の理想はもう無くなった楽天のプロフィールにも書いてあったのですが ”かっこいいおばあちゃん”になること。 人それぞれ違うと思うけれど 私の理想の”かっこいいおばあちゃん”は 年をとっても自分の好きな仕事を続けていられること。 顔がシワシワになっても、背筋をピンと伸ばしておしゃれをして仕事をしていたい。 人を助けてあげられるという心の満足感と安定した収入の両方を得られる 自分の仕事が大好きです。 若い時は楽しかったけれど、今はもう人と競争したりする 仕事はしたくない。 ずっと前にあった眉間の薄いしわが気がついたら消えていた。 このままずっと穏やかに年をとっていきたいです。 楽天を始めた頃はまだコミカレを途中で休んで仕事をしている頃で あれからずいぶん長い年月が経ったけど こうしてちゃんとゴールにたどり着くことが出来た。 小さかった子供も中学生になったんです。 信じられないスピードです。 さて、うん十年後、80歳になった私はスポーツカーを運転して お休みは旦那やお友達とヨーロッパ旅行♬ そんな老後を過ごしたいです。 書き出したらまた長くなっちゃったけど、 また書きます! ■国際結婚/恋愛人気ブログランキング参加中■ 人気ブログランキングへ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りリンクに登録して頂きありがとうございます。 ハワイ市場はお気に入りリンクのご連絡不要です。 掲示板は時々お休みしますが読んで頂いただけで嬉しいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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