テーマ:日々の設計図(19)
カテゴリ:思想
道家最高の徳目は、無為自然である。これはおそらく、自由を意味しているものと自分は理解する。
当時(「荘子」成立の前後)には、「自由」という言葉はまだ無かったはずである。 当時は、儒家・墨家という標的があったので、話を簡単にすることは出来たはずだ。ただし、明らかなように、儒と道とが、必ずしもその本質的な部分において、対立軸を持っているとは限らない。 さらに、それぞれが目指した政治的野心も同一である場合もあった。現在のような状況においてはじめて、二つの思想はそれこそ純粋に対峙できるのかも知れない。 すなわち、道家の自由とは、第一義的には、儒家が作った社会的力学からの自由である。 それは、「~す(ある)べき」「~のはず」という、当然からの開放を意味している。 我々は、ある常識が、他のところでは通用しないことを知っている。個性だとか、違いを認め合おうなどと、平気で口走ってはいるが、一方で、考えの違いから、人殺し、戦争までしているのは事実である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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